「あれ人間?」

「ばーか人形だよ」

「でけー。本物の人間みたいだな」

「なんで抱えて運んでんだろ。箱とかに入れりゃいいのに」

「マニアなんじゃない? 自分の手で運ばないと気が済まないのよ」

「あー、なるほど」

 

 ヨークシンの空港ロビーで、人々がこそこそと話していた。話題にされているのはもっぱらレオリオだ。正確には、クラピカを背負ったレオリオである。

 

「……すげぇ目立ってんな」

「くそ〜穴があったら入りてぇ!!」

 

 クラピカをただの荷物扱いすることに抵抗を示した三人は、クラピカが目覚めている間は、同じ乗客として行動することにさせた。クラピカ自身は良いと遠慮したのだが、レオリオが断固譲らなかった。

 となると、クラピカの動けない昼間は当然誰かが背負って移動しなければならないわけで、それが現在の状況へと繋がっていた。

 人形を連れ歩くというのは、傍目からはとてもとても怪しく思われていた。現に今も周囲から変態扱いを受けていたが、レオリオにはもう、クラピカをただの人形のように扱うことはできなかった。

 

「交代しようか?」

「いや大丈夫だ。こうなったら変態の汚名でも何でも着てやらぁ!」

 

 荷物を持ったゴンの申し出を断り、レオリオはズンズンと歩いていった。

 

「やっぱり優しいよね、レオリオって」

「つーか人が良すぎ。限度があるだろフツー」

 

 レオリオの優しさを理解している二人は、からかいつつもそれ以上揶揄することはなかった。

 心なしか、眠るクラピカの顔付きも、明るい気がした。

 

 

 タクシーで空港に程近い市内のホテルに入り、宿泊手続きを終える。ゴンとキルアと一度別れ、レオリオは部屋に入った。

「やれやれ」

 クラピカの体を椅子に腰掛けさせ、レオリオはベッドに腰を下ろした。

 カーテンを開く。今夜も天気は晴れのようだ。

 やがて顔を出した月が光を放ち、クラピカの頬を照らす。反応して、クラピカが瞼を開いた。

 

「昼間は世話をかけたようだな」

「まあな……でも貨物室なんかよりずっと良かったろ」

「ああ、おかげで楽しめた。飛行船に乗るのは初めてだったからな」

 

 そう。移動中の夜、他の客が寝静まった船内を四人は散策した。ゴンとキルアに手を引かれ、年相応の表情を浮かべているクラピカの様子は楽しげだった。それだけで昼間の苦労も汚名も、レオリオにはどうでもよいことに思えた。

 クラピカがカーテンを引くと月の他に、窓の外には明滅するビル群の灯りが見えた。

 

「正に都会だな」

「ああ。ここからが正念場だな」

 

 ベルの音がした。ドアを開けて隣の二人を出迎える。

 

「お待たせ」

「ああ。それじゃあ作戦を立てるか」

 

 ルームサービスを頼み、思い思いにつまみながら四人は話し合う。

 

「さて目的の緋の眼を手に入れるには、三つの手段がある。①金を用意してオークションに参加する②オークションの落札者から奪う③落札者に接触する。現実的に考えて①はまずムリだ。今のオレ達の持ち金じゃ、サザンピースのカタログを購入することすら不可能だ。しかもこのオークションはアンダーグラウンドだから、当然会員制のものだろうしな」

「どのみち、コネクションなんかないオレ達には無理だよね」

「②も勿論却下だな。警備の人数を考えたら逃げ切れる訳ないし」

「……となったら、残るは③しかないよな」

「候補になりそうな人物はいるのか?」

 

 クラピカの問いに、キルアが情報サイトのコピーを掲げる。

 

「ネオン・ノストラード。マフィア・ノストラード組のご令嬢。人体収集家として名を馳せてるんだって」

「彼女なら今回のオークションに参加するはずだ。接触しようぜ」

 

 

  ◇◇◇

 

 

 

