君はまだ
ガコンと音がして、自販機の取り出し口にコーヒーの缶が転がる。
「馬茶でいいか?」
「ああ」
ボタンを押すとまた音がして、コーヒー缶の上にペットボトルが落ちる。レオリオは長身を窮屈そうに屈めそれを拾った。
「ほい」
「ああ」
反射的に受け取ってから、クラピカはコンタクトを付けていない瞳を少し丸くしてレオリオを見た。
プルタブを起こしながらレオリオは「ん?」と聞く。
「……よく覚えていたな」
レオリオはしばらく質問の意味を考えていたが、「ああ」と思い至り答える。
「ミザイストムが“おーい待て茶”飲んでるの見てな。そういやお前こればっか飲んでたなーって」
「なるほど。……最近はコーヒーばかりだった」
「そうか。……交換すっか?」
「いや、いい」
クラピカはペットボトルの蓋を開け、ロビーの壁にもたれながら口をつけた。レオリオもまた自販機の横の長椅子に腰掛け、コーヒーを飲み込む。
時刻は日付が変わる頃だった。徹夜作業は効率の良いものではないからと、医師でもあるチードルが数時間前に会議を解散させていたが、新入りの二人は自主的に残って各々の作業をしていたのだった。
ひと月後のハンター試験まで課題は山ほどあった。明日もまた仕事だ。
「……何だか不思議な感じだぜ」
「何がだ?」
「少し前まではぜんぜん連絡もつかなかったってーのに、今は同じ十二支んになって、こうして顔突き合わせて仕事してるなんてな」
「……そうだな」
クラピカも短く同意した。ビルの従業員もほとんど帰宅し、静寂に満ちたロビーで二人はしばし疲れを癒していたが、出し抜けにクラピカは口を開いた。
「……君には感謝している」
「ん?」
「十二支んに勧誘してもらえたこと、君の推薦があってのことだとミザイストムから聞いた。結果的に私の目的を叶えるための、最も重要な情報を得ることができた。礼を言う」
「……何のことだ?」
訝しげな顔をするレオリオを、同じような表情で見返すクラピカだったが、彼が事情を知らないことを理解し「そうか」と口の中で呟いた。
「……隠していても、いずれわかることなので話そう」
周囲に人がいないことは確認したが、念のために二人はビルの外に面した非常階段まで移動した。上の方が景色が良いとレオリオが言うので、数階分上がり、屋上へ通じる場所まで来てからクラピカは話し出した。
カキンの第四王子・ツェリードニヒ=ホイコーロが残りの緋の眼の持ち主であること、それを回収し終えたら、現存する全ての緋の眼が自分の手元に集まること。
スワルダニシティーの夜の景色を眺めながら、酒の代わりに馬茶を傾けて、淡々とクラピカは語った。
背景を聞いたレオリオは、心底驚いた様子だった。
「……そうだったのか……」
「てっきりチードルかミザイストムから、事情を聞いているものだと思っていた」
「チードルから連絡を受けたその場で提案したからな。お前を十二支んにしたらどうかって……」
月明かりが、レオリオの持つ缶の縁を鈍く照らす。
手の中のコーヒーは、気が付けば冷めきっていた。
「意図していなかったとはいえ、君が道を作ってくれたんだ。これも人の縁というものなのかもしれないな」
欄干に手をかけたクラピカは小さく微笑し、素直に感謝の気持ちを込めて言った。
「そいつは良かった」
レオリオも微笑するが、その笑みはどことなく複雑なものだった。それをいささか奇妙に思ったクラピカの視線を感じたのか、レオリオは目線を逸らし言葉を続けた。
「たださ、オレちょっと別のことも考えてたんだよ」
「別のこと、とは?」
夜風を受けながら、レオリオは冷たくなったコーヒーをぐいと飲み干した。
「暗黒大陸は未知の大陸だろ。まだ恐ろしい話しか聞かねぇけど、同時にオレたちが想像している以上にすごい世界が広がってるはずだ。恐怖心が先立つが、正直ハンターなら誰しも魅力を感じる場所でもある。……この旅に挑戦することで、互いに得られるモンがあるんじゃないかと思ったんだ」
