最後の祝福 第三話

 

 

 

 

 次の日の夜中、三人は再びクラピカと対峙した。

 何かの力が働くのか、寝ずの番をするつもりが昨日に引き続き三人は眠っていて、気付いた時にはクラピカは目覚めていた。

 

「こんばんは、クラピカ」

「……」

「……こんばんは」

 

 やや遅れてキルアが言う。

 

「よぅ」

 

 レオリオもクラピカに話しかけた。

 

「なぁ、昨日お前が言ってた『わたしをさがして』って、どういう意味なんだ?」

 

 クラピカが、レオリオを見つめ返す。相変わらず瞳に感情はなく透明で、美しいのにどこか哀しい。

 

「事情によっちゃ、何か協力できるかもしれない。お前の事、詳しく話してくれよ」

「ね? クラピカ」

「……」

「……黙っててもさ、何も始まんねーだろ?」

 

 ゴンとキルアも重ねて促した。

 三人の言葉を受け、クラピカの瞳に生気と呼べる光が宿る。

 意思をもった存在ものに、確かに感じさせる表情それに変わったと、そう思えた。

 

 

「私は……」

 

 

 クラピカは手を当てた。

 

 

「私は、クルタ族だ」

 

 

 昨日より明瞭な話し方で、クラピカは自分のことを話していった。

 

 

 ……クラピカ達クルタ族には〝緋の眼〟という特殊な体質があった。

 感情が昂ると瞳の色が真っ赤に染まり、その色が実に美しかったため、彼らは外の人間達に度々狙われていた。

 争いを避けるため、彼らはルクソ地方の奥地の森で、ひっそりと暮らしていた。しかし一年前、賊に襲われ、一族全員が命を落としたという。

 そしてその時、クラピカも瞳を奪われたのだと。

 

「でも何でその……」

 

 話を聞いていたゴンが、言葉を詰まらせる。きょとんとクラピカは彼を見たが、何が言いたいのかを察したように笑む。「いいよ」と言いたげな微笑に促され、ゴンは続きを口にする。

 

「その……死んじゃってるのに、クラピカは動くことができるの?」

 

 それはレオリオ達三人に共通の疑問だった。

 

「……私の魂は、どうやらこの瞳に宿ったらしい」

「瞳に?」

「ああ。そしてどういった原理かはわからないが、月が出ると動くことができるようだ」

「……そっか。こないだは雲が隠れたから、途中で動かなくなったんだ」

 

 キルアの推論に恐らく、とクラピカが言う。

 確かにこの三日間、クラピカが目覚めていた時にはいつも月が出ていた。現に今日も眩しい程の月光が外界を照らしている。

 

「それはクルタ族特有の力なのか?」

「いや、違うと思う。一族にそんな能力の者がいるとは、これまで聞いたことがない」

 

 レオリオの問いに、クラピカは寂し気に苦笑する。脳裏に家族や友、仲間達の最期の姿が思い出される。

 

 

「きっと……我ながら、無念だったのだろうな」

「……そうだよね、納得できるはずがないよね」

 

 切ない呟きに、己も痛みを感じるように目を伏せたゴンに、クラピカはそっと微笑んだ。

 その会話を、同情とも憐憫ともとれる複雑な顔付きで聞いていたキルアが言う。

 

「……見た感じだと、緋の眼は片方だけみたいだよな。オッドアイとか?」

 

 クラピカは違う、と首を振る。

 

「こちらは私の本当の眼ではない」

「作り物ってことか?」

「ああ。しかし、緋の眼に変わる前はこの色だ。……瞳だけではない。まさか髪や服装までそっくりだとは」

「……何だって?」

 

 訝し気なレオリオに、クラピカが答える。

 

 

「これは、私の死ぬ直前の姿恰好、そのものだ」

 

 

 人形は、クラピカの生前の姿そのものであるという事実に三人は驚く。てっきり本当の姿は別で、借り物の体に魂だけが宿っているのだとばかり思っていた。

 

「……偶然じゃねぇだろうな」

 

 恐らくあのオモカゲという人形師の方に、何か秘密があるのだろう。

 確かめねばならないな、とレオリオは考える。

 

「……私を作った人形師が、私の眼をあえて片方だけ使ったのか、それとも無くしてしまったのかはわからない。しかし、どこかにあるはずなんだ。…それを見つけて欲しい。出来るなら、取り戻して欲しい。そして私を、故郷の地に返して欲しい。……それが、私の望みだ」