「──さて、次のお品は世界七代美色の一つ、クルタ族の緋の眼でございます。緋の眼は通常両目セットで出品されるもので、片方だけですとその価値は半減致します。しかしこちらは、これまで当オークションに出品された中でも、もっとも発色の良い品となっております。たった一つしか存在しない、まさに世界に一品だけの一級品と考えても宜しいでしょう。コレクターの皆様、是非ご入札下さい!では二億からスタートします」

 

「二億五千万! 三億! 三億五千万!」

 

「五億!! 他にいらっしゃいませんか!!」

 

「——おめでとうございます!! 十二億!! 十二億での落札です!!」

 

 

 黒塗りの車が、ベーチタクホテルの前で停車する。

 中からピンクの髪を特徴的な形に束ねた少女が降り、その周りをボディガードの男達が取り囲んでいた。

 回転扉を通り、エレベーターに向かう一群に、近付く影があった。

 

「ネオン・ノストラード嬢だな」

 

 ゴンとキルアを伴い、レオリオが声をかけた。

 ボディガードらが警戒するように彼らを見る。しかしネオンが「何?」と聞いたので、行動を静止することまではしなかった。

 

「単刀直入に言う。今日君が手に入れた片方だけの緋の眼を、譲って欲しい」

 

 ボディガードがざわつく。当然の反応だろう。

 

「やーよ、折角手に入れたのに」

 

 ネオンは即答する。

 

「片方だけじゃ価値も半減するだろ?」

「片方でもキレイだもん。大体、そんなに欲しかったなら自分で買えば良かったじゃない」

「それが出来ねぇから、わざわざ頼みに来たんだよ。……アンタにとっては沢山のコレクションの一つだろうが、オレ達には大事なものなんだ」

「ダメったらダーメ。欲しいなら自分達で買えば?」

「へ、よく言うぜ。その金だって父親の金であって、アンタの金じゃないくせに」

 

 キルアの言葉に、ネオンはむっと眉をしかめる。

「そんなことないわ。パパのお仕事が上手くいってるのは、私が占いをしてるからだもの」

「占い? ああ。そういえばそんな話、ネットで見たな。けどそんなに当たるの? たかが占いだろ?」

「バカにする気?」

 

 明らかに機嫌を害したようにネオンが眉を顰める。ボディガード達もパキパキと腕を鳴らす。

 不穏な空気が漂い始めたのを察し、ゴンがフォローするように声を挙げる。

 

「ネオンさん、オレ達お金はないけど、代わりに出来ることだったら何でもするよ!」

「このオジさんはともかく、あなた達みたいな子どもに、何が出来るっていうのよ?」

「おい、オレはオジさんじゃ……」

「出来るよ! オレ達ハンターだもん」

「ハンター?」

「うん!」

「……ふぅん……」

 

 ネオンは興味を惹かれたように、レオリオ達をじっと見た。老け顔からの中年疑惑を解消する機会を逃したレオリオは、オレは違うけど、と内心呟きつつ、不躾な彼女の視線に怯むことなく見つめ返す。

 くるっと振り向き、ネオンが後ろの男に尋ねた。

 

「ねぇ、貴方もハンターだっけ?」

「はい」

「貴方も?」

「いえ。自分はアマチュアです」

「アマチュア?」

「なんだ。ライセンス持ってないんじゃん」

 

 ニヤッと笑ったキルアに、色の濃い男が不快な顔を作る。しかし言い返せない様子に、意外そうな顔でネオンは男を眺めた。

 

「……そんなにハンターってすごいの?」

「……まぁ」

 

 もう一方に立っていたモヒカンの男は正直に認めた。ネオンは値踏みするようように、レオリオ達三人を改めて見る。

 

「……どうしてもって言うなら」

 

 ネオンはボディガードに命じて紙を用意した。さらさらとペンでいくつかの単語を記す。

 

「ここに書いた品を全部持ってきてくれたら、譲ってあげてもいいわよ。交換ってことで」

 

 そしてスタスタと歩いていってしまう。ボディガード達もガンを飛ばしつつ、その場を去る。最後に色黒の男はキルアを睨みつける様にして去っていく。

 

「一角獣の頭蓋骨、脳細胞……」

 

