繋ぐ人

 

 

 

 インターホンを押して、ドアを拳で二度叩く。

 

「おーい、いるか?」

「……何だ」

 

 扉が開く前から声を上げていた来訪者に、部屋の主はいかにも不機嫌そうな顔を出した。

 

「何か用か?」

「用がなきゃ来ちゃいけねーのかよ」

「ああ」

 

 冗談か本気かわからない口調で返されるが、これがクラピカだ。レオリオは今更別段意に介さない。

 

「今日は組(あっち)に戻らないんだろ? 折角同じホテルなんだし、ちょっと話でもしようぜ」

「……先程会ったばかりだろうに」

 

 悪態を吐きつつも、クラピカはレオリオを部屋に招き入れた。

 オートロックのかかる音を背後に、二人は室内に入る。奥のクローゼットの前まで行ったクラピカは、ベッドの上に放っていたジャケットをハンガーにかけ、襟を正しクローゼットに戻した。どうやら作業の途中だったらしい。他は散らかりもせず、荷物の殆ど無い室内を見渡しつつ、レオリオは椅子の一つに座る。

 備え付けの小型冷蔵庫へ近寄ったクラピカは、中から薄くレモン味の付いたミネラルウォーターを取り出そうとしてレオリオに尋ねる。

 

「酒の方がいいか?」

「いや、別に何でも。てか、それぐらいなら自分でいれるぜ?」

「いい。一応客人だろう、君は」

「一応かよ」

 

 レオリオの返しに、クラピカは小さく微笑した。クラピカは更に下の冷凍庫からアイスペールを取り出すと、横のテーブルに用意されていたグラスに、トングで手際良く氷を入れていく。

 裏社会で慣れたらしいその手つきを眺めていたレオリオは、ふとクラピカの手元を見て言った。

 

「……具現化させてねーのな、鎖」

 

 ヨークシンでの騒動の際、常に具現化していた念の鎖は、今は手から消えている。グラスに落ちた氷が、その代わりの様にカランと音を立てる。

 

「ん? ああ、ここでは必要ないからな。わざわざ自分から能力を知らせることもあるまい」

 

 クラピカの能力はその強力な性能故に、弱点を知られたら容易に命を落としかねない危険性を孕んでいる。十二支ん入りの仲立ちをしたレオリオ・ミザイストム以外の者には、今後も隠していくつもりだった。

 

「……前言ってたよな。誓約と制約で、心臓に鎖を刺したって」

 

 ミネラルウォーターの入ったグラスを受け取りながら、隣の椅子に腰掛けるクラピカにレオリオが問う。

 

「今もお前の胸に、念の鎖は刺さったままなのか」

「ああ」

 

 事も無げに、クラピカは頷いた。レオリオは椅子に浅く座り直すと、目の周囲に念を集中させ、クラピカの体を凝で見てみた。

 

「……ダメだ。全然わかんねー」

「当然だろう。凝はオーラを見る為の技であって、透視能力ではないのだから」

 

 ぐだっと肩の力を抜いたレオリオに対し、クラピカは少し呆れたように言った。

 オーラというものは通常、体から自然と溢れ出ているものである。他者のかけた念ならばオーラの違いから見分けることも可能だろうが、クラピカの心臓に刺さっているのは、クラピカ自身が作り上げた念の刃だ。両方とも同じ波長のオーラであるため、恐らく普段は体から放出されているオーラで見えないのだろうとクラピカは話した。

 説明を聞きながら、レオリオは尚もクラピカの胸の辺りをじっと見ていた。クラピカはその視線を黙って受けていたが、流石にそろそろ耐えかねた頃、レオリオは切り出した。

 

「……その鎖、オレの念で見てみてもいいか?」

「君の?」

「ああ。ちょっと触診に近いことさせてもらうけど」

「触診……放出系の念か」

「そうだ」

 

 何かを考える様子で自分を見つめるクラピカに、視線で「何だ?」と問う。僅かに遠いような眼差しをしていたクラピカは、ふっと面差しを和らげた。

 

「……君の性格からして、強化系かと思っていた」

「……どーせ単純ですよオレは」

 

 渋い顔をするレオリオに、クラピカはくすりと笑いを零す。声に出して笑ったその仕草に、レオリオは内心目を丸くした。

 それからクラピカは表情を消して不意に立ち上がると、 部屋に一つだけあるベッドまで歩いた。

 ベッドの端に腰掛けると、クラピカはレオリオの瞳を暫く見つめ返す。

 そして、唇を笑みの形に引き上げ

 

