Blessing from you
クリスマスイブだというのに、何が悲しくて仕事仲間と飲まなきゃならないのか。
華やかなはずのイベントの現実に、心中でぼやきつつレオリオはグラスを傾ける。
ギンタ、サイユウ辺りが言い出したことだっただろうか。年明けにハンター試験を控えている身として、ほとんど休みのない十二支んの面々は忘年会も兼ね、久々の飲み会を開いていた。
連日仕事に明け暮れているため、格好は皆普段のまま。居酒屋の飾りぐらいしかクリスマスらしさはないものの、会はそれなりに盛り上がっていた。
あまり乗り気ではなさそうだったクラピカも、ミザイストムと五大厄災のアレはああだ、こうだと、暗黒大陸への考察と議論に花を咲かせていた。
十一時を回った頃だろうか。腕時計を確認していたクラピカが席を立ち上がる。
「すまないが、私はこれで失礼する」
少し多めのお金を置いて後にしようとするのを見て、レオリオもスーツの奥から財布を取り出す。
「オレも今日は先に上がらせてもらうぜ」
「何よー、アンタ達つれないわね〜」
机にぐでんと身体を預けたピヨンがつまらなさそうに言った。
「新入り二人ともお帰りかよオイ」
出来上がった風体のサイユウがからかうように笑うのに対し、クラピカが鬱陶しそうに応じる。
「この男の予定は知らないが、私はれっきとした仕事だ」
「何だよその言い方。オレは勉強だよ。単位を免除されてるっつても、医大生なんだぜ一応」
「医大生か〜。見えねぇよなぁ」
「うるせー!」
渋い顔をしたレオリオに、カンザイがきししと笑う。
「お酒入ってるのに勉強なんかできんの?」
「こんな量、たいして飲んだうちに入んねーよ」
「よーし、じゃあ賭けようぜ。レオリオが今晩ちゃんと勉強するか、寝落ちるか」
「当然、寝落ちるに一票〜」
「オイラもー」
「人を勝手に賭けの対象にすんな!」
同僚たちが揶揄する間に、ミザイストムが二人に言った。
「熱心なのはいいことだが、今日くらいはほどほどにな」
「そうだぞ、何事も体が資本だからな」
「あ、焼酎追加ね」
ボトバイの横でサッチョウがオーダーするのを聞き、オレも、私もなどと他のメンバーからも追加の注文が相次ぐ。まだまだ宴を続けそうな面々にレオリオは訊ねる。
「……アンタらまだ残んのか? 明日も会議だよな?」
「遅くても二次会で解散させるから。今日はお疲れ様→子、猪」
「はい、では」
「じゃあな。おい、待てってクラピカ」
挨拶した後、立ち去ろうとするクラピカを追い、レオリオも会費を机に置いて出口へ向かう。
その後の飲み会の席では「あの二人いつも一緒にいるな」と、誰かが言ったとか、言わなかったとか。
外に出ると、冷たい外気が頬を包んだ。暖かい場所から一気に温度が変わり、ダウンコートを着込んだレオリオはぶるっと身を震わせる。
クラピカも普段着のスーツの上に、シルエットが細長いトレンチコートを羽織っていた。
「迎えの車はどこに来るんだ?」
「いつもと同じ場所だ」
「ホテルの近くか。ならそこまで付き合うぜ。どうせ帰り道同じだし」
クラピカは何も言わなかったが、それはレオリオの提案に異存がないことの証だ。先に歩き出した彼の横まで駆け、二人は並んで歩く。
街灯のオレンジの明かりが、数メートルごとに二人の足元を照らす。その度に、互いの白い息がちらついた。
レオリオはポケットに突っ込まれた、クラピカの剥き出しの手を指して言う。
「お前、それ寒いんじゃね?」
「……前も同じことを言っていたな」
クラピカの吐いた息が、宙でまた白く染まる。
「『この格好ではしまらない』とか言ってたけど、別にもこもこした奴だけが手袋じゃないんだぜ」
「知っている。だが買い物に行く時間がない」
「頼めばいいじゃねーか。部下いるんだろ」