 メモを読み上げたレオリオらが愕然とする中で、ネオンがエレベーターの中から振り向いて言った。

 

「あ、そうそう。私、明後日までしかヨークシンにいないから、欲しいならそれまでに来てねー」

 

 ロビーに、絶句した三人が取り残された。

 

 

 

 クラピカの待つホテルに戻った三人だが、改めてメモの内容を見直しても結論は同じだった。

 

「こんなの三日以内に手に入るっかっつーの!! てか見つけることすら難しいモンばかりじゃねーか!!」

「完全に足元見られてるな」

「あんの我儘娘〜!!」

 

 レオリオはまた「くそォ〜!」と雄叫びを挙げた。

 

「どうする何か他の方法考える?」

「……いや。悔しいが、あの娘こにもう一回接触するのが一番確実だ」

「でもどうするんだよ。例え同じ額の金を積んでも、あの女が素直に応じるとは思えねーぜ」

「おめーが怒らせただからだろーが」

「けど、あのままじゃ相手にもされなかっただろ?」

「む……確かに」

「でもどうしよっか」

「アプローチ方法を変えるしかないが…」

 

 それまで三人の話を聞いていたクラピカが初めて発言する。

 

「……提案なんだが」

 

 クラピカが言った。

 

「それほど熱心なコレクターなら、私のような存在にも興味を持つんじゃないだろうか?」

 

 言葉の意味を理解して、レオリオは訊ねる。

 

「……お前、自分を囮にするっていうのか?」

 

 ネオン当人からはキナ臭い匂いはしないが、彼女が属しているのはマフィアンコミュニティーである。相手の出方によっては、クラピカのもう一つの眼すら奪われる可能性もあるのだ。

 

「そうだよ。下手したらアンタ、壊されるかもしれないんだぜ」

 

 しかしクラピカは動じた様子もなく、ふっと口元を挙げる。

 

「お前たちは私のためにここまでしてくれてるんだ。ならば私も、この身をかけよう」

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 優雅な音楽が流れる。時折生まれる笑い声が、さざめきとなって空間を満たしていた。

 ネオンはホテル最上階のレセプションルームで開催されているパーティーに出席していた。

 服はヨークシンに来てから買ったばかりのおニューの上下。特に赤のティアードスカートがお気に入りだ。

 しかしネオンの顔は晴れない。

 

(あーあ、退屈)

 

 参加者が素敵な男の人ならともかく、いるのは父と同じような壮年の男性、しかも強面ばかりだ。

 これだからマフィアというのはイヤなのだ。

 このパーティーは結局父の人脈作りのためであり、人々がご機嫌を取りにくるのも、自分が父の娘だからなのだ。

 

 自分は人形と同じだ、とネオンは思う。

 パパにとって、使い道のある便利なコレクション。

 だから手放せない。綺麗にして飾って、大事にする。願いだって叶えてやる。自分の都合の良い範囲で。

 ……私が思い通りになると考えてるんだわ。いつまでも子供なんだって。

 むかむかしてきたネオンは、つかつかと会場の出入り口へ歩く。入り口に立っていたボディガードの一人が声をかける。

 

「ボス、どちらへ?」

「お手洗いよ。悪い?」

「い、いえ」

 

 明らかに不機嫌な様子でじろっと見たネオンに、ちょっと引き気味で男は返す。

 

「ついでにちょっと部屋に戻って着替え直すから、邪魔しないでね。もし邪魔したら、明日の仕事全部キャンセルするから」

「承知しました、ごゆっくり。……一時間しても戻られなかったら迎えを行かせます。それはご承知下さい」

「勝手にすれば」

 

 すげなく返し、ネオンはパーティ会場を後にした。化粧直しは終えたものの、すぐに部屋に戻るのも癪なので、会場の外をぶらつく。

 ふと見慣れぬ顔が目に付いた。随分と背の高い男性だ。 

 お洒落な縁の眼鏡をかけ、髪の毛もワックスで固めており、スーツが長身に映えていた。

 あ、恰好良い。そう思ったネオンと、彼の視線が合う。

 どきりとする前に、既視感があった。

 