「……好きにしろ」

 

 少しばかり、挑戦的にもとれる口調でそう言った。

 了承の返事を受け、レオリオはグラスを置くとクラピカの横までいき、自身もベッドに座った。

 二人分の重みを受け、ベッドのスプリングがぎしりと軋む。

 クラピカはワイシャツのボタンを外し、襟元を広げ、そのままシャツを肩から外した。肘の辺りまで、服がすとんと落ちる。

 クラピカの上半身が露になる。レオリオもスーツの上を脱ぐと、シャツの袖を肘までまくり、クラピカの身体を看始めた。

 

 細いな、とまずレオリオは思った。筋肉はしっかりとついているが、首の根元に浮き出た鎖骨や腰など、所々に身体の細さが目立つ。この分では、どうせ食事もろくに取っていないのだろう。

 建物の中ばかりにいるからか、殆ど日焼けしていない白い肌だ。伸びた金髪が肩に少しかかっている。身体のあちこちに、いつ負ったのかわからない小さな傷跡がいくつもあった。

 

(ボディガードの仕事のやつか)

 

 ヨークシンでのように、地下のドス黒い欲望と悪意にまみれたビル街をこの細い体で走っているのかと思うと、レオリオは束の間複雑な心地になる。

 少し身を乗り出して、レオリオはクラピカの胸を観察する。呼吸で肺のある辺りが、ゆっくり上下しているのが見える。視線を少しずらすと、レオリオから見て右側、クラピカの左胸に、別のものが微かに動いているのが見えた。

 

 レオリオは右の掌を開き、クラピカの左胸に手を当てる。

 クラピカの肌は、冷たかった。レオリオより体温が低いそれはひんやりとしており、滑らかで柔らかかった。

 やはり呼吸運動の方が主張が激しく、暫くは肺の動きばかりが指に伝わってきたが、じっとしていると、指先がそれとは別の律動を感じ始める。

 レオリオの広げた掌に、簡単に収まってしまうくらいの、小さなそれ。

 クラピカの、心臓だ。

 

 クラピカの心臓は、規則的な周期で動いていた。力強く収縮と拡張を繰り返し、体内に血液を送り出していた。

 レオリオはクラピカの胸に当てていた手を左手に替え、手の甲に右の指を乗せる。

 掌に微量の念を込める。

 細心の注意を払って、レオリオはクラピカの胸を叩いた。トン、トンと、はじくように、手の上から指で胸を叩いた。同時に指先から念が放出される。

 体内に放たれた念に反応して、クラピカの身体がほんの僅かに波打った。

 手の先の中、クラピカの体内で、レオリオは音にならない音が響くのを感じ取った。

 

「……わかったか?」

「ああ、わかった」

 

 胸郭の下、心臓を覆う肋骨を通り過ぎて行き着いた、クラピカの心臓。

 その上に硬質な金属質の何かがあるのを、レオリオの指は捉えていた。

 

 

「それが、私の誓約の証だ」

 

 

 剣の形をした鎖は、心臓に繋がる太い血管のすぐ傍にあった。まるで血管が枝分かれしてそのまま鎖に変化したようだった。

 実際の鎖と同じだと言うクラピカの言葉通り、響いた音は金属特有のものだった。クラピカの胸では反響音が高く、細い糸のように長く続いていた。

 

 

 ……センリツの耳には、鼓動と一緒に、この鎖の音が聞こえているのだろうか。

 クラピカの覚悟がそのまま形となったような、この鎖の音が。

 

 

「……痛くねぇのか? この鎖」

「痛みは無い。最初に誓約をする為刺した時は、痛みというか、凄まじい衝撃はあったが」

「そうか。……血栓とかは出来てねーみたいだな」

 

 

 心臓は血液の流れが少し悪くなるだけで、重大な疾患の原因となる血栓がすぐにできてしまう部位だ。しかし念の反響音から察するに、幸いにもクラピカの心臓に異常は見られなかった。当たり前のように存在している鎖以外は。

 大元はオーラだからだろうか、念の剣は思った以上にクラピカの身体に馴染んでいるようにも見受けられる。

 しかしやはり、それは異質なものだった。

 

 左手を外し、レオリオはまた右手でクラピカの胸に触れる。

 体温の高いレオリオの手が当てられることで、クラピカの肌に少しずつ温度が移る。

 

