胸間カラメリゼ

 

 

 

「構わん、全部捨てろ」

 

 入室した途端、部下の耳に聞こえてきたのは上司の物騒な言葉だった。

 わかりました! と下っ端が会釈しつつ通り過ぎるのを避け、部下の男は室内へ踏み入る。

 

「クラピカ、頼まれていたものだ」

「ああ。ご苦労」

 

 プリントアウトしたばかりの資料を渡すと、クラピカの視線が紙を追う。コンタクトで隠す事を止め、必要とあらば惜しげもなく本来の色を現す瞳の普段の色は、緑に近いブルーだ。

 

「……さっきの話は?」

 

 男の問いに、クラピカの目線がすっと横に移る。その動きを追った男は、部屋の入り口付近に積まれている若頭への贈り物のことだと合点がいった。

 今日は二月十四日、世間で言うところのバレンタインデーだ。

 マフィアらしからぬ涼しげな風貌や物腰から、クラピカはほかのファミリーの御令嬢らに人気がある。この日は朝からひっきりなしに、チョコレートをはじめとした彼女たちからの贈り物が、文字通り山のように贈られていた。

 しかし娘たちが好意を持っていても、その父親や組の者はそうとは限らない。

 特に近年急激に勢力を増したことで、周囲からの圧力を受けることの多いノストラードファミリーの中でも、今やその顔となっているクラピカは反感を買いやすい。

 贈り物の中に爆弾などの危険物が紛れ込んでいるかもしれないし、組員の独断で菓子に毒を仕込んでいるという可能性もある。

 

 この世界で、本心というのは巧妙に隠されている。

 人の心の裏を読むのが、裏社会の常。たとえ純粋な好意であったとしても、受け取る側はどんなことに対しても疑ってかからないといけないのだ。

 結局クラピカがしっかりと受け取ったのは、護衛対象であるライト・ノストラードの娘、ネオンからのチョコレートだけであった。

 ファミリーの一部の者は、彼女の趣味が趣味であるため、どんな品が選ばれるものかとひそかに戦々恐々としていたのだが、意外にも可愛らしいハート柄がプリントされた包装紙で飾った手作りの品であった。

 

『シェフに手伝ってもらったから大丈夫よ! ちゃんと味見もしたし!』

 

 というのは、彼女の弁である。

 

「モテるやつは大変だな」

「生憎、こういう行事に興味はないのでな」

 

 いずれ捨てられることになるだろうチョコレートの山を、少しだけ哀れに思う部下にクラピカはきっぱりと言い切る。何ともクールな彼らしい。わかりやすい態度に苦笑を漏らす。

 一通り資料に目を通し、いくつかの追加の指示をした後、クラピカは時計を確認した。出発する時刻が近いことに気付いた彼は、机の奥からある物を取り出し、無造作に服に突っ込む。

 

「出かけてくる」

「了解」

 

 部下が見送ったクラピカのポケットは、何かの箱で少し膨らんでいた。

 

 

 

 協会へと向かう車の中で、クラピカは上着のポケットに指を差し込む。箱の表面に指を滑らせ、包装が崩れていないことを確認する。

 部下には『興味はない』と答えたが、クラピカが持っているのはバレンタインのチョコレートであった。渡す相手は無論、おせっかいな同僚である。

 行事に五月蝿い彼のことであるから、きっと十二支んの女性連中からの菓子を期待しているに違いない。

 しかし今の時季、暗黒大陸への渡航の準備でそれぞれの仕事にかかりきりであるため、こういったイベントに力を入れる余裕がないのが現状だ。またあの個性の強すぎる面々が、わざわざチョコレートを用意する図も少し考えにくい。

 クラピカも当初は準備する気などなかったのだが、何の偶然か、昨日交渉でたまたま百貨店に行く機会があった。そこでレオリオのことを思い出したのだ。

 