「よぅ」

 

 声を聞いて、ネオンは青年の正体に気付く。

 

「貴方、昨日の……」

 

 自分を指すネオンに、「しっ」と指を立て、レオリオは小声で囁いた。

 

「君に本物を見せてやる」

「え?」

「生きた奇跡に会わせてやるよ」

 

 退屈を持て余していたネオンに、誘いに乗らないという選択肢はなかった。

 

 

 

 ネオンを連れたレオリオは、エレベーターで数回下り、目的の部屋に向かう。パーティルームがある階から数段下に急遽借りた一室だ。

 廊下を歩いていると、マナーモードの携帯が震える音がした。どうやらネオンの物のようだったが、彼女は携帯の画面を見ると、面倒くさそうに顔をしかめ電源ボタンを押してしまった。

 

「……出なくていいのか?」

「いいの。どーせパパが心配してるだけだから」

 

 彼女を横目に見つつ、レオリオはドアにカードキーを通す。ロックが開いたのを確認し、ドアノブを回して彼女を先に入るよう促した。

 

「レディーファーストだ」

 

 ネオンが入った部屋には、普通のホテルの一室だったが、やけに広々としていた。家具がほとんど端に寄せられており、広々とした室内の真ん中に椅子がたった一つ置いてあった。

 その椅子に、金色の髪の人物が座っていた。

 

「これが、オレ達が眼を譲って欲しい理由さ」

 

 影が立ち上がり、ネオンへと向く。出迎えた二色の瞳に、彼女は息を飲んだ。

 

「……すごい……きれい……」

 

 ネオンは感動のあまり、暫くその場に立ち尽くした。

 

「冗談かと思ってたけど、本当に動いてる……凄い……本物なのね……!」

 

 そこで我に返ったのか、彼女は弾かれたように駆け寄る。

 

「うわぁ〜すごいすごい!!」

 

 年頃の少女らしいキラキラした表情で、ネオンはクラピカの目元を覗き込む。クラピカは目に見えてたじろいだ。

 

「なるほど。こっちが義眼なのね」

「ご名答。君が持ってるのは、こいつの眼なんだ」

「ふうん、でも義眼の方もすごく作りはいいのね。きっと作った人の腕が良いんだわ。ああ〜やっぱり緋の眼綺麗〜! 素敵〜!!」

 

 歓声を挙げる彼女の前で、クラピカは落ち着かなさそうに眼をそらした。流石にレオリオが進言する。

 

「あんまりじろじろ見ないでやってくれ。今のこいつは普通の人間と同じなんだ」

「はーい。それにしても本当に綺麗! ねぇ名前は? あるの?」

「……クラピカ、です」

「ふ〜ん、クラピカっていうの」

 

 ネオンはすっかりクラピカを気に入った様子だ。

 

「……わかった。緋の眼はあなたにあげる!」

「ほ、本当か?」

 

 好感触だとは思っていたが、こうあっさり彼女が了承するとは思わなかったので、レオリオは聞き返す。

 

「ええ。こうして見ると、やっぱり両眼揃った方がいいと思うし…」

 

 可愛らしく口元に指を当て、思案していたネオンはクラピカに言った。

 

「…ねぇクラピカ。あなた、私の所に来ない?」

「え?」

「だってこんなに綺麗なんだもの。緋の眼だけじゃなくて、あなたごと大事にしてあげる! お金なら出すわ。そうよ、それがいいじゃない! あなたも目が戻るし、私はあなたが手に入る! お互いに良いことだらけじゃない」

 

 思いがけない方向に話を進めるネオンに、レオリオは焦る。

 

「おい、ちょっと……」

「……それは出来ません」

 

 しかしレオリオが抗議するより先に、クラピカが答えた。

 

「私は人形です。貴女に何かを与えられても、返せるものは何もありません」

「そんなことないわ。いてくれるだけでいいもん」

 

 いてくれるだけでいいなんて、それこそ本当の人形と同じではないか。文句を言いかけるレオリオだが、クラピカはかぶりを振る。

 