「屋内にいることの方が多いし、この程度の寒さならどうということはない」
「そりゃそうだけどよ……」
たしかに今の上下スーツ姿のクラピカが、雑貨屋の店先で手袋を探しているのも、手袋だけ調達を命じるのも、黒服の部下が品を買う図も妙な光景で微笑ましくはある。
マフィアには体面もあるのだろう。どこで見られているかわからない商売というのは面倒なものだ。
「……何度もしつこいな君も」
「仕方ねーだろ。見てて寒ィんだもん」
「なら、見なければいいだろうに」
「っか〜、相変わらず可愛くねぇなぁ」
「何故私が可愛くならねばならない」
「寒くても減らず口は健在だな。ったく」
悪態を吐きつつも、二人の間に流れる雰囲気は悪くなかった。
ここでクラピカの手が外に出ていれば、ふざけ半分で手を取ってやろうかとも思ったレオリオだったが、生憎しっかりとポケットの中にあった。
気を取り直し、レオリオは目線を上げる。街燈の光。闇夜に浮かぶ橙色は、歓楽街の灯りに似た印象を与える。
「……あいつらも言ってたけどさ、大変だなお前も」
「何がだ?」
「イブまで仕事なんてよ」
「この業界に休みなどあってないようなものだ。今更たいしたことではない」
「そうかい」
すげない答えに肩を竦める。その肩に、クラピカから声がかかる。
「……君こそ、忙しいのではないか?」
「何がだ?」
「まだ通っているのだろう、大学」
続いた台詞に、レオリオは思わず首を傾けてクラピカを見る。
短い言葉だが、彼なりの労いが含まれているとレオリオにはわかった。
「まぁ……でも休学扱いにしてもらってるから、課題はそれほど多くねーし。チードルから渡航までに完璧にしておくよう言われた技術は沢山あるけど、全部必要なモンだからな。やってやれねぇことじゃねぇさ」
「そうか」
『医者になる』というレオリオの夢に対して、心成しか、クラピカは優しい反応をすることが多い。照れ臭さを隠しながら返した言葉への相槌も、どことなく柔らかい気がした。
ちらりと盗み見た口元も、かすがだが綻んでいるように思える。
「……そうだ。お前まだ時間ある?」
「? ああ」
「よし」
クラピカの返答に、レオリオは今度はためらわずに彼の手を取った。
少しだけクラピカが狼狽えたようにも感じたが、構わず彼の手を握ったまま、レオリオは体の向きを変えてやや早足で歩き出した。
「……一体何だ?」
「確かこっちに……」
協会が契約しているホテルの方向を外れ、二人は個人住宅が立ち並ぶエリアまで来ていた。終電の時刻も過ぎているため、通りには二人以外に人はいない。
「お、あった! あれだ!」
背の高いレオリオが、前方を指し示す。
手を引かれるクラピカの目線の先に、青い光が現れた。
住宅街の一角で、ひっそりと佇む小さな教会。
その傍に、青いイルミネーションのクリスマスツリーが飾られていた。
「……こんな所に」
「穴場だよな。この前偶然見つけたんだ」
教会の礼拝時間はとうに過ぎており、扉は堅く閉じられていた。しかし時季を鑑みてツリーは昼夜問わず電気を通しているようだ。
ゆっくりとしたリズムで、無数のブルーの光は点滅を繰り返す。
「漸く、クリスマスらしいことしたって感じだな」
「……そうだな」
しばらくの間、二人してツリーを見上げていた。指先は自然と繋いだままだった。
「……あ」
すると一歩動いた拍子に、靴が何かに触れてレオリオは地面を見る。足元にツリーの飾りが落ちていた。
レオリオは迷わずそれを拾うと、汚れを払う。そして樹の枝先にしっかりと結び付けた。
「……よし、これなら落ちねぇだろ」
一連のレオリオの行動を、隣に立つクラピカは黙って見つめていた。
レオリオが丸いそれを、ツリーに結び直すのを見つめていた。
「どうした?」
「……いや……」
