クラピカの言っていた言葉の意味を考えながら、レオリオはバイトに勤しんだ。

 帰り道、足は何となく馴染みの本屋に向かっていた。

 

「よぉレオリオ、久しぶりだな」

 

 軒下をくぐった途端、主人がレオリオに気付く。

 

「どうも」

 

 ピエトロの死の直前から死んでしばらくするまで一時期入り浸っていたレオリオのことを、主人は覚えていたらしい。

 

「そうだ。この間良いのが入ったんだよ。こういう本、探してたろ」

 

 後ろの本棚から中古の医学書を取り出した主人に、レオリオは言いかける。

 

「いや、オレはもう……」

 

 だが、そこで友の顔を思い出した。

 そして、クラピカの顔を思い出した。

 

 

「……昨日、お前が言ってたことだけどよ」

 

 その晩、挨拶もそこそこに訊ねたレオリオに、心得たようにクラピカは笑んだ。

 

「今度は私の話す番だな」

 

 隣に並び、クラピカはソファに手を置き遠くを見ながら語った。

 

「……私の夢は、外に出ることだったんだ」

 

「私達は緋の眼のことで外界とは隔絶された生活をしていたから、外に出るのは一族の大人にならないと赦されなかった。外に出ることは幼い頃からの憧れだったが、私にはもう一つ目的があった。幼馴染のために、医者を見つけることだ」

 

 その単語に、レオリオは少なからず目を見開いた。

 クラピカは話を続ける。

 

「……幼い時、崖から落ちた私を助けようとして、親友が大怪我をしたんだ。名前はパイロ。私のせいで、彼は目と足に傷を負った。……足はまだ良かったが、月日が経つごとにパイロの目はどんどん悪くなった。だから私は一刻も早く外に出て、医者を見つけて帰ることを目的としていた。森の掟では大人にならないと外には行けなかったが、十三歳の時に長老に直談判をして、私は外出試験を受けた。無事に合格できた後、私は数ヶ月ごとに外に出ては、森に戻ることを数年間繰り返した。そしてパイロを治してくれる医者を、ずっと探していた」

 

「……しかし一年前、私達は賊に襲われた。どこかで我々のことが知られたのだろうな……わずか一夜で我々は滅ぼされた。クルタ族は手練ぞろいだったが、敵わなかった」

 

 そこでクラピカの命と夢は、潰えた筈だった。

 しかし人形の体であるとはいえ、再び目覚め、レオリオと出逢った。

 

「だから、昨日君の話を聞いた時、『ああ、私は君を捜していたんだ』と直感的に思った。そして君が医者を諦めていたと知って、とても悲しくもなった」

「……そんな、まさか、」

「本当のことだ」

 

 クラピカは落ち着いた調子で言った。

 そして、レオリオの瞳を真っ直ぐに見つめる。

 

「……死者は、人の思い出の中でしか生きていけない。彼も私ももう、この世界に関わる事はできないが、でも君が覚えていてくれることは、きっと彼にとって、やさしいことなのではないかと思う」

 

 他の人間に言われていたら、それは気休めだと耳も貸さなかっただろう。

 だが他ならぬクラピカの言葉だからこそ、レオリオは信じられると感じた。

 そしてにわかに悟る。親友を亡くして以来、初めて自分が己の心情を他者に語っていたことに、語れていることに気付いた。

 

 そうだ、あの日以来、誰かと話をすることも避けていた。

 

 それでも、忘れられなくて、忘れることなんかできなくて。

 

 しかし、いつまでも忘れられず、前に進めていないのは罪なのだと、そうずっと自分を責めていた。

 友が……ピエトロが自分を恨んでいるはずがないと、わかっていたのに。

 

 

 己の全てを肯定され、レオリオは初めて、友を失った悲しみを癒された気がした。

 

「……ありがとよ」

 

 レオリオの言葉に、クラピカは微笑んだ。美しさの印象が先に立つ緋の眼だが、今のそれはとても柔らかな色合いに光っていた。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 ゴンがレツの元を訊ねたのは、クラピカの事情を知った次の日の午後のことだった。