「……取り戻すだけ? 殺した奴らに、恨みはないの?」

 

 キルアが少し意外そうに聞く。それに対して、クラピカは自分自身の考えを整理するように、ゆっくりと述べた。

 

「憎しみは……少なからずある。だが、このような不完全な姿でこの世に留まっている方が、今は辛い。……緋の眼は、私達の誇りだ。それを片方だけ奪われたままというのは、死んでも死に切れない」 

「……そっか」

 

  ゴンは決意を固めたかのように、クラピカの両目を見つめた。

 

「クラピカ、オレ協力するよ。クラピカが故郷に還れるように。時間はかかっちゃうかもしれないけど、でも絶対に取り戻してみせる」

 

 ゴンの言葉に、クラピカは安心したような表情を浮かべた。

 

「……そうか」

 

 その顔を見て、レオリオは心が再度ちくりと痛んだ気がした。

 似ている。そう思った。

 

「あ……」

 

 クラピカが茫然と呟く。つられて外を見ると、空が明るくなって来ていた。

 夜明けだ。夏なので日が昇るのが早いのだ。

 クラピカの瞳が、闇に吸い込まれるように閉じる。

 傾いていくその体を、昨晩と同じようにレオリオは受け止めた。

 

 

 数時間仮眠を取った後、三人は遅い朝食を食べに出かける。

 カフェテリアで、三人はハンバーガーを頼む。

 

「なぁゴン、本気でクラピカに協力する気か?」

「だって、望んでないのにあんな姿にされて……可哀想じゃない」

「……」

 

 同意とも否定ともとれる遠い目をして、キルアはポテトを口に放り込む。

 

「……心証はともかく、オレとしてはヤバい臭いがするから、出来ればもう少し考えたいって思うけどな」

「ヤバい匂いって?」

「だってお前、緋の眼だぜ? 金持ちがこぞって欲しがる代物だぞ? 裏社会の連中が持ってる可能性だってあるし、下手したらそいつらを相手にしなきゃならねぇかもしれないんだぜ」

「じゃあ、このままクラピカを放っておくの?」

「別にそうは言ってねーだろ。動くなら慎重にするべきだって言ってんだ」

 

 キルアは少々腹立たし気に言った。彼の意見はもっともだ。しかしゴンは不服そうに唸った後、

 

「レオリオはどう思う?」

 

 黙っていた彼に問うた。

 

 

「……オレは……」

 

 

 クラピカの面差しを思い出す。

 寂し気な微笑。冷たい身体。

 重なる面影。

 

 

 ……最後の言葉。

 

 

 

「……オレは、あいつの願いを叶えてやりたい」

 

 

 テーブルの下に置いた拳に力を込め、レオリオは答えた。

 ゴンは嬉しそうに顔を明るくするが、キルアの表情は厳しいままだった。

 

「それは本当にクラピカの為?」

 

 鋭い眼差しに、レオリオは内心たじろぐ。

 

「……何だよ」

「……別に」

 

 キルアは素っ気なく目を背けた。

 奇妙な反応に、二人の顔を交互に見ていたゴンだったが、頭上を見て他意なく言った。

 

「今晩も晴れるといいね」

 

 真っ青な空を、レオリオもちらりと見上げた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 緋の眼について調べることはハンターである二人に任せ、彼らと別れたレオリオはオモカゲの店に向かった。

 しかし店は休業しており店内に人のいる様子は無かった、仕方ないので、一時間ほど周辺を窺ってから自宅に戻った。

 その後は、いつも通りの日常を送りながら夜まで時間を過ごす。

 

 ……夜がこんなに待ち遠しいと思うのも、初めてな気がする。

 クラピカが目覚めたら、何をしようか。

 何を話そうか、何がしてやれるだろうか。

 沢山のことを考えるが、ふと、目をそらしていた思いが胸に蘇った。

 

 

 ……これは、親友を救えなかった贖罪なのかもしれない。

 

 

   (オレはクラピカを、あいつの代わりにしてるだけかもしれねぇ)

 

 

 この世に未練を残したまま、命と誇りを奪われたクラピカと、志半ばで逝ってしまった友。

 クラピカの話を聞いた時、レオリオは無意識に彼にかつての友を、ピエトロを重ねていた。

 あいつもきっと、同じように生きたかったに違いない。

 ならば、あいつにできなかったことをしてやりたい。自分がやり残したことをしたいと。

 

 

 ……別の存在であるのに?

