ビコーズオブユー

 

  

 

 飛行船のプロペラが回る音が、ガラス越しに響く。ラウンジに座り、夕焼け空から夜の色へと変わっていく景色を眺めていたゴンとキルアに「よぅ」と声をかけたのは、クラピカを伴ったレオリオだ。

 

「あ、レオリオ。もう大丈夫なの?」

「ああ、心配かけたな。傷跡も数日経てばすぐ消えるだろうしな」

 

 まだ蛇の噛み跡が残る顔だが、レオリオは元気そうに笑ってみせる。

 

「ゴン、お前も大丈夫か?」

「うん! 全然平気!」

「そうか、安心したぜ」

 

 両拳を掲げて健在をアピールするゴンに、レオリオは改めて胸を撫で下ろす。

 当時同じ現場にいたクラピカが、冷静な口調の中にたしかな安堵を滲ませながら言う。

 

「二人とも、思っていたより回復が早くて良かったよ」

「ほんと。普通それだけ噛まれたら、数日は寝込むぜ?」

 

 一方、結果として三人と別行動になり、人伝いで事情を聞いていたキルアは、呆れた態度を装いつつ二人の顔色を観察した。

 本人たちの弁通り、今は大丈夫そうであることを確認すると、大げさに息を吐いてやれやれ、と言ったポーズをとった。

 

「そんな回復早いのは、やっぱ野生児だから?」

「え? 野生児?」

 

 目が点になるゴンの横で、レオリオが発言に噛み付く。

 

「おいおい、ゴンはともかく、オレは今時の都会っ子だぜ。ま、お前たちとは鍛え方が違うんだな」

「どーだか。マラソンで一番最初にへばってたのは誰だっけ」

「ほー。そんな生意気なことを言うのは、このお口かな? ん?」

「い、いて、いてて! ひゃめろ(やめろ)〜!」

「やめないか、レオリオ。大人げない」

「ね、オレ、さっき、もしかしてバカにされてた?」

「いやいや、そんなことはないぞ、多分」

 

 いまいち納得いかない顔をしたままのゴンをなだめつつ、クラピカは机の向かい側に腰を下ろす。

 ゴンはなおも頭をひねっていたが、最終的に「まぁいいか」と結論づけ、飲み物の注文を終えたクラピカに話しかける。

 

「でもクラピカってすごいね」

「ん? 何がだ?」

「だって、レオリオに注射するとき、すごく手際良かったから!」

 

 ゴンが指したのは、バーボンの罠にはまったレオリオに解毒剤を注射した時のことだ。

 あの切羽詰まった状況で、クラピカは的確にレオリオの傷だらけの腕から静脈を探し、手間取る様子もなく解毒剤を注射してみせた。

 ポンズはわかる。毒を扱う薬使いとして、身につけなければならない必須技術のためだ。

 しかしクラピカは一般人。一族に伝わる武道と、独学で身につけた知識とそこから導き出される判断力を武器にしている。博学とはいえ、やっぱりすごいよね、とゴンは心底感心した様子だ。

 命を救われた側のレオリオも「たしかに、一発で決めたしな」と彼を見る。

 だが褒められたはずのクラピカは曖昧な様子で、視線を逸らした。

 

「まぁ、何度かやっていたことだからな」

「え?」

 

 意外な言葉に、ゴンは思わず聞き返す。

 

「私はあまり医者にかかることができないからな」

 

 思いがけない告白に、クラピカ以外の三人は黙る。

 沈黙を憚らず、テーブルに注文された品が運ばれてきた。レオリオのコーヒーとクラピカの紅茶だ。店員に礼を言ったクラピカは、紅茶に添えられていたミルクを開ける。

 パキ、というプラスチックが折れるかすかな音に、我に返ったように三人は顔を向ける。その空気を察したクラピカは、困ったように微笑した。

 

「もしかして、それのせい?」

 

 あえて遠慮なく、キルアはクラピカの瞳を指差してみせた。碧に隠れた、本来の色。クラピカの感情をまざまざと映し出す、世界でも稀有な緋色。

 紅茶にミルクを注ぎ終えたクラピカは、こくりと頷いた。

 

「私の場合は、下手に身の上を知られると、色々と厄介なことになるかもしれないからな。いざという時は、自分でやるしかない」

 

 ティースプーンでかき混ぜ、底が見えていた紅茶が薄い茶色へと変わる。スプーンをソーサーに置いた後も、カップの中で残ったミルクがゆっくりと渦巻いていた。

 

 

 ……クルタ族であることを知られると、クラピカは狙われる可能性がある。

 世界でただ一人、襲撃を生き残った唯一の存在。現存するただ一つの「生きた緋の目」。

 売れば金になる。医療者とはいえ、そんな下心が全くないとは言い切れない。そんな輩に独特の響きを持つ名前や、外見の特徴を知られるだけでも、クラピカにとっては大きなリスクになる。

 だからたとえ医者であっても、簡単に信用するわけにはいかないのだ。

 人間は簡単に手のひらを返す。それをこの四年間、嫌というほど見てきたクラピカは、自分の素性がなるべく露見しないようにしていたという。

 そうして彼が得た結論は、出来る限り、秘密を知るものは少ない方が良いという、一つの真実だった。

 

 

「……だから、なるべく健康管理にも気をつけているつもりだ」

 

 とつとつと語ったクラピカは、少し重くなってしまった場を気遣ってか、ふっと口元の力を緩めて付け加えた。

 何でもないことのように続けるのが、逆にその場にいた者の心を少なからず痛めた。

 神妙な表情でキルアはそっぽを向き、レオリオはやり切れなさそうな顔で隣のクラピカを見つめる。

 慰める代わりにとでもいうように、レオリオは彼の肩に手を置こうとした。そして分不相応であることに気づき、やめた。

 

