飼い馴らされたもの

 

 

 

 データ設定を保存し、画面を終了させる。コクピットを開くと、詰まっていた空気が外に流れ出る。ささやかな開放感に、ジュリエッタは短い髪をかき上げながらコクピットから顔を出す。

 

「やあ」

 

 独特のくぐもった声に眼下を見ると、背の高い仮面の男の姿があった。

 

「調整は終わったのか?」

「ええ。もう完了です」

 

 答えながらジュリエッタはバネの要領で体を持ち上げると、機内から出る。宙でくるりと一回転をし、軽やかにタラップに降り立った。

 

「身軽なものだな」

「これくらいは当然です。身のこなしには自信がありますから」

 

 感心した様子の男に対し、ジュリエッタは胸を張る。

 

「……前にイオク殿が、君のことを『猿』と言っていたな」

 

 だが続いた言葉と名前に、彼女は憎々しい表情を作る。あからさまな態度だ。

 

「人を動物呼ばわりとは……私から見れば、イオク様こそ考えが浅はかと言わざるを得ない時がたびたびあります。変に前に出ようとするし、動物よりもタチが悪いです」

「ほぉ、仲がいいんだな」

「ふざけているのですか?」

 

 じろりと睨むジュリエッタにヴィダールは「おっと、こわいこわい」と肩をすくめてみせる。

 男は仮面の顎に当たる部分に指をあてて、改めて考えるそぶりをする。

 

「君はどちらかというと、猿より犬だな」

「犬?」

 

 ジュリエッタは怪訝そうな目つきでヴィダールを振り返る。だがすぐにいきり立つことはなく、息をついてから尋ねた。

 

「……理由は?」

「忠誠心の強いところだ。……知っているか? 犬という生き物はとても忠誠心が強い。主人の足音がすると、庭で駆け回っていても玄関まで走ってきてじっと待っている。止めない限り、主人の行くところをどこまででもついてくる。主人が溺れていると思ったら、我が身をかえりみず水に飛び込み助けようとする。なかには死んだ主人をいつも待っていた場所で、何年間も待ち続けたという話があるくらいだ」

 

 仮面の奥の視線が、自分をとらえたのをジュリエッタは悟る。その眼差しを見ることはできないが、少なくとも揶揄するようなものではない。彼が時々向けてくる奇妙な(しかし不快ではない)ものであることは肌で感じていた。

 

「君が以前話していたことなどから、そう考えたんだが。本意ではないか?」

「……いえ、そういう理由であれば納得です。言われてみると、私はたしかに犬と近いかもしれません」

 

 ジュリエッタは愛機を見上げる。己の力の証、自分専用のレギンレイズ。

 

「髭のおじ様とラスタル様が、野良犬も同然の私を拾いここまで育ててくださった。私はその好意に報いなければならない。私の存在理由はお二人のため。お二人への恩をお返しするためならば、私は何でもします」

 

 ヴィダールがポツリと呟いた。

 

「…………忠犬」

「はい?」

「君のような主人に忠実な犬のことを、そう呼ぶんだよ」

 

 トーンを落とした言葉に聞き返すと、仮面越しのくぐもった声が続けた。

 

「君はそのままでいいんだ。君はそのまま、君にとって一番大事な人を想っていればいい。それが君の目的への最短の道だ」

 

 ジュリエッタは数瞬不思議そうな顔になったが、ふんと鼻を鳴らす。

 

「言われなくてもそのつもりです」

 

 そうか、と相槌を打つとヴィダールは先に歩き出した。彼を追いあとに続くジュリエッタは後ろから話しかける。

 

「貴方は相変わらず、多くを語ろうとはしませんね」

 

 不揃いの足音が艦内に響く。

 

「変に饒舌になったかと思えば、人を煙に巻く態度ばかり。その仮面の奥の真意は、誰にも見せていらっしゃらない。私にもラスタル様にも」

「不満かな?」

「……実力はこのあいだの戦闘で拝見しましたし、不満とまでは。ただ正直に言いますと、私の中には貴方への不信感がまだあります」

 

 良くも悪くも自分の感情に素直なジュリエッタにとって、その返答はいまだ手の内を明かさないヴィダールへの意趣返しでもあった。

 上官に該当する立場の人間に、失礼な態度であることは承知の上だ。だがどうせまたはぐらかされて終わりだろう、とも彼女は思っていた。

 仮面の角度が傾く。一歩先を行く彼にどんな反応をされるかと思いきや、ジュリエッタは目を見開く。仮面の奥で、ヴィダールが小さく笑う気配がした。

 

「……それでいい」

「え……?」

「それでいいんだ」

 

 その口調が、存外に優しげなものであったから。虚をつかれたジュリエッタは立ち止まる。そのまま歩み去る彼の背中を見送る。

 見えなくなってから、ふと気付いた。

 

「……あの方は、何のご用で来たのでしょう?」

 

 

 

 

 

 

「君たち鉄華団は面白い組織だな」

 