「そうか……しかしレオリオ、何故私だったんだ?」
納得する部分もあるが、クラピカはかねてからの疑問を問うた。
「君も知っているが、私の能力は大半が蜘蛛打倒の為のものだ。客観的に見ても、大陸攻略に役立つとは思えない」
「いや、でもおまえ頭良いし。さっきだって協会内にビヨンドの仲間がいるんじゃねーかって、すぐ気付いてたじゃねぇか」
「あれは考えれば誰にだってわかるだろう」
「そうかもしれねぇけど、すぐそこに考えが結びつくのがお前のすごい所なんだよ」
クラピカは「いまいちわからない」と言いたげな顔を作った。月の光と同じ色の髪を揺らして、不思議そうに首を傾ける仕草が、マフィアらしいダークスーツを纏っているのにどこか幼さを感じさせる。
そこにかつての面影を見い出して、レオリオは知らず口元を上げた。
「それにお前、歴史とか考古学とかに興味持ってたじゃねーか。医者を目指してるオレなんかより色んなこと知ってるし」
「……だから、ゴンでもキルアでもなく、私を?」
「暗黒大陸への旅が、お前にとって楽しいモンになるんじゃないかって、いらねぇお節介はたらかせちまったって訳だよ」
「…………」
「……でもまぁ、お前の目的が遠回りになる、なんてことにならなくて良かったぜ」
己の中のわだかまりを吐き出してか、レオリオはさっぱりとした顔つきで笑った。
対してクラピカは、えもいわれぬ表情でレオリオを見つめる。
「レオリオ、君は……」
クラピカは言葉を探しあぐねて、束の間黙った。
小さく唇を開いたままのクラピカに、レオリオは振り向くが、クラピカはゆっくりと息を吐き、やがてしみじみと言った。
「……君は本当に変わらないな」
語尾にそっと、呆れたような笑みを滲ませて。
「以前会った時も思ったが、本当に変わらない。相変わらず変化の無いヤツだ」
「何だよその言い方。お前もしかしてバカにしてる?」
「いや」
「でも笑ってんじゃねーか」
「違うよ」
「いーや、笑ってる」
そうだな。笑ってる。君のやさしさがあまりにも変わらないから。
クラピカはそう心の中だけで囁いた。
「オレだってちゃんと成長してんだぞ。念だって習得したし、医大だって合格した!」
「それは知っている」
「何だったら学生証見るか!? 見ろ! このレオリオ様のイケメン具合……あれ、どこだ?」
「左のズボンのポケットじゃないか? さっき出した時、ペンと一緒にそこにしまってた。……いい、見せなくて。本当に無くしたら大変だ」
背広の奥に手を突っ込み探る彼を楽しそうに見て、クラピカは笑いを漏らす。彼と再会してから、ほとんど使っていなかった表情筋を動かしていることを、クラピカは自覚していた。
「そうやって生意気な口ばっか叩く所、お前だって全然変わってないぜ」
「そうか?」
「ああ。ぜーんぜん変わってねぇ。変わったのは格好と髪の毛だけだな」
「髪?」
「下で会った時から思ってたけど、毛先ハネてんぞ。寝癖か?」
「これは……っ! ……元々だ」
小気味良い会話が、ビル風に煽られて夜空に舞い上がっていく。真っ白な月が背丈の違う二人の背中を照らしていた。
ゼビル島の上空で無数の光を放っていた星達は、都会のスモッグに覆われて少ししか見えないが、月と同じ様に、確かに彼らの頭上にあった。
END
ハンター346話を見て萌えがほとばしった結果です。
レオリオが何故クラピカを十二支んに勧誘したのか、色々妄想…想像しています。
色々理由は考えられますが、レオリオはクラピカがハンター試験中に見せた様々な顔…
本来のクラピカが持ってる未知の物への好奇心や探究心を、一番見てる人なので、暗黒大陸に行くことで彼に新たな目的を得て欲しいと思ったりしてるんじゃないかと考えたりしてます。
初出:2014.7.16