花は夢を見る。

 かぐわしい香りを放ちながら。

 ただ、朽ちていくのを待つのだ。

 

 

 

 

 夜の闇が、喧騒に華やぐ一つの建物を包む。

 ハンター試験終了後、試験委員会が経営するホテルでは、協会が主催する合格記念パーティが催された。

 合格者たちの胸には、それぞれ胸花が添えられた。名誉ある資格らしく、飾りには造花ではない本物の花が使われていた。

 雑誌にも載せるのか、合格者全員の写真も撮られて、豪華な食事も食べて。まだ賑やかなパーティ会場をクラピカは後にする。階段を下るだけで、途端に静けさが身を包む。

 

 やや高揚していた気持ちが、つられるように凪いできた。

 クラピカは一人、宿泊部屋として宛てがわれた部屋に戻った。カードキーで開閉する。広い室内の窓側には、寝心地の良さそうな大きなベッドがある。

 少し夜風を浴びたくて、クラピカは窓を開ける。やや固いそれは重く、力を入れないとなかなか開かなかった。

 ようやく少し開いた。髪を風になびかせた後、ベッドに横にはならずに椅子に座る。

 ふぅっと全身から力を抜いて、体を前に倒す。腕を枕にして、机に体を預けた。

 動作で空気が生まれ、クラピカの胸に付けた花が揺れた。同時に香りが漂い、鼻をかすめた。協会から贈られた、祝福の証。

 ……本当に合格できたのか。服の奥をまさぐる。

 クラピカは真新しいハンター証を取り出した。

 電灯の明かりに、かざしてみる。

 ライセンスマークが、ちらりと光る。

 

 

 ……父さん、母さん。オレ、ハンターになったよ。

 

 でも、何でだろう。そんなに嬉しくないんだ。

 

 ずっと叶えたかった夢のはずなのに。

 

 

 ふいに夜風が、クラピカのそばを通り抜けた。

 冷え冷えとした空気が、むき出しの頬に触れる。

 

 

 ……ああ、そっか。

 

 

 嬉しくないのは、当たり前だ。

 

 

 だって、みんながいないから。

 

 

 

 

 それから二日が経った。護衛に同行するかたわら、センリツたちと目覚めないクラピカを看る日々を送るレオリオは、信頼できる友人たちに連絡を入れた。

 

『……操作系の場合は、兄貴の針みたいに、相手を操るためのアンテナみたいのが必要になると思うんだけど。そういうのはクラピカの体にはないんだよね』

「ああ」

『それじゃあ、離れた所に念を使うのに向いてる放出系……? あ、でもパームさんみたいに、強化系でも遠くを見られる能力とかあるしなぁ』

 

 電話口の向こうから、かわるがわるにゴンとキルアが喋る。相談に乗ってくれているのだった。

 

「うーん、念の系統で考えない方がいいかもしれねーな」

『そうだね。クラピカの鎖だって、操作系に近い能力があるしね』

『念の気配が感じられないって場合は、ナックルみたいに、対象者と直接触れないと発動できないってタイプかもしれないな。それですでにその念は発動して、効果が完了している』

「直接か……」

 

 キルアの言葉から、レオリオの頭に一つの可能性が浮かんだ。

 

 

 その日の午後、レオリオはある場所に赴いた。

 訪れたのはノストラードファミリーの事務所がある街の、大通りからやや離れた場所にある花屋だ。

 ガラスの扉を押して、店の中に入る。こじんまりとしている店内には、数え切れない種類の花が溢れている。

 奥に行くたびに、様々な花の匂いがレオリオの鼻を刺激する。しかし不思議と暴力的ではなく、それは心地よいと思える絶妙な塩梅で存在していた。

 

 カウンター近くで、一人の女性が作業をしていた。

 

「いらっしゃいませー」

「ここの店長はいるか?」

「はい、私がこの店のオーナーですが」

 

 どうやら今の時間は、店長だけが表に出ているらしい。もしかしたら個人経営なのかもしれない。

 

「仕事中にすまねぇけど、ちょっと聞きたいことがあるんだ」

「はい」

「ここの常連の客について教えて欲しいんだが」

 

 店長の女性は、整った顔を厳しいものにした。

 

「……失礼ですが、どのような目的で? お客様の個人情報をお話しする訳にはいかないのですが……」

「ああ…そうだよな。悪ィ」

 

 レオリオは、肌身離さず持ち歩いているハンター証を取り出して見せた。

 

「オレはハンターなんだけど、ちょいと警察の聞き込みに協力してるんだ」

 

 もちろん方便だ。だが芯の強そうな態度を覗かせた彼女は、ハンター証の意味をしっかり知っていたらしい。ライセンスを見て、驚いたように眉を上げた。

 