 数時間に渡る話し合いの後、マクギリスはしみじみと言った。同席していた人間のうち、すでに副団長たちは退出している。場にいるのはオルガと三日月だけだ。

 

「君は以前、団員のことは全員家族だと言っていただろう」

「……ああ」

「家族は個人にとって、もっとも身近な社会的共同体だ。故にそれが失われることは、すなわち個人が社会とのつながりをなくすことと同等の意味を持つ」

 

 マクギリスは、トンと一度指で机を叩く。

 

「シンプルだ」

 

 彼の演説じみた話に、オルガはやや怪訝そうに、三日月は無感動な表情で耳を傾ける。

 

「己の命と、よりどころである場所が奪われる恐怖、脅かすものへの怒り、安寧への希求と渇望。その感情の名前は団員それぞれだろうが、家族という共同体への執着が、鉄華団の根底にあるエネルギーのひとつかもしれないな」

「そんな理屈めいたことを語られても、正直ピンとこねぇな。俺たちはただ、自分たちの場所を勝ち取るために戦ってるだけだ」

「わかっているさ。私が言いたいのは……君たちの価値観の根底は『情』にあるということさ」

「……情?」

「ああ。情はシンプルでありながら、最もややこしいものだ。組織をまとめる上で皆が同じ感情を抱いている場合は事が運びやすいが、情に重きを置きすぎると価値観がぶれてくる」

「ぶれるって?」

「例え話だが……あるところに、一匹の犬がいるとする。賢い犬だ。猟犬として非常に優秀で、命令すれば、牧場を荒らす獣の喉笛を食いちぎることも厭わない。主人の命令ひとつで、忠犬から狂犬にもなりうる強い犬だ」

「狂犬……」

 

 オルガは思わず、ちらりと隣を見る。「何?」と問うた片目に「いや」と小声で返す。

 

「だがその犬は、長い間仕えていた前の主人を亡くしていた。それ故か、ほかの人間には見向きもしない。ただ死んだ主人の命を全うしようと牧場を守るだけだった。だが一人の男が、彼を御することに成功した」

「ぎょする?」

「飼い馴らす、と言った方がいいか」

 

 マクギリスはとうとうと話す。

 

「優秀さに目をつけた男は、その犬を自分の手元に置いて飼い馴らすことに成功した。犬は以前の主人が忘れられなかったが、男の命令には従順に従った。だがある時、牧場を狼の群れが襲撃した。外に出て追い払おうとした男を、一匹の狼が襲った。しかし間一髪のところで、犬が男を庇った。ともに生活する中で、犬は男のことも主人と認めていたんだ。狼を追い払ったあと、男の前には瀕死の重症を負った犬が横たわっていた。……さて、男はどうしたと思う?」

 

 オルガと三日月は顔を見合わせる。互いに肩をすくめるのを見て、マクギリスは回答を述べた。

 

「犬を助けるために、自分の大事な牧場を売り払ったのさ。家畜も猟犬も他にたくさんいるにも関わらず、その一匹を助けるために全てを捨ててしまった。飼い馴らしていた犬に、情が移ってしまったんだ。……その結果、それまで彼が重んじていた価値観からはありえない行動をとることとなった」

 

 マクギリスの意図するものを察してか、オルガは渋い表情になる。

 話の途中から口に含んでいた火星ヤシを飲み込み、三日月は淡々と言った。

 

 

「それは……その人の方が、飼い馴らされたんだね」

 

 

 マクギリスはわずかに驚いた表情になると、興味深げに眉を動かした。

 

「……なるほど、君の言う通りだ」

「つまりアンタの言いたいことは、助けを求める奴がいても、それに応えるばかりが得策ばかりじゃねーってことか?」

「見限ることも選択肢の一つということだ」

 

 やや喧嘩腰のオルガの問いかけに、マクギリスは落ち着いた様子で答える。

 

「情で考えれば、男の行動は理解できるものだ。だが大局的な視野で考えてみたら、けして褒められたものではないだろう? 鉄華団の団長、オルガ・イツカ」

 

 大勢の団員を率いている身としては、頷かないわけにはいかない。だが情に厚い彼の性質としては、納得のいかないものもあるのだろう。オルガは面白くなさそうに顔をしかめる。

 

「君たちも気をつけた方がいい。情というものは、時に身を滅ぼしかねないからな。特に今、テイワズの傘下である君たちの立場は非常に難しい。義理と目的のあいだで、くれぐれも潰されないようにな」

「……肝に命じておくよ」

 

 苦みばしった顔で答えるオルガと、その先で不敵に微笑むマクギリスを、三日月は視線だけで見比べた。

 

 

 

 

 

 

 数日後のこと。アトラの運転する車でクーデリアの元を訪ねた三日月は、二人(とハッシュ)に件の話をした。もっとも、マクギリスに聞いたものより、話の詳細はかなり省かれていたが。

 話を聞き終えたハッシュは、渋い顔つきになる。

 