クラピカは瞼を伏せようとするが、ふとその目線が、何かに気付いたように上に移る。
つられたレオリオが首を頭上に向けると、冷たい、白い花が顔に触れた。
「……雪か」
「ああ」
闇の中、ツリーの電飾に照らされて光る雪の結晶は、青い灯火となって二人の周囲に降り注ぐ。
蛍火のようなそれは、通り過ぎるたびに、お互いの顔を刹那照らしていく。
「きれいだな」
「ああ」
それ以外、二人は何も言わなかった。耳を澄ますと、光と雪の音が聞こえそうだった。
ツリーが明滅する合間に、雪は静かに降り積もる。
消えてはまた、上空から新しい欠片が生まれ、蒼い光を灯しながら二人の周りへ舞い降りる。
まるで空全体が、夜想曲を奏でているかのようだ。
いつまでも見ていたい光景だったが、時間は無情だ。
そろそろ行かねばと、クラピカが腕時計の時刻を確認して呟いた。
「そうか」
「すまない。でも良かったよ」
微笑しつつ引き返そうとするのを「クラピカ」とレオリオは呼び止めた。
「……ほらよ」
レオリオはコートからリボンの付いた包みを取り出し、クラピカの前に突き出した。
「……何だ?」
「クリスマス」
「……?」
「だーかーらー、クリスマスプレゼント、オレからの!」
目を瞬かせつつ受け取ったクラピカに、「今開けろよ」とレオリオは促す。
かじかむ指で、クラピカは丁寧にテープをはがし、包みの口を開けた。
中に入っていたのは、薄手だが上質な素材の皮手袋だ。色はクラピカのダークスーツにも溶け込む黒。
「それなら大して目立たねぇから、普段使いできるだろ」
「…………君にしては気が利くな」
「ほかに言う事ねーのか」
「…………ありがとう」
数秒遅れて聞こえた声に、レオリオは目を見張る。先程ツリーに結んだ丸い飾りが、視界の端でブルーの明かりをきらめかせた。
「ありがとう、レオリオ」
レオリオの瞳に、雪明かりに照らされたクラピカの表情が映る。
クラピカは淡く、けれど全身で微笑んでいた。
「…………おう」
その表情に知らず見惚れたレオリオは、赤くなった頬を悟られないよう、顔を背けながら返事をした。
名残惜しくも、本来のルートに戻り二人は道を行く。
ホテルのある大通りに続く細い道路の脇に、停車している車が一台あった。
「あれか」
「ああ」
足を止めたレオリオとは反対に、クラピカはそれに向かい進み出す。だが途中で不意に立ち止まる。
「……フロントに荷物が届いてるはずだ」
「あ?」
「君宛ての」
数秒間言葉を反芻した後、意味を理解したレオリオは笑った。
「わかった。必ず寄るな」
クラピカが再び歩き始める。
「また明日!」
レオリオの呼びかけに、クラピカは手袋を着けた片手を挙げて答えた。
午前二時。とあるクラブのドアが外から開かれた。
「あ! ボス!!」
「おかえりなさいっす!!」
「うっす!!」
ポーカーに興じていた強面の男達は、クラピカを見た途端びしっと背筋を揃えた。
「ああ」
短くいらえを返し、クラピカは奥の扉へ向かって足を進める。
照明の落とされた室内では、バーカウンターに飾られた小さなツリーが光っていた。
側近の男がクラピカに声をかける。
「今日ぐらい、向こうに泊まってきても良かったんじゃないのか」
「こんな日に休んでは、部下に示しがつかないだろう」
『こんな日だからこそ』という考え方もできるのだが、と男は密かに思った。
うちのボスにも浮いた話の一つや二つあったら面白いだろうにと、バーでは話題になっていたのだ。
男が彼の不在時の会話を思い出していると「それに」とクラピカが続けた。
「明日、また会える」
コートの襟の隙間から覗ける横顔には、ほのかな希望が見え隠れしていた。
ポケットから僅かにはみ出た品をめざとく見つけた男は、背中にこっそりと言葉を贈る。
「……メリークリスマス」
END