蛇眼の武王と翼持つ者の邂逅

 

 

 

 己が選択を間違っていたとは思わない。

 そうでしか手に入らなかったものがあるし、それで生まれたものもある。

 では俺の選択に__あの出来事は必然だったのというのだろうか。

 

 

 冬の澄んだ冷たい空気が窓から入り込み、室内を満たそうとする。

 聖王国ルーンベールの若き王、カイネル・フランベルジュ・ガルディニアス十四世は、本を手に椅子に腰掛けていた。

 公務を終えた彼は、一日で唯一の自由時間を過ごしていた。

 壁には独特の形状の剣、東の国で言うところの刀が掛けられており、蝋燭の明かりに底光りして定期的に手入れされていることを窺わせている。

 机の上には、先刻女官が運んできた妹からの封書があった。

 

 

 “兄さん、お元気ですか? 

  リーベリアは三つの塔の機能が思わしくないようで、天候不順が続いています。

  昨日お母様の研究所跡地を調べたところ、人のいる形跡がありました。どうやら古代兵器を悪用している者がいるようです”

 

 

 丁寧な筆跡でしたためられた文章を見て、カイネルは左右で違う色の瞳を細めた。

 気になることがあるからリーベリア地方へと赴くと、彼の妹であるアイラ・ブランネージュ・ガルディニアスが告げたのは先日のことだった。

 その時のカイネルは、かつて言ったように彼女を引き留めることはしなかった。

 ただ無事で帰ってこい。その一言を言っただけだった。

 全てを知りつつも自分を送り出してくれる兄に、彼の妹は彼の右目と同じ赤い瞳を細め、ありがとうと笑った。

 女一人の旅は正直心配であったが、懇願されていたらおそらく負けていただろうとカイネルは思う。

 妹に弱いことは自覚している。

 

 

 彼女の向かったリーベリア地方では、フィリアス・セイラン・アストライアの三国会議が行われた後、エルフの国・アストライアの女王が行方不明となった。

 風の噂ではフィリアス王が殺害されたという話もある。

 長年睨み合いを続けてきた三国の、歴史的とも言える会談は決裂に終わったらしい。

 本来ならば、海で隔たれているとはいえ同じエンディアスにある国家同士だ。

 リーベリアに赴き、事の真偽を確認したい。

 しかし王に即位したカイネルには、前年の戦争で疲弊したルーンベールを立て直す責務があり、故国を離れることができない。

 事件の詳細を知ろうとしても、離れた土地に向かうことは不可能だ。

 それ故、世界を巡る彼女から、不穏な情勢の続く各国の動向を聞けるのは望ましいことであった。

 

 

 そしてもう一つ、彼が気になっていることがあった。

 祖国に帰ってきてから定期的に届いていた、ある友人からの連絡が途絶えたのだ。

 彼の妹やケンタウロス族の軍将は、かつて共に戦ったその少年のことを酷く気にしていた。

 彼女は彼が所属していたシルディアの騎士団団長にも便りを送ったが、安否はわからなかった。

 母の残した研究所や、世界の真理を探る彼女の旅は、誰にも何も告げず行方をくらました彼を探すためのものでもあるのだろう。

 弟とどこか似た、決して自己主張するタイプではないが、強い意志を秘めた少年を。

 

「…………」

 

 そこで思考を止め、カイネルは室内へ首を巡らせた。

 部屋の扉を開けて真っ先に目に入る場所には、肖像画が飾られていた。

 カイネルがルーンベールを離れる前に、兄妹三人で描いてもらった肖像画だ。

 まだ両目とも赤い色をした己の双肩で、今よりも顔(かんばせ)が幼い妹と弟が頬笑んでいる。

 

 

 ずっと三人で生きるつもりだった。

 魔術に精通した妹と優れた頭脳を持つ弟と、三人で国を統治していくつもりだった。

 旅立ちの前に交わされた約束は、どこで食い違ってしまったのだろう。

 

「いや……もう過ぎたことだ」

 

 カイネルは声に出すことで自身に言い聞かせ、記憶を閉じた。

 

