ねがうものたち

 

 

 

 自分の選択に、後悔なんてない。

 だけど終わる瞬間、柄にもなく祈った。

 

 せめて、大事な人たちの最後は、優しいものであったようにと。

 

 

 

 

 気が付くと、少女は真っ白な空間にいた。

 

「……ここ、どこ?」

 

 頭の両側に結んだおさげを揺らして、少女は周囲を見回した。霧のようなものが、辺り一面に立ち込めている。

 何かわかるものはないかと、先の見えない視界に目を凝らす。

 すると白い空間の奥から、さくりさくりと、草を踏みしめるような音を立てながら、人影が近付いてくる。

 影の輪郭がはっきりしていく。

 現れたのは、一人の女性だった。はしばみ色の、女性らしい長い髪を肩で結わいて、腰のあたりにまで伸ばしている。耳は丸く、制御装置などを付けている様子はない。

 胸元には、他宗教のシンボルであるクロスが紐で下がっていた。

 

「……あら。こんにちは」

 

 こんな奇妙な空間にいるというのに、突然現れたその彼女は少女へ平然と挨拶をしてきた。

 

「………こんにちは」

 

 反射的に返して、少女は内心自問する。

 ……なに普通に挨拶してんだろ。アタシ。

 

「私は花喃って言うの」

 

 そう名乗り、花喃という名の女性はたおやかな笑みを浮かべた。柔らかな表情は、同性ながら見蕩れてしまいそうなものだ。

 なんとなく気後れしそうになりながら、少女は自分も名前を言おうとする。

 

「えっと……アタシは……」

「知っているわ。悟空くんの彼女でしょ」

 

 瞬間、少女は息を止めた。

 

「ずっとここから見ていたから知っているわ」

 

 続けられた言葉に「ああ、そうなの……」と納得しそうになるが、数秒遅れて思考が一気に動き出す。

 顔中に熱が集まる。少女は自分でもわかるくらいに、真っ赤になった顔で怒鳴った。

 

「か、彼女じゃないって!」

「でもキスしてたじゃない。しかも自分から」

「そ、それは確かにそうだけど……!」

「普通好きでもない相手に、自分からキスなんかしないわよねぇ」

「…………」

「どう?」

「…………」

 

 事実なので否定できず、少女は口を噤んだ。

 

「あなたのお名前は?」

 

 楽しそうに見つめてくる彼女に反論を諦め、少女は名前を答えた。それを聞いた花喃は「そう、いい名前ね」と朗らかに笑った。

 明らかな歳の差のせいか、それとも彼女の性格故か。

 なんだか会話の主導権を握られている気がした少女は、今度は自分から尋ねた。

 

「そういう貴女は、悟空の知り合い?」

「うーん、本人と会ったことはないから、知り合いではないわね。でも他の人のことなら知ってるわ」

「……って言うと?」

「あなたのとこに転がり込んだ、三人のうちの誰かの恋人よ」

 

 あ、死んでるから「元」ね、と彼女はにこやかな表情のまま付け足した。

 

「誰だかわかる?」

「う~ん……」

 

 少女は頭に、先日砂漠で拾った三人の男たちの姿を思い浮かべてみる。あまりにそれぞれ、個性的すぎた面々を。

 ……悟空は違うみたいだし、あの長い赤髪の彼もハズレだろう。軽薄そうな態度ばかり見せていたが、実は結構奥手な性格の気がする。特定の恋人とかはいなさそうだ。

 考えながら、目の前でにこにこしたままの彼女を見つめる。誰かと重なる笑顔。

 彼女に似た印象を持つ、モノクルをかけた男性。

 

「……もしかして、あのひ弱そうな兄ちゃん?」

「ひどいわねぇ。たしかに見た目は線が細いけど、でも悟能って意外と筋肉質なのよ?」

 

 背だって高いし、いざという時すごく漢らしいし、などとどんどん惚気とも言える話をし始める花喃に少女は確信する。

 間違いない、あの兄ちゃんの身内だ。この人。

 でも『悟能?』 確か悟空たちには『八戒』と呼ぼれていたような……。

 