「その人の言いたいことは何となくわかるっすけど……なんか納得いかないっつーか」

「すっきりしないのは確かだよね」

 

 組織を運営するって、色んなことを考えなきゃいけなくて難しいけど、と彼にアトラが同意を示す。

 

「飼い馴らすことも飼い馴らされることも、別にダメじゃないと思うんすよね」

「そうですね……悪いことではないのでしょう」

 

 意見を肯定されてか、やや力強い口調で続けたハッシュに対し、クーデリアは紅茶のカップを膝のソーサーに戻す。

 

 

「けれどすべての人が納得する答えが出せない以上、私たちは選択をしなければならない。そのとき情が視野を曇らせてしまうのも、また事実です」

 

 

 カップの底に目線を落とす彼女の顔を、アトラが「クーデリアさん?」と覗き込む。

 

「……私も蒔苗先生の元にいた際、地球に残るか火星に戻るかで、だいぶ迷いましたから」

 

 と、ゆるく微笑し言葉を添える。そっかと言ったアトラだったが、クーデリアの瞳はここではない場所を見ていた。

 

「……情が何よりも勝ってしまったとき、人は理性では理解しきれない行動に出てしまうのでしょうね」

 

 そしてどこか寂しげな口調になる。その言葉に誰かを重ねているのは明白だった。

 不思議そうに首をかしげるハッシュの横で、三日月は思い至る。彼女の背負う、一つの名前。

 

 

「でもさ、その犬は幸せだったんじゃないかな?」

 

 

 腕は片方しか動かない。向かい側に座る彼女を、どう慰めようかと考えたところで、アトラが少し身を乗り出して言った。三日月は尋ねる。

 

「どうして?」

「だって、それだけ大切だと思える人に出会えたんでしょ?」

 

 アトラはやさしく微笑む。

 

「悲しい結果になっちゃったかもしれないけど……でもそれってその犬にとっても、男の人にとっても、幸せなことだったんじゃないかな。命を賭けられるくらいに大切な存在だったんだから……私がその犬だったら、その人を守れて嬉しかったと思うよ」

 

 アトラの労わりとあたたかさを秘めた視線に、刮目していたクーデリアも微笑する。ささやかな祈りを込めて。

 

 

「そうですね……私もそうであったらいいと思います」

 

 

 微笑み合う二人を眺め、三日月は口元を少しだけ上げる。ハッシュが目を瞬かせる部屋の隅には、クーデリアとともに映る一人の人物の写真があった。

 

 

 

 

 

 

『お前は犬みたいな奴だな』

『犬……ですか』

『おっと、犬と言ってもな、賢い忠犬の類いだ』

 

 あけすけな言葉に、青年は沈黙し視線で意味を問うてきた。『今は待ったの姿勢だな』と内心考える。

 

『知ってるか? 犬は忠誠心が強くてな、主人の足音がすると、玄関まで走ってきてじっと待ってるんだ。止めない限りどこまででもついてくるし、主人が溺れていると思ったら、我が身をかえりみず水に飛び込んで助けようともする。地球に伝わる話では、死んだ主人を何年も待ってたって話があるくらいだぞ』

 

 後ろの彼を振り返る。澄んだまなざしが見返してくる。その汚れない視線が好ましい。

 

『お前もそれだな。真っ直ぐで、一途で。この腐った組織の中で、ただ一人の主人のために戦っている』

『……私はただ、クランク二尉の無念を』

『そんなに思われてるんだから、お前の上官も幸せだろうさ』

 

 その言葉に青年は戸惑うような、苦しいような表情を作る。だが涼しげな目元を和らげ、確かにはにかんでみせた。

 

 

 

 

 

「……あの頃のように、ただ一人の主人を想っていればよかったのに」

 

 

 脳裏にいつかの記憶がよぎる。仮面で隠した目の奥がにぶく痛む。

 

 

「なぜ俺に情を移したんだ、アイン」

 

 

 男の呟きを拾う者は、誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初の鉄血のオルフェンズの短編です。

はじめは「アインはなんだか犬に似ているな」と思ったことから、ガエリオとアインの関係を掘り下げるつもりで書き始めた話でした。

「飼い馴らされたのはアインではなく、ガエリオだった」というのが主題で、一期放送時に原型は書いていたのですが、本編の結末の悲惨さに落ち込んだためにお蔵入りしました。

しかし二期でガエリオが(多分)復活し、ジュリエッタとの新たなコンビにときめきつつ、彼女とアインが似ていることから改めて二人の関係を書きたいと思い再度筆をとりました。

結果、気がつけば色んな人が出てきていました。アトラとクーデリアは当初の予定ではいなかったのですが、フミタンとの関係も絡めて書けたので満足です。

 

なおヴィダールがジュリエッタの元に来た理由は、特に考えていません。構いにきたけど、彼女が自分にほだされつつあるのであえて距離をおこうとした結果、ああなったのではないかと。彼は彼女に構うことを密かな楽しみにしてそう。

 

ご拝読くださり、ありがとうございました。

 

2016.12.16