 

 不意に、背中がざわついた。

 

 

 咄嗟に壁の刀を掴み、構え、気配を探る。

 生き物ではない。しかし、何かの気配が確かにある。

 耳鳴りのような感覚が、身体に警告を促している。

 室内は変わらず静けさを保っていたが、予感は更に迫ってくる。

 

 眼前に電流のようなものが、ちり、と奔る。

 

「?」

 

 四方に生まれたプラズマが、ちりちりと互いを結び合う。

 それは一瞬の前触れだった。

 

 ズンと体に圧力がかかり、部屋の中心に亀裂が現れる。

 

「!!」

 

 黒い穴は、カイネルを飲み込むようにどんどんその口を開けていく。

 

「何だこれは!!」

 

 カイネルは刀を支(つか)えにして引力の追随から逃れようとしたが、あえなく引きずり込まれる。

 抗う間もなかった。

 

 裂け目へ吸い込まれた彼は、どこにもない場所へと消えた。

 

 

 

 

 

 いつかしら、意識がはっきりしていた。

 何色とも形容し難い色の空間に、いくつも浮かぶ硝子の断片。

 天も地も存在しない。

 まさしく、混沌と言われる世界。そこにカイネルはいた。

 

「……どこだ……ここは……」

 

 カイネルは呟いた。すると彼の前に一つの存在が生まれた。

 

「驚いたな……」

 

 現れた人物から感嘆の囁きが零れる。

 変声期を過ぎた、少し高めの声だ。

 

「君がここに来るなんて……」

 

 カイネルの前に、大きな純白と漆黒の翼を持った、少年と言っていいくらいの男性が降り立った。

 闇に近い紫の髪をした彼は、眩しい程に白い上着をはためかせながら音もなく着地した。

 

 

「ここは二つの世界の狭間。本来ならばアクセスが出来ない場所」

 

 

 少年はカイネルを眺め見た。選別をされているようだった。

 

 

「……随分と心が揺れているね。それで君はここまで来てしまったのか。どうしてか……」

 

 

 考えるように遠くを見ていた彼は答えに至ったのか、数秒後、納得したように瞳を伏せた。

 

「……ああ……彼の命日だからか……」

「……彼?」

 

 少年の言葉の意味をくみ取れず、カイネルは聞き返した。

 

 

「君の弟。悪しき意思を封じた仮面の言葉に踊らされ、人としての幸せを見失った幼き王」

 

 

 返答を得た己の眼差しが、剣呑なものへと変わるのをカイネルは感じる。

 

 

「……貴様……俺の弟を愚弄する気か」

「真実の側面を言ったまでだ。実際に彼……ガラハッドが起こした歪みは酷く大きい」

 

 

 そして“彼”の名を捉え、いよいよ顔を顰める。

 

 

「一方的な軍事行為で、シルディアだけでなくエルフの里まで侵攻した。最後には機械皇帝とまでなった彼の末路を忘れたのかい?」

「__それ以上弟を愚弄するな!!」

 

 

 怒声で言葉を封じ、カイネルは剣を抜こうとした。

 

 

「__な!?」

 

 

 ___剣がない!?

 カイネルは腰元をまさぐるが、求めるものは何もなかった。

 黒い穴に引き込まれる際にもしっかりと握っていたのに関わらず、求めたそれは消失していた。

 

 

「君の探す物はここにはない」

 

 

 少年の冷静な指摘に、カイネルは視線だけを彼に向ける。

 

 

「あったとしても、この空間では意味を為さない」

 

 

 カイネルは彼を睨んだ。だが少年は敵意を感じさせず、温度の低い瞳で彼を見つめ返すだけだった。

 やがて怒気を抑え、カイネルはその少年に訊ねた。

 

「……ここはどこだ」

「ここはアストラル界。君がいた世界とエルデを繋ぐもう一つの世界。世界の傷や、次元の狭間。カオスゲートと呼ぶ者もいる」

「何が狙いだ? 俺の命か?」

「僕はここで世界を監視するのが役目だ。その点から見ると君の生死にはさほど興味はない。しかし折角会えたことだ。少し質問をしよう」

 

