小さな綻び、結びつき

 

 

 お洒落にこだわる身として、試験中でも身だしなみの手入れは欠かさない。五十時間の足止めの最中でも、それは同じことだ。

 伸びたヒゲを剃った後、今日のネクタイを選んでいたレオリオは、着ていたシャツを見て「あ」と声を出した。

 

「やべっ、ボタン取れかかっちまってる」

 

 激しい動きばかりしていたからだろう。シャツを脱いで確認してみると、真ん中辺りのボタンの糸が、今にも解けれそうにだらんと伸び垂れ下がっている。

落ちて無くす前に切ってしまおうかと考えていると、向かいの位置でコーヒーを飲んでいたクラピカが話しかけて来た。

 

「……私が直してやろうか」

「え?」

「それぐらいなら、十分もあれば終わる」

 

 レオリオはクラピカの顔をまじまじと見た。

 

「お前、裁縫なんてできんの?」

「ああ」

「じゃあ頼むわ」

 

 ローテーブル越しにシャツを受け取ったクラピカは、壁際に置いた肩掛け鞄を取りに行く。自分の席まで戻ると、中から裁縫道具を取り出した。その動作を横目に、レオリオは代わりのシャツを着る。

 

「糸は白でいいか。君のシャツのものと少し色が違うが」

「ああ、構わねぇ」

 

 レオリオのシャツは、青の色が強く出ている白地だった。多少色が違っても、ボタンの糸ぐらいならそう目立たないだろう。他に断る理由も無いのでレオリオは頷いた。

 針に糸を通し、クラピカはボタンを縫い付け始める。実に慣れた手つきだ。

 

「ほー……すげえな。……もしかして、その服も自分で作ったのか」

「ああ」

「ふーん……」

「……何だ」

「いや、見かけによらず器用だなーと」

 

 パジャマみてえだよな、お前の服。と、前々から思っていた批評は飲み込む。

 

「見かけによらずとは何だ。私が不器用に見えるとでも?」

「わりかし」

「……君にだけは言われたくないな」

「二次試験のスシは、オレたち良い勝負だったと思うぜ」

「あれは料理の形を知らなかったからだ。味は私の方が上に違いない」

 

 軽口を叩き合うあいだも、クラピカの指はするすると動いている。

 滑らかな針の動きは、布地に引っかかることなく、淡々と布とボタンとを往復する。

 ある程度まで糸を通すと、クラピカはきゅっ、きゅっと糸を固く引っ張り、ボタンが外れないことを確認する。

 親指でボタンの裏側を上向け、針を軸にぐるぐると糸を巻いて結んだ。そして糸切りばさみで余分な部分を切る。

 

 ぱちんっ

 

「ん? ここもほつれてるぞ。ついでに直しておこう」

「おう、サンキュ」

 

 袖口の綻びに目ざとく気付き、再び作業の手を開始したクラピカを、レオリオはじっと見つめる。

 視線の先で、碧い瞳が針と糸を交互に追っている。

 先日のマジタニとかいう囚人との戦闘で、真っ赤な緋色に染め上がっていた瞳は、落ち着いた色合いで目の前の作業に集中していた。

 世界七大美色というその色。確かにあの時、遠目ながらもそれを見たとき、レオリオは驚きと共に美しいと感じた。その後、瞬時にマジタニを殴り飛ばした動きも見事だった。

 

 ……けどこいつは、本を読んでいる時とか、こういった日常的な動作が似合うな。

 プライドが高く、知識も豊富なため、可愛くない物言いばかりするクラピカだが、こうしたふとした時に見せる穏やかな仕草が、本来の彼なのだとレオリオは理解し始めていた。

 マラソンの時、彼にかけられた言葉が頭の中で木霊した。

 

『なれるといいな』

『お前に言われるまでもねーよ!死んでもハンターになったる!!』

『いや、医者にだよ』

 

「しかしレオリオ。仮にもハンター試験だというのに、何故スーツを着て来たんだ?動き辛いだろう」

 

 シャツを縫いながら、クラピカは訝し気に聞いた。

 

「こいつはオレの勝負服だからな。多少の動きづらさなんか屁でもねぇぜ。いわゆる、男のこだわりってやつさ」

「そのこだわりも、一次試験で既に脱ぎ捨てていたようだが?」

 

 腰にシャツを巻き、上半身裸で全力疾走したことを指摘され、ぐっと詰まる。

 

「うるせぇ。時と場合によるんだよ!」

 

 安いこだわりだな、と言ってクラピカは微笑した。

 その表情が、初めて会った時より柔らかい気がするのは、レオリオの心境が以前と変わっているからだろうか。

 それとも、彼が自分に心を許してくれているからだろうか。

 

 ……少しは距離が近づけたかもな。

 ベンドットとの賭け勝負を終えた後、「お前の誇りの後始末、つけてやったぜ」という呼びかけに、安堵したような彼の表情を思い出した。

 

 程なくシャツのほつれを縫い終え、クラピカは生地に玉結びをした。

 ところが、糸切りばさみが無い。先程ボタンの糸を切った時、シャツに引っかかって床のどこかに落ちてしまったようだ。

 それをレオリオが指摘する前に、クラピカは糸を指でくくり、布に口元を近づけた。

 

 ぷちっ

 

 クラピカは糸をくわえ、奥歯でそれを噛み切った。

 躊躇いがないそれは、不思議と見惚れてしまうぐらい、綺麗な動作だった。

 

「終わったぞ」

 

 針山に針を戻し、クラピカはシャツを整えレオリオに差し出した。

 

「お……おう。ありがとよ、助かったぜ」

「気にするな。礼と思ってくれればいい」

 

 思いがけない言葉に、レオリオは目を瞬かせる。

 

「へ? 礼? 何のだ?」

「………」

 

 思い当たる節がなく聞き返すと、無言になったクラピカはレオリオを見返した。

 やがて、心無しか顔を赤らめると、

 

「……わからないなら、別にいい」

 

 クラピカはふいと目を逸らし、ぐいとシャツを押し付けてくる。そしてさっさと道具をしまい始めてしまう。

 

「?? 何だってんだ?」

 

 頭の上に疑問符を浮かべながら、レオリオはほんの少しだけ色の違う糸をシャツの見つめたのだった。

 

 

 

END

 

 

 

 

 

 クルタ服ってもしかして、クラピカが自分で縫ったのかな?という考えから思い付いた話。

 既にお解りかと思いますが、フジ版のオリジナルの会話がベースになっています。

 あそこでレオリオに惚れたのはクラピカだけではないと思う…(笑)

初出:2014.5.3 「Walk along with...」

web再録:2018.11.26