「! そうだったんですか。すみません、私ったら失礼なことを……」

「いや、こっちが最初に言わなかったのが悪いからな。君は当たり前のことをしただけだ」

 

 店員はレオリオのフォローに少し目を丸くすると、柔らかくはにかんだ。

 

「……常連のお客様のことですよね。どんな方ですか?」

「ええと、そうだな。君より背が少し高い、金髪のショートカットの……」

 

 そういえば、クラピカの名前まで言っていいものか。

 もしかしたらこの店では偽名を使っていたかもしれないし、クラピカの現在の立場が立場なだけに、レオリオは言い淀んでしまう。

 しかし外見だけで、店員はすぐにピンときたようだ。

 

「……黒い服を着た?」

 

 と彼女は聞き返す。レオリオは言葉を反芻する。

 黒い服。

 

「…………ああ、きっとそいつだ」

 

 一瞬詰まったのは、レオリオがいまだに慣れていないからだ。クラピカのスーツ姿に。

 

 レオリオの中のクラピカのイメージは青。そして赤。クラピカの瞳を表す、二つの色だ。

 そして思い出すのは、マフィアのスーツ姿ではない。出会った時に身にまとっていた独特のマントと、キルアの家に行くときの赤い服。そしてヨークシンでの真っ青な民族服。

 

「一年くらい前から来るようになったお客様なんですけどね、二、三週間に一回ぐらいペースでいらして。いつも沢山花を買われていくんですよ」

 

 車のトランクに、いっぱい詰めて。歌うように彼女は続けた。

 

「お知り合いなんですか?」

「あ、ああ……まあ、な」

 

 レオリオの含んだ様子に、店員はぱちぱちと瞬きをする。しかし、その裏にある感情(もの)にひそかに気付き、先ほどよりも優しげな口調で話を続ける。

 

「そうそう、この間はちょっと珍しいお花が入ったんですけど、それも一緒に全部買われていかれたんです」

「珍しい花?」

「はい。ルクソ地方にしか咲かない白い花です」

「ルクソ地方の……」

「ええ」

 

 レオリオの心臓が音を立てる。

 あの花だ。クラピカの寝室にあった、あの花。

 クラピカにとって、あれはまちがいなく故郷を想起させるもののはずだ。

 もしや、と思い、レオリオは凝を使ってみる。

 ……靄のようなものが、周囲に漂っている。

 念だ。オーラはやや薄めだが、あまりに周りに広がりすぎていて出どころがわからない。

 レオリオはさらに集中してみた。すると店長である彼女の指先が、最もはっきりとした念をまとっていた。そこから、手にした花にオーラが注がれている。

 

(やっぱり、この娘(こ)が念使いか)

 

 しかし自らコントロールしている様子はない。

 

 優れた芸術家や武術家など、その道に通じるプロはハンターでなくても念を使えるという。

 ゼパイルと同じように、彼女もおそらく、知らずして念を使っている人間の一人なのだろう。

 しかし仮にクラピカの状態が彼女の念によるものであるならば、意図的なものでない以上、念の仕組みを本人に聞き出すことはできない。解除する方法もわからない。

 完璧な手詰まりだ。

 センリツは、悪意のある念には思えないと言っていたが……。

 

「……なぁ、花の匂いって、何か特別な効果とかあるのか?」

 

 質問してばかりのレオリオだったが、職業柄か話すのは嫌いじゃないらしく、彼女は嫌な顔ひとつせず答えてくれた。

 

「そうですね……やはり一つはリラックス効果でしょうね。アロマとかがありますように、香りの組み合わせで、効果も変わってくるんですよ」

「へぇー」

「あと匂いには、もっとも鮮やかに人の記憶を立ち昇らせるという話があるんです」

「記憶を?」

「例えば、なにか特別な匂いを嗅いだ時、それまでずっと忘れていたことを、急に思い出したりする事とかありませんか?」

 

 言われてレオリオは、故郷の海の匂いを思い出した。

 

 ハンター試験から帰ったあと。ひさびさに飛行機で空港に降り立ち、潮風を嗅いだ時。

 離れていたのはたった数ヶ月なのに、無性に懐かしくなった。

 

「……ああ、そういえば確かにあるな。そんなこと」

「でしょう? プルースト効果というんです」

 

 レオリオは、クラピカが眠りにつく前の会話を思い出す。

 

 『ここに来る前ずっと祭壇にいたから』

 

 そして部屋に立ち込める、花の香り。

 

「……そうか。ありがとな。参考になったぜ」

「今度は買いに来てくださいね、彼女と一緒に」

「彼女?」

 

 と疑問符を浮かべるが、店員は笑顔で見ている。

 

「……ああ、できたら、な」

 

 それに対して、レオリオは曖昧な言葉にとどめて返した。

 

 

◇◇◇