 ……仕方がないからな。私が渡さなければ、おそらく誰からも貰えないだろうアイツに、愚痴を聞かされるのは御免だからな。クラピカはそう理由を付ける。

 逸る気持ちに、ほんの少しだけ胸を躍らせながら。

 

 

 

 

「いやぁ〜悪ィなぁ」

 

 エレベーターで目的階に上がり、クラピカが会議室に入るとレオリオの嬉しそうな声が響いたところだった。

 

「貴方には本当に助けられてるもの。ありがとう」

 

 部屋にいたのは、チードルとレオリオ。チードルが彼に差し出しているのは、菓子の箱だ。

 如何にも上等そうな箱には、レース調の品のあるリボンが巻かれている。レオリオはだらしない表情で顔を緩めていた。

 何の贈り物なのかなど、聞かなくてもわかる。

 クラピカは無意識に、スーツの上から箱に手を遣る。

 

 

 ……何を自惚れていたのだろう。

 自分が渡さなければ、誰からも貰えないだろう、などと。

 

 

 

「おはよう、クラピカ」

「……おはよう、ございます」

 

 今の自分は、不自然でないだろうか。態度が硬くなっていないだろうか。

 表情を崩さないように努めるも、クラピカはつい悶々としてしまう。

 それには気付かない様子で、チードルはやや俯き加減なクラピカの前まで来ると、別の箱を差し出した。

 

「はい、クラピカ。あなたにも」

 

 咄嗟に反応ができなかった。数瞬固まった後「……え?」と呆けた声を出したクラピカに、チードルは言った。

 

「あら? 意外ね。あなたのことだから、沢山貰っていると思ってたけど」

 

 チードルは他意のない笑みを浮かべて続ける。

 

「あなたの働きには、いつも本当に感謝してます。大変だろうけど、これからもどうかよろしくね」

「……ありがとうございます」

 

 クラピカは毒気を抜かれた顔で、チードルからのチョコレートを受け取った。レオリオの物と同じようなパッケージ、しかし箱とリボンと色の組み合わせが微妙に違う。

 

「まだ早いから、他のメンバーが集まるまで二人ともゆっくりしてて」

「ああ」「はい」

 

 どうやら自分たちの来る時刻を見計らい、会議室を訪れたらしい。彼女が部屋を後にし、室内に残ったのはレオリオとクラピカの二人だけとなる。

 三人の荷物と資料以外に、テーブルには湯気の立つ牛柄のカップがあった。ミザイストムの物だ。室内に漂う甘い香りから、彼が普段飲んでいるミルクコーヒーでなくチョコレートの入ったカフェモカであると思われた。これもチードルからの贈り物だろう。

 クラピカはレオリオが机に置いたチョコレートを見、それから自分の分のチョコレートを見つめる。

 

「……バレンタインは、世話になった人にプレゼントを贈るイベントでもあるんだったな」

「オレの国じゃ、男女関係なく恋人に贈るのが普通だったな」

「……そうなのか?」

「ああ。どっかのチョコ会社の宣伝で、最近では本命・義理も含めて女から男にチョコを送るのが当たり前みたいになってるけどよ」

 

 本来の意味は薄れ、今や季節のイベントに乗じた菓子会社の商戦になっているのだとレオリオは説明した。

 クラピカは心持ち口元を緩める。

 

「……なるほど。ならばお前が貰うのも道理というわけだ」

 

 レオリオはきょとんとしていたが、クラピカの態度の意味を理解すると相好を崩し、にやにやと笑いながら訊ねた。

 

「何、もしかして嫉妬したりしてた?」

「馬鹿か」

「クラピカさ〜ん、そのポケットにあるのは、もしかしてオレへのチョコかな〜?」

「自惚れるな」

 

 そう言いつつも、クラピカの頰が照れに染まっているのを見逃さなかったレオリオは、彼への距離を縮めた。

 僅かな抵抗の後、部屋から物音が消える。

 

 クラピカが選んだプレゼントは、ポケットの中で渡される時を静かに待っていた。

 

 

 

Fin