「私は本来なら、この世にいないはずの人間です。いつ動けなくなるともわからない。そんな身を、あなたに差し出すことなどできません」

 

 

 クラピカの言葉は正しかったが、レオリオは、何とも言えない気持ちに襲われる。己のことを、クラピカがその様に捉えていることが無性に悲しかった。

 それは違うぞと、大声で言ってやりたくなった。

 しかしその気持ちはおさえ、彼に同調しネオンに言う。

 

「……こいつもこう言ってるんだ。悪いが諦めてくれ」

「むー……」

 

 ネオンは頬を膨らませた。どう納得させたものかと、考えを巡らす。

 だがネオンはしばらく唇を尖らせた後、吹っ切れたように言い放った。

 

「……まいっか! こんなに珍しいものが見られたし」

 

 その発言に、クラピカもレオリオも呆気に取られてしまう。

 

「あの…本当に、いいんですか?」

 

 思わずといった風に、クラピカは彼女に尋ねていた。

 

「え? いらないの?」

「いえ、そういう訳ではなく」

「確かに、譲って欲しいと言ってるのはこっちだけどよ…」

 

 もっと駄々をこねられるかと思っていたのに、拍子抜けした気分で二人は顔を見合わせる。

 

「……こうして見たら、やっぱり両目ともちゃんとあった方がいいと思うし。それにあなたが動かないで屋敷にいる姿を考えたら、ちょっと寂しいなーって」

 

 彼女の言葉に二人は意外な心地になる。同時に、レオリオの中の彼女の印象が少し変わった。我が侭ではあるが、けして他者への思いやりがない訳でないのだ。

 

「それに、パパのことをちょっとは困らせてやれたしね」

 

 ネオンはハンドポーチの中の携帯を改めて取り出した。

 ずっと光っている。父親に命じられ、ファミリーの者達が絶えず連絡をしているのだろう。

 携帯に向かって、ネオンはべーっと舌を出す。

 

「私の占いに頼ってばかりの癖に、いつも約束破るんだもん。『ネオンの嫌なことは絶対にしないよ』って言ってるくせにね」

「……あんたも、色々大変なんだな」

「まあね」

「そういや、百発百中の占いなんだってな」

「うん、自分ではわからないけど。そうだ、貴方のことも占ってあげよっか?」

「……いや、いいよ」

 

 レオリオはちょっぴり苦笑して答えた。彼女の気が変わらないうちに話を進めることにした。

 

「……で、緋の眼はどこにあるんだ?」

「このホテルよ。部屋の金庫に預けてると思うから、ボディガードに持ってこさせるわ」

「わかった。受け取り場所はこの階のトイレ。時間は今日の深夜二時でどうだ」

「いいわよ。二時ね」

「あ。一応言っておくけど、男に運ばせてくれよ。間違っても女子トイレとか嫌だからな」

「わかってるわよー。いくら恰好良いスーツ来ても女子トイレにいちゃ、痴漢扱いだものね」

「…オイ」

 

 ネオンの言葉に、クラピカがくすりと笑った。

 そうして話のなりゆきを見守っていたが、不意にクラピカは彼女の方に進み出る。

 

「…彼を罠にかけないと誓ってくれるか?」

「罠?」

「貴女を信頼していないという訳ではない。しかし、もし彼に何かして、私を自由にしたいと思っているなら、止めてくれ。私の事ならどうしてくれても構わない」

「……クラピカ」

 

 クラピカの瞳は本気だった。

 それにネオンは微笑む。

 

「誓うわ。私はパパと違って、嘘は吐かないもの」

「信じてるぜ」

 

 レオリオの念押しに、ネオンはにっこりと頷いた。

 

 

 

 午前二時・数分前。レオリオは指定した男子トイレに向かった。

 彼女を信用していない訳ではなかったが念の為、ゴンとキルアには離れた場所で待機してもらっている。二人からの連絡もないので、恐らく待ち伏せはないだろう。

 腕時計の秒針を見ながら、時間を待つ。

 約束の時間ぴったりに、トイレの出入り口でノックがなされる。室内にリーゼント頭の男が入って来た。

 

「よ。一日振りだな」

 

