……夢を見るとは、どういうことなのだろう。

 遠い未来のことか、過去のことか。

 どちらを指すのだろう。

 ……それとも、どちらも?

 

 ……では『今』は夢でないと、果たして言い切れるのか。

 

 

 

 

「……花の匂いがする」

 

 クラピカに顔を寄せたレオリオが、唐突に言った。

 まどろんでいた意識を持ち上げ、クラピカは目蓋を開ける。

 

「……それはそうだろうな」

 

 事務所の一室。クラピカの私室でもあるその部屋には、昼間花屋から受けとった花がある。シンプルな花瓶に生けられたそれは、小さな空間を甘い独特な香りで満たしていた。

 だがレオリオは、

 

「いや。部屋もだけど、おまえが」

 

 と添えた。

 クラピカはベッドで横になったまま、目を丸くする。

 

「……そうか」

 

 きっとここに来る前、ずっと祭壇にいたから。

 

 クラピカが答えると、レオリオは「そうか」と短く言った。

 

 

 ……仲間達の弔いに、クラピカが花を供えるようになったのはいつからか。

 多分、初めて緋の目を取り戻した時からだ。

 物言わぬ姿になってしまった彼らのためにしてあげられることなど、何もないクラピカにとって。それはせめてもの贖罪の形であった。

 生ける花は、できるだけ彼らの好きだった花を選んだ。

 彼らと住んでいた、故郷の森でしか咲かない花もあるために、似ているだけのものも多い。

 遠く離れたこの場所では、ルクソ地方の植物はなかなか手に入らない。ましてや花などはなおさらだった。

 その申し訳なさをも含むように。祭壇を埋めるたくさんの花を、クラピカは定期的に購入していた。

 

 今日の午前中、なじみの花屋からクラピカの元に来た連絡は、いつものように注文の花を用意したことを知らせるものだった。

 そう。過日全てを終えたのに、花の注文を止めることを忘れてしまっていたのだ。

 

 仲間たちを故郷に返した今、もう花を買う必要はない。

 しかし注文をキャンセルする気になれなかったのは、未練故だろうか。

 結局、以前と同じように、クラピカは花屋に赴いた。そこで見つけてしまった。見覚えのある花を。

 気がつけば、クラピカはそれを購入していた。手向ける相手のない花を。

 

 買ってしまった花は、事務所や部屋に飾った。

 部屋に飾り切れない分は、空になった祭壇に置いた。

 そしてそこで何度もしたように、クラピカは長い時間、一つだけ置いた椅子に腰かけていた。もう何もない、祭壇に向かって。

 

 

 ……その花の香りは、酒よりも、煙草よりも、レオリオの付ける香水よりも、クラピカの体に染み付いていた。

 そのことに気付いたレオリオは、クラピカの頭を撫でる。まるで慰めるかのように。

 そのまま梳くように指を髪の間に通すと、耳の近くを撫でながら、手のひらで髪を持ち上げる。

 金色の髪の束を、口元に寄せた。 

 ふと再び距離が近くなったレオリオの身体から、彼のつける香水が漂った。

 二つの匂いが、二人の鼻先で混ざる。

 悲しいとも切ないとも、なんとも言えない表情でクラピカを見ていたレオリオだったが、やがて身を動かした。

 先刻より力強く身を引き寄せると、激しくキスをしかける。

 それに少なからず驚いたクラピカであったが、彼の行為を、黙って受け入れた。

 

 

◇◇◇

 

 

「————見つけた!」

 

 草むらの中に目当てのものをまた見つけ、クラピカは歓声を上げる。指先で根元をたぐり、それを採った。

 クルタ族が住んでいた深い森には、時折木が少なく、草原が広がっている場所がある。

 そのうちの一つに、クラピカはいた。

 森の中だが空が広く感じられ、時折友人とこっそり探検やピクニックに来る、お気に入りの場所だ。

 背の高い樹々ばかりの森にはない植物が、草原では季節ごとに様々な花を咲かせる。

 クラピカの目的はその一つ。母の好きな花だ。

 

 今日は、母の誕生日なのだ。

 顔も性格もクラピカとよく似ている母は、この場所で咲くその花が好きだった。

 前に聞いた話では、昔(今より若い時よ、とのこと)父がくれた花だとか。

 だからとっておきのプレゼントにするべく、幼いクラピカはそれを集めている。手折るたびに茎がぷちりと音を立てて、かすかに指を湿らせる。

 顔を寄せると、鼻孔をくすぐる甘い匂い。思わずふふっと笑いが溢れる。

 これだけ集めれば、母も喜んでくれるだろう。

 

「クラピカー」

 

 聞き慣れた声に、顔を上げる。

 赤い服。こげ茶色の髪。幼馴染のパイロだ。

 

「そろそろ帰ろうー?」

「うん!」

 

 家の方向で手を振る彼の元に、クラピカはかけ出す。

 両手いっぱいに花を抱え、帰路につく。

 クラピカは母の少女のような顔立ちに、満面の笑みが咲くのを想像して、口元を綻ばせた。