 少しだけ疑問に思いながらも、まだまだ続く彼女の話を遮るようにして少女はかねてからの疑問を尋ねた。

 

「それで、ここって一体何なの?」

「あの世よ。仏教で言う、極楽浄土って所かしら」

「あの世……」

 

 自分で呟いた言葉が、実感となって体にのしかかってくる。

 死。先ほど眼前の彼女も話していた、命の終焉。

 

 

「……そっか。やっぱりアタシ、死んだんだ」

 

 

 あの時、爆薬を積んだ馬車で、人間たちのいるオアシスに突っ込んだ瞬間。

 自分の身体は粉々に砕け散って、世界からなくなってしまったのだ。

 

 

 ……兄も同じような場所に来たのだろうか。思い出したように、少女は周囲に首を巡らすが、この場所には自分と花喃しかいないようだった。

 彼を最後に見た日のことを思い出す。昼には戻ると言って、笑顔で出ていった兄。

 頭を撫でられた感覚。長い耳とトレードマークの帽子。

 今では生前と言えてしまう、時のこと。

 自分のいる世界の風景のせいか、事実を改めて認識した少女は、とてつもない虚無感に襲われた。

 

「……貴女は、どうしてここにいるの?」

 

 それを紛らすように、少女は同じ立場であるはずの彼女に死んだ理由を聞いてみる。

 動じた様子も見せずに、花喃は淡々と答えた。

 

 

「私、彼の目の前で死んだの」

「え?」

「彼の前で、お腹にナイフを刺して死んだの」

 

 少女の聞き返した声に、穏やかな表情のまま花喃は再度答えた。 

 柔らかな表情とは落差のある内容に、ひゅっと喉から小さく空気が漏れる。

 軽く混乱するが、「自ら死を選んだ」という自分との密かな共通点に、少女は内心どきりとした。

 

 

「自分で言うのもなんだけど、結構すごい絵面だったのよ~? 内蔵とか色々出ちゃって(笑)」

「………」

 

 

 凄惨なはずの情景をさらりと述べてしまうのは、やはりあの男性と似ている気がする。

 お茶目に笑う彼女にためらいつつも「……どうして?」と少女はたずねた。

 すると花喃は、微笑みの種類を変えて言った。

 

 

「彼を、愛していたから」

 

 

 答えは、シンプルだった。

 

 

「心の底から、愛していたから」

 

 

 それは嘘のない、まぎれもない真実しかない声音だった。

 

 

「私たちは双子の姉弟だったんだけど。でもそんなこととか関係なく、私は彼を愛していた。生まれて初めて、心から惹かれた人だった」

 

 

 しかし語りながら、花喃の口元には少しだけ苦さと悲しさの混じった、寂しい笑みが浮かぶ。

 

 

「でも彼の感情は、私のとはちょっと違った。……ううん。本当は同じはずだった」

 

 

 苦笑に似た表情に合わせ、瞳がすっと細められる。

 

 

「けど彼は私と同じ感情ものとは信じようとしなくて……私をあくまで自分の片割れだから、姉だから愛しているのだと、そう信じて疑わなかったの」

 

 

 彼女は一旦、目を閉じた。彼と似た印象を抱かせる瞳を隠して、そっと、苦く笑った。

 

 

「自分しか見えない人だったのよ。不器用で、我儘で、寂しい人だった。自分の眼に映る私しか、愛そうとしなかった」

 

 

 花喃の手がもどかしげに握られたのちに、胸の十字架に当てられる。

 そして手のひらは胸から下へと降りていく。ちょうど、彼女がナイフで自身を貫いた位置へ。

 

 

「だから彼の中に、私を刻み付けたかったの。大好きな彼に、忘れてほしくなかったから」

 

 

 腹部のあたりで、ぐっと花喃は指を曲げた。まるでその時の動作をなぞるかのように。

  自嘲じみた笑みを浮かべ、花喃は少女を見つめた。

 

 

「……歪んでいるかしら?」

 

 