 もし取引の品以外を持っている場合も連絡が来る手筈であるので、レオリオ同様、武器の類は持っていないようだ。

 

「ボスからだ」

 

 男は布に包まれた箱を差し出した。

 思っていたよりも小さな容器だった。

 

「……一応、中身を確認させてもらう」

「ご自由に」

 

 レオリオは布をめくる。

 透明な液体の中に赤い瞳が一つ、浮かんでいた。

 ……これが、クラピカのもう一つの眼。

 

「……確かに受け取った。これをあの娘(こ)に渡しといてくれ」

 

 上着のポケットから出し無造作に投げた紙を、男が二本の指で挟む。

 

「…こいつは?」

「あのお嬢さんのご所望の品がありそうな場所だ。礼にもならねぇかもしれないがな」

 

 男は紙を見てほぅと言った。

 

「お前もハンターって訳だな」

 

 オレじゃないけど、と再度思いつつレオリオは口の端を上げてみせた。実際にはゴンとキルアが調べてくれたことだが、これくらいのお株はいいだろう。

 

「じゃあ。お互い命には気をつけよーや」

 

 男はフランクな態度で片手を挙げて去っていった。用心のため彼の退出後数分してから、レオリオはトイレを後にした。

 

 

 

 ホテルに備え付けのスピーカーから流れるラジオをぼんやりと聞きながら、クラピカはレオリオを待っていた。

 月は空の頂点にまで上り、消灯しているにも関わらず室内を明るく染めていた。

 ピピッ、とカードが通される音がして、入り口の扉が開く。クラピカは立ち上がり玄関に向かう。

 

「無事か、レオリオ」

「ああ。待たせたな」

 

 心配そうな眼差しに笑顔で答え、レオリオは抱えた箱を彼に渡した。

 

「お前の眼だ」

 

 するりと布を外す。

 容器の中に入った、クラピカの片目が現れる。

 防腐剤の中に一つだけ浮かんだ、緋の眼。

 今目の前で見ている片割れと同じ、この世の物とは思えない緋色の輝きを放っていた。

 

「……やっと……」

 

 クラピカの言葉はそこで途切れた。

 何とも言えぬ表情に変わるのを、レオリオは痛ましい思いで眺めた。

 

 

 クラピカの片目は、虚空を見つめていた。

 最期の瞬間、何を見ていたのだろうか。

 己を殺そうとする相手を、見つめていたのだろうか。

 

 クラピカは暫しの間動けずにいたが、やがて蓋に手を掛ける。容易に漏れないよう、厳重に閉められていたそれはなかなか開かなかった。

 カポッ。中の空気が抜ける軽い音と共に、ようやっと容器が開く。液体が揺れる。ツンとした防腐剤の匂いが、にわかに近くに広がる。

 クラピカは容器の中に手を差し入れ、己の瞳をすくい上げる。動作を察し、レオリオが容器を持つのを代わった。

 両手の中に緋の眼を転がし、そして、瞼を閉じる。

 すると、瞳が音も無く光り出す。

 

 

 コロン……と、何かが床に転がる。クラピカの左の眼窩に納まっていた偽の青い瞳が、足下に転がっていた。

 クラピカの掌の中にあった眼が消えている。

 レオリオは、クラピカの顔を真っ正面から見た。

 すると、クラピカの紅い両目が、レオリオを見つめていた。

 

「……やっと、本当のお前に会えたな」

 

 

 照れ臭そうに微笑んだ。

 

 

「……やっと君を、ちゃんと見られた」

 

 

 ある意味、この時本当に初めて二人は出逢ったのだ。

 

 二つ揃った緋の眼は、レオリオがこれまでの人生で見たものの中で一番美しかった。レオリオは感動に容器を投げ捨てたい衝動に刈られながら、割れないようそれを片手で床に置く。

 

「……良かったな」

「ああ」

 

 しみじみと言ったレオリオにクラピカが返す。

 

「これで、やっと還れる」

 

 クラピカは、小さく呟く。

 

「……どこに?」

「故郷に」

 

「クルタの森に」

 

 

