「行くんだね」

「ああ」

 

 数日後、一同は再びヨークシンの空港にいた。

 クラピカと別れができるよう、最終便が出る時間帯を選択していた。

 

「ゴン、キルア、ありがとう。世話になったな」

「ううん、この数日間一緒にいられて楽しかったよ」

 

 屈託なく笑うゴンの隣で、キルアも照れ臭そうに言った。

 

「……良かったね。最後の心残り、なくなってさ」

「……ああ。ありがとう。お前達のお陰だ」

 

 短い間であったとはいえ、彼らの間には数年来の知己のような、そんな親し気な空気が通い合うようになっていた。

 しかしこれがクラピカとの永遠の別れであると、誰もが悟っていた。

 寂しさをこらえて、ゴンは言葉を紡いだ。

 

 さよならではなく。

 

 

「……いってらっしゃい」

 

 

 笑顔で送り出す挨拶を。

 

 

「おう」

 

 

 レオリオが片手を挙げる。二人と別れ、ルクソ地方行きの飛行船にクラピカとレオリオは向かっていった。

 

「……付いていかなくて、本当に良いのか?」

「うん。二人だけにしてあげたかったしさ。キルアだって、そう思うでしょ?」

 

 身長差のある二人の背丈を見ながらゴンは言う。

 

「まあな……でもお前、クラピカのこと結構気に入ってたじゃん」

「それはキルアも同じでしょ? 何だかんだ言って、協力的だったじゃん」

「別に、オレはただ出来ることしただけさ」

 

 キルアは肩を竦め、ポケットに手を突っ込む。

 そっぽを向いていたが、再度二人の背中を見遣る。

 

「……クラピカと会ってからさ、レオリオのヤツ、変わったじゃん」

「うん」

「クラピカの方もさ、最初はよくわかんなかったけど。でも自分もダチも殺されてるのに、オレみたいな得体の知れない人間とも普通に話したり、命預けたり、そういうのが出来る奴なんだなって。そういうのがわかったら、何かほっておけなくなってさ」

「わかるよ、それ」

 

 キルアが普段明かさない本音に、ゴンはしっかりと頷きを返す。

 

「今度は、ちゃんとした形でお別れ、できるといいね」

 

 二人の背中はもう、見えなかった。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 それからの時間は、ただひたすらに穏やかだった。

 飛行船を乗り継いで、降りた空港で車を借り、二人のクラピカの故郷を目指す旅をした。

 レトロな汽車に乗り、馬を借りて数里走り、二日ほど。

 

「ここか……」

 

 旅に出て一週間後の、ちょうど昼頃。レオリオはクラピカを背中に抱えてとある森の前に立っていた。

『この先、保護地域につき、許可のない観光客の立ち入りを禁ず』

 真新しい札が立てられている。目的地に間違いない。

 と、そこで背中で動く気配がした。

 

「……クラピカ?」

 

 眼を覚ましたクラピカが、レオリオの背から降りる。

 

「お前、動けるのか?」

「ああ……」

「何で…まだ昼だよな?」

「そのはずだが……」

 

 不思議そうにクラピカが空を見上げ、喉の奥で微かに「あ」と言った。人差し指で示すのにつられて見上げると、木々の合間の空に、青白い月が浮かんでいた。

 

「昼の月……」

「そういえば、月が見えるのは、何も夜だけではなかったな」

 

 クラピカがゆるやかな微笑を浮かべる。

 

「これも、運命なのかもしれないな」

 

 少ない荷物を持って、クラピカが森の中に踏み入る。

 道のわからないレオリオは、付いていくだけの形となった。

 

「……ここが?」

「ああ。私の生まれた森だ」

 

 言葉の足りない問いに、クラピカが答えた。

 

「そして、私の死んだ場所」

 

 クラピカの記憶から荒れ果てた場所を想像していたが、過ぎた月日のためだろうか。森に豊かな緑が溢れている。 

 樹木の隙間を縫うように、この地固有の種と思われるくるくるとしたシダに似た植物がびっしり生えていた。しかし所々それとは違う種も沢山見られた。クラピカの話によると、この森になかったものらしい。襲撃後に訪れた旅人などによって、外からの種が入ってきたのかもしれない。

 

「この森も、また姿を変えていくのだな」

 

 クラピカの言葉は寂しげにも聞こえたが、どこか安心したようでもあった。

 

 

 数時間歩いて、辿り着いた所には、いくつかの焼け焦げたテントのようなものが残っていた。

 これが、クルタ族の集落だろうか。

 クラピカの足は、揺るがない。淡々と、目的の場所へと向かっていた。

 そしてとうとう、立ち止まった。

 

「ここだ」

 

 いくつもある土の盛り上がりの中の一つに、クラピカは屈み込んだ。

 

 

「ここに、私の体が埋まっている」

 

 

 クラピカは地面を撫でた。

 

 

「襲撃の後、誰かが埋めたのだろうな。近くを通った者か、生き残った誰かか、それとも…」

 

 

 思いを馳せるクラピカの声に、微笑が混じった。

 

 

「いずれにせよ、打ち捨てられているよりはよっぽど良い」

 

 

 クラピカの背中が、滲んでくる。

 レオリオはそれでも、彼の姿を見つめていた。

 

「……レオリオ」

 

 立ち上がり振り返ったクラピカがレオリオの顔を見る。

 レオリオの目からは涙が溢れていた。

 涙を流す彼を見て、クラピカは瞳を優しく細めた。

 

「……そんなに悲しむことはないさ」

 

 クラピカは両の眼にレオリオだけを映し、彼の前まで歩み寄る。

 

 

「私は君のお陰で救われたんだよ。レオリオ」

 

 

 ……君のお陰で、世界の広さと人の優しさを知ることができた。

 悲しい思いだけを連れたまま、眠りにつかずに済んだ。

 

 

「君に逢えて良かった」

 

 

 心からの笑みを浮かべて、クラピカは言う。 

 それでも、レオリオの涙は止まることなかった。

 地中にあるクラピカの身体に縋り付くように、地面に膝を着く。

 そんな彼を見下ろす形になり、クラピカは少しだけ困ったように微笑んだ。

 

 

 ……悲しい記憶が、優しい気持ちで上書きされたらいい。

 生きていく人に対して、去りゆく者はそう願う事しかできない。

 

 

 クラピカはレオリオに寄り添い、彼の頭をそっと抱き込んだ。

 

 

「レオリオ」

 

 

 沢山の思いを込めて、囁いた。

 

 

 ……何を残しても、悲しさを孕んでしまうなら。

 

 

 今、伝えたい事はたった一つ。

 

 

「ありがとう」

 

 

 体温を失った唇が、レオリオの額に触れた。

 

 けれど、あたたかいと。血の通った温もりが触れたと、レオリオは間違いなく感じた。

 

 彼の姿を精一杯焼き付けながら、レオリオは目を閉じた。額に触れた暖かさが、体の芯に溶けていった。

 

 最後の涙が、一筋零れた。 

 

 

 

 

 

 夢から覚めたように、再び目を開けてみたら、静かな森だけがあった。

 クラピカの姿も、クラピカを形作っていた人形も、全て消えていた。