 

 二人を一緒にしているのだとしたら、それはピエトロにもクラピカにも失礼ではないだろうか。

 

 

 そして、「何かしてやりたい」という己の今の望みは、本当に彼らの為なのか?

 

 何も出来なかった自分が、救われたいだけじゃないのか。

 

 

『それは本当にクラピカの為?』

 

 

 ……キルアは、そんなレオリオの心を見抜いていたのだろうか。

 

 

 

 開け放していたカーテンの間から、月の光が差し込む。

 すると、血が通い出すように、クラピカの体が変化する。人形のものから、生前のものへと。

 スリープ・アイが開き、クラピカが目覚めた。

 ……動き出すのを見るのは初めてだ。

 レオリオを視界に映したクラピカが、先に話し出す。

 

「おはよう」

「……おはよう」

「今日は、あの二人は?」

「あいつらには、今日お前の眼の行方を調べてもらってる。……オレだけじゃ不満か?」

「いや。君とは一度ゆっくりと話したいと思っていたんだ」

 

 クラピカは微笑した。

 お互いのことを良く知らないのは同じだった。

 レオリオはクラピカの隣に腰掛けた。同じ目線に並んで、初めて近くに来たように思った。

 

「……そういや、あの店行ってみたんだがな。お前を作った人形師はいなかった。悪ィな、話聞こうと思ってたんだけどよ」

「今度でいいさ」

「色々、聞いてもいいか」

「ああ」

「動けると気付いたのはいつなんだ?」

「……一番最初に覚えているのは、薄暗い部屋の中だ」

 

 クラピカは遠くを見るように、考えながら喋っていく。

 

「頬に何かが触れる感触があった。人の指だ。話し声がしている間もずっと触れていて、何故だか温かさを感じた。疾うに体温を失った体のはずなのに」

 

 クラピカの話は、あの店でのレオリオの行動をなぞったかのようだった。

 

「……あの時か?」

 

 しかしオモカゲは、クラピカの体は一ヶ月前に出来たと語っていた。

 

「……一度命を落としてから、魂が瞳に宿った後も、恐らく心は眠っていたのだろう。君が……あの時、触れてくれたから。私はきっと目覚めることが出来たんだ」

 

 

『心を囚われているということは、君が選ばれたということだよ』

 

 

 これは、何かの導きなのだろうか。ついそう期待してしまう心をレオリオは何とか鎮めさせる。ごまかすように更に訊ねた。

 

「昼間にも意識はあるのか?」

「いや、意識はない。眠っているのと同じ状態だ」

 

 クラピカがレオリオに向く。

 

「今度は私が聞いてもいいか?」

「ああ」

「君はいつも何をしているんだ?」

 

 何気ない問いであるのに、己の心境のせいか、レオリオは暫し答えるのに時間を要した。

 

 

 オレは、何をしてるんだ?

 

 

「……昼間は大抵バイトだな。生活費貯めなきゃなんねーし」

 

 レオリオの動揺には気付かず「そうか」と相槌を打って、クラピカは断りを入れ、室内を横切り本棚の前まで歩く。

 

「この本とかも、バイト代で買ったのか?」

「まあな……読みたかったら好きに読んでいいぜ」

「いいのか?」

「ああ。勉強しようと思って買ったんだけど、結局使ってねぇんだ」

「何の勉強だ?」

 

 レオリオは口の動きを止める。クラピカは、彼が寂しそうな顔をしているように感じた。

 

「……笑うなよ?」

「……内容によるな」

 

 クラピカはどこか、悪戯っ子めいた表情になった。

 その反応に背中を押され、レオリオは答える。

 かつての夢を。

 

 

「医者になりたかったんだ、オレ」

 

 

「……一年前、ダチが病気にかかったんだ。ガキの頃からの付き合いで、家族もいないオレにとっちゃ、一番大事な奴だった」

 

「不治の病だった訳じゃねぇ。手術すれば治せる病気だった。手術する、金さえあれば」

 

 

 レオリオの表情が、苦悩のものへと変わる。

 