 待ち合わせをした広場で待っていると、青い帽子が見えたので手を振る。

 

「こんにちは、レツ!」

「ゴン! 元気?」

 

 レツが駆け寄った拍子に帽子の下から出た髪の毛がぴょんと跳ねる。

 短くまとめた髪にオーバーオールと、少年っぽい格好をしているが、これでもれっきとした女の子である。

 

「うん! オレは元気!」

 

 レツは数ヶ月前からこの街に住む人形師で、時折広場で大道芸をしている所を話し、ゴンと仲良くなったのだ。

 

「ねぇ、レツのお兄さんも、確か人形師だったよね」

「……うん」

「あのさ、緋の眼っていうものについて、お兄さんから何か聞いたことない?」

「緋の眼……」

 

 レツが訝し気な眼で問う。

 

「どうして、そんなこと知りたいの?」

「……ちょっと、色々あって」

「……」

「…あのね」

 

 ゴンはレツに、クラピカの事をかいつまんで話した。

 レオリオがオモカゲとの接触が困難な今、確実な情報を得るためにも、正直に打ち明けた方が彼女の協力を得られやすいと思ったのだ。

 レツは暫く何かを考え込む。

 

「……人形作りで瞳が命と言われているっていうのは、前にも話したよね」

「うん」

「兄さんも瞳には強い拘りがあって……執着、って言うくらいかもしれない。僕たち兄妹がこうして色んな街を渡り歩いてるのも、兄さんが人形に使う材料を探しているからなんだ」

「そうだったんだ……」

 

 仲良くなってから数ヶ月経ち、初めて知るレツの兄の目的にゴンは戸惑いを隠せない。

 

「うん……。兄さんのことだから……材料に本物の人間の体の一部を使うなんてことも、ありえると思う」

 

 レツの声音には「そうでないと良い」と、願っている響きも混じっていた。

 

 

「ここだよ」

 

 レツが案内したその場所は、普段のゴンならば絶対に通らない道にあった。

 

「今日兄さんは出かけてるから、何かの手がかりが見つかるかも」

 

 ポケットから出した合鍵を差し込む。

 

「入って」

 

 ドアベルが微かな音を奏でる。その下をくぐり、二人は静かに店内に入った。

 大量の人形が置いてあった。背の小さな二人には、威圧感を持って迫ってくるようだった。

 まっすぐ奥の机に向かったレツは、ゴンに話しかけながら引き出しを開ける。

 

「これが兄さんの作業机。多分この辺に……あった」

 引き出しをまさぐったレツが、手帳のような物を取り出す。茶色い革の背表紙で、随分と使い込まれた品のようだ。

 

「……日記?」

「兄さん、結構まめだから。もしかしたらそのクラピカって人のことも書いてるかもしれない」

 

 渡してきた彼女に、ゴンは「いいの?」と目で聞く。

 

「僕は読まないことにする。ここでのことは一切知らない。……そういうことにしよう?」

「……ありがとう」

 

 ゴンは日記帳を開いた。まとめてページを捲り、日付を遡る。クラピカの話からすると、オモカゲが緋の眼を手に入れたのは恐らく半年以上前だ。

 創作者というのは皆几帳面なのか、細かに記してあった。そして、ゴンは目的の記述を見つけた。

 

『今日素晴らしい物を手に入れた。緋の眼だ。血の様に紅い瞳。この世で最も美しい至高の色。これを使い作品を作るのが楽しみだ。……レツに話した事は無いが、私には人体の一部から記憶を読み取る念能力がある。この瞳の持ち主のクルタ族と、そっくりの人形を作ろう。感情の全てを、表情に込めよう』

 

『今日、新しい身体の部品を手に入れた。良い材質の磁器だ。彫り込むごとに心地よい音が響いて、命を刻んでいる感触がある。手が馴染む』

 

『油断した。留守中に盗人に入られ、緋の眼の片方を奪われてしまった。恐らく念能力者だったのだろう。でなければあの罠を解除できるはずがない』

 

『しかし考えてみれば、これは寧ろ幸運なことかもしれない。片目だけの緋の眼。両目揃ってではない不完全なものだからこそ、最高の芸術になり得るだろう』

 