 少年は淡々とした口調と、僅かに高揚したような口調を混ぜ合わせながらカイネルに問うた。

 

 

「君は絶対的な運命が存在すると信じるかい?」

  

 

「……どういう意味だ?」

「君が選択したと思っていることは、全て決められていたことだとしたら?」

 

 

「全ての物事が、パズルのように決まっているのだとしたら?」

 

 

 カイネルは答えられなかった。少年の問いをどう解釈すればいいかわからなかった。

 

 

「陰と陽……二つのソウルから人の心が構築されているように、この世界は二分化されたエネルギーで成り立っている。光の勢力、闇の勢力。一方が増えたら一方がそれを覆い尽くす。ある程度まで文明が進んだら、それを壊すように争いが起こる。どちらかが繁栄することは決してない。常にバランスを保っている。……そう仕組まれているんだ」

 

 

 羽を広げたまま、少年は続ける。

 二つの色に分かれたそれは、彼の言う“光”と“闇”を象徴するようだった。

 

 

「この世界にはそのための鍵がいくつも存在している。君が目にしたことのある指輪もその一つ。ある少年は、それらを混沌の種と呼んだ」

「……双竜の指輪か!?」

「神器と呼ばれるものも、その一つ」

 

 

 カイネルは眼前の少年が口にした“ある少年”についてもっと聞きたかったが、少年は彼の様子を気にすることなく話を続けた。

 

 

「エトワールの三つ首の竜、カイエン島の海龍王、シルディアの獣魔王……それらは全て、この世を混沌へと導く一種のプログラムと呼べるだろう」

 

 

「この世界は、神の掌でつくられたパズルみたいなものだよ。完成する形が決まっている規則正しいピースの集合。ここで起きる全ての事象は、云わば“成るべくして成る”といったところか」

 

 

「……それが俺達のいる世界だと?」

 

 

 憤りのあまり、カイネルは掠れかかった声で少年に問い返した。

 

 

「たった一人の弟を殺し、妹を泣かせる……それが成るべくして成っただと!?」

 

 

 処理しきれない記憶がカイネルの頭に甦る。

 嘆きながら死んでいったガラハッド。

 大粒の涙を流した、アイラ。

 

 

「ふざけるな!!!」

 

 

 感情を露にするカイネルとは対照的に、少年は中立的な口調で言った。

 

 

「……歴史の大きな流れを、人は変えることはできない。あらかじめ規定された運命を組み直すには、あまりに矮小すぎる存在だからだ。生命と言うものは大概、そういうものだよ」

 

 

 皮肉る訳でもなく、少年は彼と世界にとってあるがままの事実を語る。

 

 

「君が選択したつもりでも、この世は神が戯れに創り上げたパズルに過ぎない。俯瞰して見ると、世界は予定調和のように同じ方向へと向かっている。一時は繁栄、一時は破滅へ」

 

 

 感情の揺れを感じさせない瞳で、二色の翼を持った少年はカイネルを見据えた。

 

 

 

「運命が全て仕組まれていたとしても、君はそのあやふやな人生に、誇りを持って生きていけるのかい?」

 

 

 

 少年の問いかけに、カイネルは答えられなかった。

 今彼が対峙しているのは、自身が存在する根拠すらも揺らいでしまいそうな、圧倒的な事実だった。

 

 

「……お前が言うことを、俺は否定できん」

 

 

 カイネルはオッドアイを細めて苦笑した。

 

 

「哲学などには疎い人生を歩んでいたからな…」

 

 

 妹ならば、もっと理論的に反論できたのではないかと思う。

 剣における強さを追い求めていただけの身には、荷が過ぎる問いだ。

 

 

「だが……例えそうだとしても」

 

 

 カイネルは傷を負った瞳に、この場にない己の刀に誓って顔を上げた。

 

 

 

「俺の人生を生きるのは俺だ」

 

 

 

「神じゃない」

 

 

 

 