 誓約を破れば、この楔はいとも簡単にクラピカの体を食い破るのだろう。

 この小さな心臓を、躊躇いも無く潰すのだろう。

 

 刺した鎖は、後から解除できると言っていた。だが。

 

(オレの念で、この鎖も外せたらいいのに、な)

 

 何度か考えたことが、レオリオの頭を掠めた。

 しかし同時に、それはクラピカが望んでいることではないことも理解していた。

 クラピカの目的が果たされ、納得のいくものになった時。それまで、この楔はクラピカと共にあるのだろう。

 

 

「レオリオ……」

「…ん? 何だ?」

「………くすぐったい」

 

 

 いつの間にか目を閉じていたクラピカが、少し恥ずかしそうに呟いた。

 

 

「もう少しで終わる。ちょっと待ってろ」

 

 

 そう言いつつも、レオリオはもう念を使う気はなかった。

 重要なことは調べ終えたし、もし何かの拍子にクラピカの鎖が発動してしまうことを思うと、可能性が低いといえ、これ以上念を使用する気にはなれなかった。

 だが、それでもまだ、レオリオはクラピカに触れていた。

 細く冷たい、しかし確かに呼吸し、生きている身体。その命を自身の手に繋ぎ止めておくように。

 暫くの間待っていると、手のひらが再び、クラピカの音を捉え始めた。

 

 

 

 

 レオリオの手が、あたたかい。

 

 誰かの体温を、こんなにも近くに感じるのはひどく久しぶりだった。

 人の体温には、心を落ち着かせる作用があるという話は、どこで知っただろうか。

 診察をされながらクラピカがレオリオを盗み見ると、彼はとても真剣な眼差しをしていた。普段は三枚目ぶっているのに、傷付いた者の治療に当たる時は、どきりとするほど真面目な顔をする。

 クラピカはこのレオリオの顔が好きだった。試験の時やゾルディック家の屋敷でも見た顔。

 ヨークシンの廃墟で、自分に付いていてくれた時と同じそれ。変わらない表情を認めて、クラピカはそっと小さな笑みを口元に上らせる。

 大学でしっかり指導を受けているのだろう。医者志望らしく、きちんと爪の手入れがされたレオリオの手は、体格もあって節が大きく指の腹が厚い。クラピカより一回り以上は大きかった。

 絶えず触れられているその手から、レオリオの温もりが伝わってくる。体温と一緒に、暖かい気持ちが去来する。

 

(君はちゃんと、医者への道を進んでいるんだな)

 

 彼の能力を聞いた時、クラピカの胸に嬉しさに似た感情が込み上げた。

 彼はいつも光の中を歩いている。復讐に生きる自分とは全く真逆の道だ。

 けれど、彼はこの手を離そうとしたことはない。

 そう、あの時も。ヨークシンの雨の夜、蜘蛛の団長に拳を振り上げた時も。

 怒りと憤りに震える指を、強く掴んでくれたこの手のお陰で、クラピカは自分を見失わずに済んだのだ。

 

 胸に沁み渡る心地良さに、クラピカは無意識に彼の名前を呼んでいた。

 何だ、と聞き返されて、正直に「あたたかいな」と口走りそうになったので、クラピカは取り繕うように言葉を返した。

 しかし尚も瞳は閉じたまま、彼の温もりを感じていた。

 念を使う気配がなくなった後も、レオリオの手はまだクラピカの胸に当てられていた。

 だが、嫌ではなかった。

 

 

 クラピカは思う。出逢ってから、何度もこの手が支えてくれたこと。

 そして、今もまた。暗い世界にいる自分を繋ぎ止めてくれていることを。

 鼓動と共に、この気持ちは彼に伝わっているだろうか。

 

 

 微睡みの様な、優しい時間が過ぎる。

 普段言葉にしていない想いを抱きながら、安らぎと言えるものに、クラピカは身を委ねるのだった。

 

 

 

 

END

 

 

 

本誌でレオリオの念能力が判明した際、「触診!!」と思い付いたネタです。私にしてはムーディーな話。

クラピカの服をはだけさせるのに、自分でもドキドキしながら書きました。

同時に「これ許可得てなかったら、レオリオセクハラだよな…」と思いながら(笑)反響が多くて嬉しかったです。

この話限定で、クラピカの性別はどちらともとれるような表現にしています。真実を知るのは診察をしたレオリオのみ…ということで(笑)

またこの後のことは…皆様のご想像にお任せします(爆)

 

サイト掲載:2015.5.17