明日への協定

 

 

 

 オーブ領海での、ミネルバとの戦闘の数日後の夜。

 私は考え事をしたくて、艦内からアークエンジェルのデッキへと上がった。

 初めて上がったデッキは、見慣れたミネルバとはやっぱり違っていて、改めて、今いる場所が住み慣れた戦艦でないことに気付く。

 

 時々強く吹きつける風が、下ろした髪の毛を揺らす。

 それに時々目をしかめながら、私はただぼんやりとそこにいた。

 すると小さくキイィ……という、金属の扉が開く音が響く。

 

「え?」

 

 かん、かん、かん、と階段を上ってくる音。

 誰だろうと、知らず俯いていた顔を上げると、現れたのは茶色の髪の青年。

 

「あ、こんばんは」

 

 そう言ってにこやかに笑う男の人は、キラさん。

 伝説と謳われたフリーダムのパイロット。そして、

 アスランさんの、幼なじみ。

 

 

「体の具合はどう?」

 

 言外に「起きてて大丈夫?」と聞いてくる瞳は、とっても優しい。

 

「もう平気です。すみません、ご迷惑かけて」

 

 彼がアスランさんや私を見舞いに何度か医務室を尋ねていたことを思い出し、感謝と謝罪を込めて頭を下げる。するとキラさんはふわりと微笑んだ。

 

「ううん、元気になったなら良かった」

 

 その笑みに、思わず見とれてしまいそうになる。

 

 ……アスランさんも素敵だけど、キラさんもすごく素敵……

 ぼーっと見ていたら、キラさんがきょとんとした顔で見てきたので、慌てて「何でもないです」と言った。

 そっか、と答える声は波のように穏やかだ。

 

 

 カツカツとブーツの足音を立て、キラさんは私の隣へ来て空を見上げた。

 頭上には、満点の星と静かな闇が広がっている。

 目の前の手すりに体を預けながら、キラさんは唐突に、しかし柔らかい声音で聞いてきた。

 

「……少しはここにも慣れた?」

 

 私は少し考えながら、同じように手すりに手を乗せる。

 

「ええ、とりあえず。皆さんとても親切にしてくださいますし……」

 

 それは本当だ。

 私がザフトにいたことなど何でもないことのように、皆優しくしてくれる。

 いや、過去の経歴など、実際にここでは何でもないことなのかもしれない。

 大天使の名を持つ、この不沈の戦艦では。

 

 

「……でも時々、なんだか、不思議な気がするんです」

 

 

 けれどあえて否定の句を紡ぎ、深い闇を湛えた空を見ながら、私は言った。

 ずっと抱えていた、心の奥の気持ちを。

 

 

「私はまだミネルバにいて、目が覚めたらお姉ちゃんや皆がいる、いつもの日常がある気がするんです」

 

 

 ミネルバの事は知らないだろうけれど、私の話をキラさんは黙って聞いてくれた。

 

 

「何で自分がアークエンジェルにいるのか、わからないんです」

 

 

 私の声は、暗い色の空に溶けるように、頼りなく消えていく。

 

 

「今まで信じてきたものや、当たり前だと思っていたあの頃は、何だったのかなって。どうして、私はここにいるんだろうって」

 

 

 あの時、格納庫でアスランさんの手を取ったことは後悔していない。

 彼は追われるような人ではないから。でも。

 

 

 アークエンジェルを降りるように言われた時。

 何故私は、ここに残ることを選んだのだろう。

 

 

 置いていかれる不安や寂しさもあった。でも。

 本当の答えは、まだ出ていなかった。

 

 

「……何の為に、私はここにいるんでしょう」

 

 

 皆のいるミネルバを捨ててまで、どうしてここにいるんだろう。

 

 

 自問に近い私の呟きを聞いたキラさんは、降るような星空を見つめながらこう言った。

 

 

「……それは多分、知ってしまったからじゃないかな」

「なにを…ですか?」

「………世界を」

 

 

 その言葉は、声音や調子は変わっていないのに。

 

 

 二人だけの空間に、強く響いた。

 

 

 

「人はきっと、自分の外の世界を知ると、その場所に留まっていられなくなるんだと思う。……行き着いた場所が、その人にとっての居場所なんじゃないかな」

 

 

 キラさんは、まるで自分のことのように確信を持った言い方で続けた。

 争い事を好むような性格でない彼が、なぜ軍人として戦場に立ったのか。

 その時私はまだ知らなかったけれど、それが一つの答えである気がした。

 

 

「外の世界を、見て見ぬ振りもできるんだけどね」

 

 

 私の考えを知って知らずか、キラさんは自嘲するように苦笑する。

 

 

「知らない振りをする方が楽なのはわかってるんだ」

 

 

 夜空から夜の海に、視線が移る。

 

 

「でも、僕もアスランも、不器用なんだよね」

 

 

 暗くて曖昧な水平線を確かに見据えながら、キラさんは困ったように、けれどさっぱりとした印象を与える表情で、笑った。

 

 

 

「どんなに辛くても、その先にある未来から生まれる“何か”が、きっと欲しいんだ」

 

 

 

 ………そうか。

 何の為に、じゃない。大切なのは……

 今の自分が、何をしたいか。

 

 

「……ごめんね、変なこと言っちゃって」

「い、いえ、そんなこと!」

「じゃあ、僕はもう戻るよ。ゆっくり休んでね」

「あ、あの、キラさんっ!」

「え?」

 

 話を切り上げて戻ろうとするキラさんに、私は慌てて声をかけた。

 少し高い背が、ゆっくりと振り返る。その稀有な紫闇の瞳が、緊張した面持ちの私を映した。

 

 

 ……私は、もっと世界を知りたい。

 ずっと傍にあるのに知らなかった、本当の世界を知りたい。

 そしてこの場所で、私のすべき“何か”を見つけたい。

 アスランさんやラクス様……キラさんの、隣で。

 

 

 一度だけ深呼吸をして、静かに言葉を待つ彼に、私は告げた。

 

 

「キラさん、これからよろしくお願いします!」

 

 

 僅かに驚いたように目を見張った後、キラさんは花が咲くような笑みを浮かべる。

 

 

「こちらこそ、メイリン」

 

 

 そして、ほっそりとした掌を差し出した。

 共に歩んでいく為の、協定の手。

 その手を、私は強く握る。

 

 握り返された掌に微笑み合う私達を、星たちが優しく見つめていた。

 

 

 

 

END

 

 

 

 

 

ふと思い付いたキラの台詞から考えた話です。あまりにも文章が古すぎたのでかなり直しました。

メイリンがエターナルで働くまで、本編では描かれてませんが、きっと思う所が沢山あったと思うんです。

それを解決…というか、すっきりさせてくれるのは、DESTINYで悟りを得てしまったキラではないかと。

アスランはこの時、自分のことで精一杯でしたので。…というか、全編に渡って精一杯な感じでしたが(苦笑)

こういう時は、ラクスやカガリと言い、女性の方が強いのかもしれませんね。

 

至らない作品ですが、少しでも楽しんで頂けましたら幸いです。

ご拝読下さり、有り難うございました!

 

2011.11.24