 カイネルの答えに目を見張り、しばらく沈黙した少年は不意にふわりと微笑んだ。

 何処かで見たような、小さな蕾みが綻ぶような柔らかい笑みだった。

 

 

「それを聞いて安心したよ」

 

 

 彼の笑顔が、カイネルの心象風景で友のものと重なる。

 二つのイメージが一致した瞬間、彼に絶対的な力の波が襲いかかる。

 カイネルは己の存在が、今たたずむ世界から外へ急速に放出されようとしているのを感じた。

 

 

「……そろそろ時間だね。このチャンネルにはもうアクセスできないだろう」

 

 

 時空の渦の向こうで、少年は尚頬笑んだままカイネルに言った。

 

 

「君の選択の中に君の意志がある限り、君は迷うことはない。何処までも、己が道を歩むんだ」

「__待て!」

「恐れるな。君には聡明な妹もいる。彼女は百年に一人の逸材とも言える魔法使いだよ」

「待ってくれ!!」

「……ああ、彼から伝言だ。『姉さんによろしく』だそうだ」

「俺はまだ、お前の名を聞いていない!!」

 

 

「……僕という存在にとって名前は意味がない。それは僕個人に固有のものではなく、僕が担う役割に対して与えられるものだから。でも嬉しいな。名を持つ意味を問われるのは」

 

 

 人懐こい表情で、少年は心の底から嬉しそうに笑った。

 彼の両掌の指には、身覚えのある指輪が通されていた。

 

 

「僕の名はゼロ。二つの世界を見守り秩序を担う、次元の調停者。思いがけず会えて良かった。じゃあね、“カイネル”」

「___待てっ!!!」

 

 

 カイネルは手を伸ばした。己の名を呼んだ彼を引き止めようとした。

 彼の視界を覆うように、ゼロと名乗った少年の背の翼が広がり、光が炸裂した……。

 

 

 

 

 

「__っ!!」

 

 気付けば、彼は元いた自室にいた。

 腰掛けていたらしき椅子から立ち上がり、身体の緊張も解けやらぬまま辺りを見回す。

 黒い亀裂が生じたはずの部屋には、何の変化も起きていなかった。

 しかし、カイネルの中には、次元の狭間での記憶が確(しか)と刻まれていた。

 

 

「今の、あいつは………」

 

 

 二つの龍が彫られた指輪。魂を繋いだ戦友。

 控えめに頬笑んだ、笑い顔。

 

 それら全てに、カイネルは心当たりがあった。

 

 

 

「_____シオン?」

 

 

 

 彼の足元に何処からともなく、二つの羽根が舞い降りた。

 

 

 

 

END

 

 

 

二年位前からずっと構想していたシャイニング小説、漸く形に出来ました。

私がこのRPGに出逢ったのは言わずもがな保○さんがきっかけでしたが、キャラクターやTonyさんの絵に惹かれ、ゲームをプレイする前から小説や設定資料集を買ってしまいました。

それらを読んで初めて知った、この「シャイニング」シリーズの裏設定。

一言では説明できない非常に難解なそれらに、すごく心が動きました。

ファンタジー色を色濃く持っているのに、尚かつ宇宙論や社会システム論の併存する世界。

そこで生き、運命に抗い続けるシオンと仲間たち。

本編で明かされていない情報の多さと彼らの隠された役割に、あっという間にファンになってしまいました。

 

シャイニングシリーズそのものが、どちらかと言うとマイナーな部類に入る上に、この設定が今のところ澤田剛さんがプロデュースした「ティアーズ」「ウィンド」に限定されたものであるため、この短編はファン以外の人にとって非常にわかりにくいものかと思われます。

シャイニングに興味を持たれた方や、世界背景をもっと知りたい方は、ゲーム本編、またはアニメ「シャイニングティアーズ×ウィンド」を見て頂けると、よりお話を理解できるかと思います。

 

と、色々補足が長くなってしまう説明不足な話ですが、シャイニングファンの方にもそうでない方にも、少しでも楽しんで頂けるものであったら幸いです。

最後まで御拝読下さり、有り難うございました!!

 

2010.7.30