「そっか……」

 

 話を振った責任を感じたのもあり、ゴンはしばし同情するような、悲しいような複雑な表情をしていた。

 だが、やがてぽんと手を叩いた。名案とばかりに。

 

 

「そうだ! だったら、レオリオがクラピカのお医者さんになればいいんだよ!」

「「え?」」

 

 

 二人の声がそろった。同じくあっけにとられたキルアも巻き込み、ゴンはさらに続ける。

 

 

「レオリオは元々お医者さんを目指してるんだし! それならいいよね? ね?」

 

 

 その言葉が意味することを理解し、キルアは愉快そうに笑い出す。

 

 

「ははっ、いいじゃんそれ! 『命を救われた恩を医者になって返す』っていう理由もあるしね」

「そうそう! それで貸し借りもなし!」

「主治医と患者か。ま、今の段階じゃ、まだ立場逆転してっけど」

 

 

 年下二人の楽しそうな声が響く横で、レオリオとクラピカは顔を見合わせる。

 仮にもマラソンの時、一番最初に夢と目的を話した相手だ。二人はおたがいの顔を、まじまじと見つめた。

 

 

「で、どうなの? お二人さんは」

 

 

 キルアがからかうように、ニヤニヤと笑いながら尋ねた。

 レオリオは照れくささを持て余すように、髪をボリボリ掻きながら答える。

 

 

「まぁ、オレは別に構わないけどよ……」

「私も……特に問題はないが……」

 

 

 そこまで言ってから、ハッと我に返ったようにクラピカは表情を引き締めた。

 湧き上がる感情に緩みそうになる頰を、必死に保つ。

 

「……しかしその前に、私は君が医者になれるか不安で仕方ないよ」

「何だって?」

「大事な最終試験に、カンニングペーパーを作っているようではな」

「げっ」

 

 もっともな言葉に、レオリオはすでに没収されたペーパーを入れていた腰のあたりを、つい両手で触ってしまう。正直な反応に、クラピカは大仰な溜息をつく。

 

「そんな調子では、医者どころか医学生になるのもまだまだ先だろう。一体いつになることかな」

「くそ〜。医者になったら、身内のよしみとか関係なくぼったくってやる」

「おー、そのセリフ、すごく金の亡者っぽい」

「おうよ!」

 

 悪い顔をしてみせるレオリオだが、クラピカはおかしそうに笑った。

 偽悪的なことを言っていても、いざその場面になったらきっと金のことなど二の次で、誰にでも救いの手を差し伸べるに違いない。そんな様子が、いとも簡単に想像できたからだ。

 口元を手で隠していたにも関わらず、レオリオはクラピカの笑みに目ざとく気づき「何笑ってんだよ」と聞く。それにクラピカは「呆れただけだよ」と返す。

 

 

 ずっと探していたもの(ひと)がここにあったなんて、誰が思っただろうか?

 

 

「仕方ねぇから、今から予約はさせておいてやるよ。ただし、特別診察料を付けてやるからな」

「その時が来たらな。健康診断にでも利用させてもらうよ」

「……えーっと、とりあえず、OKってことでいいんだよね?」

「じゃね? でもクラピカの方が注射上手そうだし、レオリオ、医者になったらクラピカに手伝ってもらえば?」

「「それは断る!!」」

「あ、また揃った」

「たく、仲が良いんだか悪いんだか」

 

 

 まだ形を為していないレオリオの、そして誰かの夢を話題に、一同は話を続ける。

 減らず口を叩き合う場に、もう悲しい空気は流れていなかった。

 

 

 

 

 

 部屋の端に備え付けられたその場所に、レオリオは腰を下ろす。

 目の前の寝台には、布団に沈んでいるクラピカがいる。ばつが悪そうに身を僅かに小さくさせる彼にため息を吐いて、レオリオは鞄を広げる。

 中身はかつてと違い、すぐに聴診器や血圧計が取り出せる構造になっていた。

 手早く、だが丁寧に診察をして、レオリオは診察の結論を述べた。

 なるほど、と頷いたクラピカに対し、レオリオは眉を潜めてみせる。

 

「……なぁ、お前わかってんのか?」

 

 掛け布団の間から覗く手を取る。冷たいそれは細さゆえに血管が目立つ。傷だらけの手のひらを、強く、だがいたわりを忘れずに握りしめる。

 

 

「オレはダチを看取るために医者になった訳じゃねぇんだよ。……無茶しすぎだ。バカ」

 

 

 こうべを垂れるレオリオはどこか泣きそうな顔をしている。それを認めて、クラピカの口は自然と謝罪を紡ぐ。

 

 

「その言葉、今まで何度聞いたか。生き急いでんじゃねぇよ」

「……あの頃は、確かにそうだった」

 

 

 握られていただけの手に力を入れて、クラピカは指を動かす。節の大きなレオリオの指の隙間に指先を滑らせ、絡める。

 

 

「でも今は、君がいるからだよ」

 

 

 クラピカは微笑んだ。血の気はやや失せていたが、かげりのない綺麗な笑みだった。

 

 

「ねぇ、レオリオ先生」

 

 

 握り返した指に応えるように、さらに力が増した。

 

 

 

 

END

 

 

 

 

 

 

タイトルは「君のせい」。

以前から職業柄「クラピカの注射の手際、上手すぎるだろ…」と思っていて、それがなぜかを考えた結果書き始めていた話でした。

まさかの本誌であんな展開(詳しくは感想にて)になったため、救いが欲しくて、エピローグに当たる部分を書き足して形にしました。

……二人には幸せになってほしいです。

 

 

2017.8.28