 

「……オレ達には、金がなかったんだ。街の全ての医者に、なけなしの金を持って行ったけど断られた。手術しなくても、何とか治す方法はないかって探してもみた。医者じゃなくてもオレが治せないかって、本を片っ端から読んで医学をかじってもみた。……でも、ダメだった」

 

 沈黙が部屋に広がる。

 

「……今は?」

 

 クラピカが本を抱えたまま、ぽつりと訊ねる。

 

「今はもう、目指していないのか?」

 

 レオリオは、苦い笑みを浮かべる。

 

「オレは単純だからな。医者になってやろうと思ったぜ。ダチと同じ病気の子を治して、その子の親に金なんかいらねぇって言ってやろうって思った。けど手術をするのにも金が要れば、金をとらない医者になるにはもっと金が要るんだとよ」

 

「更に一流の医者になる為には、一流の大学を出なきゃなんねぇ。医者になれたとしても、勤め先によっちゃ派閥とかにも入らなきゃならねぇ。そうなると、緊急度に関係なく患者に優先順位をつける必要すらある。……しがらみだらけだ。そんなことも関係なく、金を取らない医者になるためには、見た事もねぇぐらいの大金が必要なんだと」

 

 ハッ、とレオリオは鼻を鳴らす。

 

「笑わせるぜ。同じ人間なのによ。この世界では、命すら金で買えるんだ」

「……レオリオ」

「結局、何をするにも金が要るんだ。世の中金だよ、金、金!!」

「レオリオ」

 

 クラピカの声が場に響いた。 

 

「やめてくれ」

 

 決して大きい声ではなかったが、レオリオは口をつぐむ。クラピカが本を掴む指は、微かに震えていた。

 クラピカの心情を察したレオリオの胸に、後悔の念が湧いてくる。クラピカ達はまさしく金の為に殺されたようなものなのだ。

 

「……ワリィ、お前を傷付けるつもりはなかったんだ」

 

 レオリオは心の底から言った。

 しかし昂った感情は消えることはない。

 胸の底で燻っていた気持ちが、顔を出して、言葉となって口をついて出てきた。

 

「でも……結局そうなんだよ。思いと現実は比例しない。夢を見るには、現実は辛すぎる」

 

 苛烈な言葉だったが、彼の心の奥底を読み取ったかの様にクラピカは哀しい表情をしていた。

 それから、ふっと微笑する。

 

「君は……優しいな」

「……優しい?」

「ずっと覚えているということは、辛いだろうに」

 

 クラピカはそう言って、手にしていた本を捲る。

 真新しいものだったが、所々使った形跡があった。過去にレオリオが書いたものだ。

 

「私は、家族や友のことなど、今まで忘れていた。最期の瞬間まで近くにいたのに、再び目覚めた今では遠い出来事のように感じていて、そんなことにも思い至らなかった。自分のことしか、考えていなかった」

 

 自分自身を責めるように顔を歪めるクラピカに、レオリオは言った。

 

「けどそりゃあ……当たり前のことじゃないのか? 誰だって自分のことで精一杯だよ。オレだってそうだ。自分の気持ちを持て余すばかりで、結局ダチの為に何もできやしねぇんだ」

「……でも忘れていないだろう?」

「え?」

「忘れることの方が容易いのに」

 

 クラピカの表情はどこまでも静謐だった。何もかも包み込んでしまうような、深遠があった。

 全て気持ちを打ち明けて身を委ねてしまいたい、そんな誘惑があった。

 

「……忘れられる訳、ねぇじゃねーか」

 

 しかしそれをこらえ、レオリオはただ一言、吐き出すように呟いた。そんな彼にクラピカは笑みを浮かべてみせる。

 

「……だから君は、優しいんだよ」

 

 クラピカはぱらぱらと手に持った本を捲る。

 一通り目を通した後、ぱたりとページを閉じてレオリオを再び見つめた。

 

「……きっと、君に逢うために、私は再び目覚めたんだ」

「……それは……」

 

 どういう意味なんだ?

 続きの言葉を言う前に、夜が薄らいでいく。窓の外の色が変わる。

 

「……また、明日」

 

 クラピカの瞳が閉じていく。力を失った身体を、昨日と同じようにレオリオはまた抱きとめ、ソファーに戻した。

 

 

 

  ◇◇◇