「…これだ」

 

 ゴンの呟きを広い、レツが「あったの?」と聞く。

 頷いたゴンに、彼女は眉を曇らせる。彼女の顔には、兄への複雑な感情が見え隠れしていた。

 

「そっか、やっぱり持ってたんだ。緋の眼」

「……」

「……僕は芸術家として兄さんを尊敬してる。けれど、人間としては尊敬できない。髪の毛とかだったらともかく、材料に人体の一部を使うだなんて。死者への冒涜だよ」

「……レツがオレと同じ考えで良かったよ」

 

 ゴンはしみじみと言った。

 オモカゲが戻ってくる様子はなかったが、二人は音を立てないようにして店から出る。

 

「今日はありがとう。お陰で助かったよ」

「ううん。僕の方こそ」

「じゃあまたね!」

「うん、また」

 

 ゴンに手を振りながら、レツは密かな予感を感じていた。

 

 

 

 

 その日の夕方、帰宅早々にオモカゲは彼女に問うた。

 

「レツ。私の留守中に、誰か部屋に入れたのか?」

「うん。友達。……ダメだった?」

「……いや。仕事場を荒らさないでくれるなら問題はないさ」

 

 さほど興味はなさそうにオモカゲは言った。他人にあまり興味を抱かない、兄らしい反応だった。

 

「レツ。明後日、この街を出る」

 

 オモカゲの言葉に、レツは振り返る。ある程度予想していたことだったので、さほど驚きはなかった。

 

「この街にも、私の求める究極の品は無い。次の地へ行こう」

「……うん」

 

 ゴンとキルアに、別れの挨拶はできないな。レツは寂しさを胸に秘めたまま、兄に返事を返した。

 

 

◇◇◇

 

 夕方、レオリオの家に集まった三人と、夜になり目覚めたクラピカは情報を共有する。

 

「そっか。アイツの兄貴がクラピカを作ったのか」

「うん。でも緋の眼は買っただけで、どこで手に入れたかとは書いてなかった」

「コレクターなら絶対両目盗むはずだから、盗人は緋の眼に関しては無知だったんだな。それだけわかれば十分だ」

 

 キルアが荷物の中から何枚か紙を取り出す。何かのコピーのようだ。

 

「オレの方でも収穫があったぜ。ちょうど来月ヨークシンで開催される闇オークションで、緋の眼が出品されるって噂があるんだ」

「本当?」

「ネットの掲示板の情報だけどね。でも確証はあると思うぜ。何せ『片方だけの緋の眼』ってのが話題になってるんだ」

「片方だけ?」

 

 通常緋の眼に限らず、人体のパーツである眼球は両目セットで取引されるのが主流である。例えどんなに珍しい物であったとしても、対でないと価値が半減してしまう。

 しかし今回オークションに出される品は、現存する緋の眼の中でも最も優れた輝きを放つため、寧ろ『片方だけ』という点でプレミアが付き、相場の数倍以上の高値が付けられるのではないかと予想されているという。

 

「片方だけの緋の眼なんて、そうそうないだろ? ビンゴだと思うぜ」

「っつーことは、これがクラピカのもう一つの眼である可能性が高いってことだな」

「画像データはないの?」

「それはダメだった。普通の緋の眼ならあるけど」

「……クラピカ、何かわかるか?」

「……わからない。けれど、全く無関係とは言えないと思う」

 

 クラピカは、胸の前で拳を握る。

 

「何と言うか……胸がざわついている」

「だったらきっと、行って損はないな」

「持ち主にわからないはずがないよね」

「だな」

 

 反応を予想していたかのように、三人は顔を見合わせてにやりと笑う。

 

「よし、こうなったら行くか! ヨークシンへ!」

「でも三人とも……本当にいいのか?」

「だってオレ達、もう友達でしょ?」

「乗りかかった船だしな」

「こうなったら、最後までとことん付き合うさ、クラピカ」

 

 三人の言葉に、クラピカは嬉しそうに顔を綻ばせた。

 

 

 

  ◇◇◇