 クラピカの言葉に、高揚していたレオリオの気持ちが凪いでいく。

 

 そうだ。初めから、クラピカはそれを願っていたのだ。

 己の眼を取り戻し、故郷に帰りたいと。

 

「……」

 

 わかっていたことなのに、悲しく感じるのは何故だろう。

 

 

 スピーカーから微かに聞こえていたラジオが時報を流す。

 三時の知らせ。番組が変わり、真夜中のミュージックチャンネルが始まる。上階のパーティーの華やかな空気を思わせる、ピアノの美しい旋律が流れ始めた。ワルツだ。

 

 

「……なぁ。踊ろうぜ、クラピカ」

「え?」

 

 レオリオはクラピカの手を取り、彼を引き寄せる。戸惑うクラピカの手を引いて、広々とした部屋に踏み出す。

 

「わ、私はダンスなど習ったことないが……」

「いいんだよ、テキトーに足動かせ」

 

 白い月の光が照らす部屋の真ん中で、二人はステップを踏む。

 カンが良いのか、元々センスがあるのか。少しずつ慣れて来たクラピカは、レオリオのリードに合わせて軽やかに動く。

 呼吸を合わせて足を踏み込む。リズムが心地良かった。

 

 

 それはまるで、魔法みたいな時間だった。

 世界から切り離されて、二人だけで存在しているかのようだった。

 

「なぁ……クラピカ……」

 

 踊りながらレオリオは言う。

 

「このまま、一緒に暮らさないか?」

 

 クラピカはレオリオの顔を見つめた。

 ネオンの言葉と似ていたが、意味合いは違うとすぐに分かった。

 

「確かにお前の存在は普通じゃないけど。でも夜になったら動けるんだし」

 

 普通の人は、太陽の出ている間に活動する。クラピカの場合はそれが逆なだけだ。

 

「こうして眼を取り戻せたみたいに、他にも何だって出来るさ。行きたい所があったら、オレが連れてってやる。だから……」

「レオリオ……」

 

 クラピカがゆっくりと足の運びを止める。

 足首を揃えて、クラピカは立ち止まった。次のダンスの誘いを待つかのようにも見える仕草だったが、クラピカの表情は悲しげなものだった。

 

 クラピカは、レオリオの手を引き寄せ、自分の胸に宛てがう。

 服越しに触れたクラピカの身体は、冷たかった。

 心臓の拍動が感じられない、人形の体だった。

 ……わかっていたことだった。

 

 

「私は、もう死んでいるんだ」

 

 

 クラピカは哀しく微笑った。

 

 

「私は本当は、いてはいけない存在なんだ」

 

 

 そんなことねーよ。

 

 そう思ったが、レオリオは言えなかった。言葉には出せなかった。

 だが、クラピカは彼の声が聞こえたかのように、微笑する。

 

「君の申し出はとても嬉しい……。けれど、やはりダメだ」

「……どうしてもか?」

 

 小声でレオリオは訊ねる。まるで駄々をこねる子どものようだと思った。

 クラピカは、そっと頷いた。

 

 

 ……そう、わかっている。クラピカに消えるなというのは、幽霊に成仏するなと言うのと同じだ。

 自然ではない形で存在し続けることが、どれだけ酷なことか。それはレオリオも十分に理解しているつもりだった。

 生者が死者の魂を、縛ってはいけないのだ。

 

 

 もし、もっと早く出逢っていたなら。

 ……出逢えて、いたなら。

 

 

 一抹の想いが、レオリオの胸によぎった。その想いのまま、クラピカを腕に閉じ込める。

 クラピカは黙ってじっとしていた。抵抗するでもなく、抱かれていた。

 不意に、クラピカはレオリオの肩をつかんだ。レオリオの顔を正面から見つめる。

 踵を伸ばし、細い手をレオリオの頬に添えた。

 そして、更に足を伸ばし、顔を寄せる。

 

 

 クラピカの唇が、レオリオのそれに触れた。

 

 

 これまで味わったのとは、全く違う感触だった。

 

 

 冷たく、しかし柔らかな口づけに、レオリオは眼を閉じた。