 少し考えた末に、少女は首を横に振った。

 同じ女だからだろうか。その情念の一端は、少なからず理解できるように思えたのだ。

 

 

 ……自分だって、ある意味同じだ。

 誇りのために散るその瞬間、愛しく思った彼の瞼に己を焼き付けようと思った。

 悟空(かれ)がどう思うかなんて、お構いなしで。

 

 

 忘れないで欲しかったなんて、打算的な考えが、全く無かったわけじゃない。

 なんて、身勝手なエゴだろう。

 

 

「あなたは?」

「……アタシも、同じ」

 

 

 だから、その心のままに。少女は正直に答えた。

      

 

「そう」

     

 

 対する花喃の相槌は、どことなく労わりに満ちていた。

 

 

 

 爪の長い指で、少女は己の唇に触れた。

    唇の輪郭をなぞる。

 

 

 ……最後のキスを、覚えている。

 

  

 

 アタシの最初で、最後の。

 

 

 

 あの時、あいつ、どんな顔してたっけ。

 

 

 

「……悟空」

 

 

 最後に彼に触れた時と、炎の中、兄の帽子を拾い、まっすぐに顔を上げた彼を見た時の感情が、胸の奥で熱となってよみがえった。

 すると、空気の流れのなかった空間に、風が吹いた。

 どこからか吹いてきた突風が、周囲の霧を吹き飛ばしていく。

 思わず髪を押さえてやり過ごすと、視界の先で景色が開ける。

 

 

 

 二人の先には、青空と地平線が広がっていた。

 砂漠ではない、少女の知らない景色だ。

 少女と花喃は、鳥のような目線で地上を見下ろしていた。広大な風景は、どこまでも果てしなく続いている。

 そして、その下を、砂煙をあげながら走る一台の車。

 

「……あ」

     

 彼らだ。少女が気付いて身を乗り出した横で、花喃が得心したように笑んでいる。

 竜が変身したジープに乗っているのは三人。運転しているのはあの眼鏡の彼だろう。今は違う名を名乗る、隣の彼女のかつての思い人。

 その後ろにいるのは、二つの影。砂漠に沈む夕日のような、燃えるような赤い髪の彼。

 

 そして、アタシが初めて恋をした人。

 

 

 ……今はまだ、三人だけの背中だけど、

 そう遠くない未来に、一つ増えるだろうか。

 

 

「……あいつら、ちゃんと西に行けんのかな」

 

 

 彼らの小さな姿を見下ろしながら、ぽつりと少女は呟いた。

 

 

「……大丈夫よ」

 

 

 少女の心を読んだかのように、花喃は屈託なく笑った。

 

 

「だって、私が愛した人だもの」

 

 

 その笑顔は、少女が今まで見た中で一番綺麗な笑みだった。

 

 

「……うん」

 

 

 晴れやかな気持ちで、少女も口の端を上げた。

 二人は再び、進み続ける彼らを見下ろす。

 

 

 ……近いうちにきっと。悟空(かれ)にとって、大事なもう一人の人間(三蔵)とも、また会える日が来るだろう。

 

 

 その道を、その先の道筋を。アタシ達は見守ろう。見届けよう。

 

 

 もう声は届かなくても。姿は見えなくても。

 

 

 彼らの中で、記憶が、魂が生き続けている限り。

 

 

 

 

 ────願わくば、その旅路の先に光あらんことを。

 

 

 

 

END 

 

 

 

 

 

原作の連載当時(2008年ごろ)に思いついて、そのままお蔵入りしてた話です。

BLASTのアニメが放送している今、数年ぶりに最遊記熱がきまして、思い切って筆をとりました。

妖怪の少女ちゃんが「悟空が打ち解けやすいように外見を少しナタクに似せた」という設定を知って当時「!!!」となった思い出があります。

それもあって、なんとなく彼女たちの視点にナタクや観音の思いも重ねつつ書きました。

花喃の考えについては、峰倉先生が以前公式HPで書かれていた短編「独白」を参考にしました。

何はともあれ、また動く4人がテレビで見られて幸せな日々です。ありがとう公式!!!