驟雨、未だ止まず

 

 

 

 雨粒が体を叩きつける。濡れて自分の体重を感じる身で、狭い路地裏をとにかく走る。

 レオリオは後方を睨む。追いかけてくる気配はない。再び前へ向き直り、腕の中の人物へ呼びかけた。

 

「おいクラピカ!? クラピカ!!」

 

 返事はない。意識を失い脱力しきった身体を抱え、レオリオはひた走る。

 角で曲がり、ブレーキをかけた足を再び加速させながら、もう一度クラピカに視線を向ける。雨で濡れた金髪が顔にかかり、額に張り付いている。瞼は固く閉じきっているため、瞳の所在はわからない。

 先程の光景を、にわかには信じられない。だがまずは治療が先だ。

 すぐにでも確かめたい気持ちを抑え、レオリオは足をひたすらに動かした。

 

 あの少年が去ったとはいえ、再度襲撃がないとも限らない。ビートルで地図を呼び出し、レオリオはシャンハシティの外れの古い病院へ飛び込んだ。大通りに位置する大病院より、目立たない方が良いと踏んだからだ。

 

「おい!! 医者はいるか!?」

 

 ほとんど廃院に近いらしく、中は入り口の段階からすでに老朽化が目立っていた。だが文句は言っていられない。

受付は閉まっている時間帯なのか、インターホンが置かれているだけで人はいなかった。古めかしいブザー音を鳴らすインターホンを連打した後、大声で呼ぶレオリオの元へ、奥から暇そうにしていた看護師らが怪訝そうな様子で出てくる。

 

「あ、貴方は……?」

「いいから、早く医者を呼んでくれ! 怪我人なんだ!」

 

 急な訪問者に困惑する看護師たちだったが、意識のないクラピカとレオリオの必死の形相に、慌てて本来の業務を思い出す。すぐさま、それぞれの仕事へと動き出した。

 レオリオも大股で移動し、室内へと立ち入る。処置室の中央にある寝台へとクラピカを横たわらせ、濡れてしまった服を脱がせて治療の準備を始める。

 棚のそばにあった救急カートを覗く。滅菌された物品を探すが、長い間使われていなかったのか、布の上に埃をかぶっている。

 

「畜生、なんだよここは! ろくな道具もねぇな!」

 

 焦りも相まり、つい毒突く言葉が出てしまう。それでもレオリオは上着を脱ぐと腕をまくり、両手を消毒して応急処置を開始した。

 いきなりやって来た上に、細かく指示まで出すレオリオに、スタッフの中には胡乱げな視線を向ける者もいた。しかしそれらの全ての人間を、レオリオはハンター証で黙らせた。

 そもそもほとんどは、かつて自ら志願して医療職として従事していた者たちだ。レオリオの真剣な態度に心を揺さぶられてか、最初こそ不信感を示していたものの、大半の人々はすぐに協力的な態度に変わっていった。

 一通り目に付いた傷の処置を終えた頃、古びた白衣を羽織りながら、初老の男が慌ててやってきた。どうやらここの院長のようだ。

 老人に近い彼はスタッフと病院の不手際を詫びると、バタバタしつつもすぐさま診療へと取り掛かる。古いこの病院に、常駐の医師は彼一人しかいないらしい。レントゲン室の機材を準備するように、看護師へ指示を飛ばす。

 素人の自分が手を出せるのはさすがにここまでかと、脱ぎ捨てた服を拾って、レオリオはその場を後にした。

 

 

 

 クラピカの命に、別状は無かった。

 診断は、全身の打撲、骨折、裂傷、擦過傷etc.。背中から強かに打ち付けた肋骨を含む複数の骨にヒビが入っているため、しばらくは絶対安静。意識もまだ戻らないので、そのまま病院へ入院することとなった。

 手続きを終えたあと、医師とスタッフへ礼を述べて回ったレオリオは階上の病室に戻る。大部屋だがほとんど患者がいないため、実質個室のようなものだった。

 

 

 いつの間にか日暮れの時間がすぎ、夜が訪れていた。窓の外ではまだ雨が降っている。

 レオリオはベッドで眠るクラピカの元へと近づく。呼吸はいつもより少しだけ早いが、規則正しいリズムで繰り返されている。

 そして頭から目元まで、白い包帯で覆われていた。

 今は隠れた瞳。

 瞼の上から、レオリオはそっと触れる。

 そして、そこにあるはずのものがないことを改めて悟り、知らず顔が歪む。

 

 

 ……恐れていたことが起きてしまった。

 クラピカの瞳がないという事実。それは想像以上に、レオリオの心を打ちのめしていた。

 緋の眼をもつという彼の境遇を知ってから、こういった事態が訪れることを、これまで想像したことが無かったわけではない。だが実際に目にしたその光景は、レオリオに残酷な事実をまざまざと突きつける。

 ベッドで横たわる友。

  頭の中で、もう一人の自分の声がした。

 おまえはまた、助けられなかったのだ、と。

 

 

 

 レオリオは、過去の幻影を振り払うように首を振る。

 

 ––––––クラピカの命は、失われていない。握った手は、まだ温もりを持っている。

 

 ひとたび気を抜けば叫び出しそうな気持ちを抑えて、冷静に、当時の情景を思い浮かべる。

 

 

 

 …………すぐ近くで見たわけではないので、確実ではないが。

 あの時、クラピカがパイロと呼んでいた少年の眼窩が見えたと思った途端、その場所が怪しく光った。

そしてクラピカの両の瞳が、まるで引き剥がされるようにして奪われたのだ。

 

(あれも念……だよな、多分)

 

 あのパイロという少年との遭遇は、偶然ではない。楽器の調べといいホームコードへのメッセージといい、おそらく初めからクラピカを狙っていたのだ。

 しかし瞳が物理的な手段でなく、念能力で奪われたのなら、元に戻せる可能性は十分にある。

 まだ全てが手遅れなわけではない。

 

 

 

 だから、どうか。

 レオリオは祈りながら、意識を落としたままのクラピカの手をさらに握り込む。

 

 

 どうか、もう一度、その眼に自分を映してほしい。

 

 

 

 雨はまだ、続いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画一作目「緋色の幻影」の本編前の話です。

クラピカが入院していたのが、衛生的にどうなんだ…?と言いたくなる病院だったので、その理由とレオリオの医者っぽい姿を見たくて書いた話です。

あの映画に関しては、正直ツッコミどころの方が多いので細かいコメントは差し控えますが、小説版のパイロとの遭遇時、意識を落とす前にクラピカが「すまない」とレオリオへ呟いているシーンなどは好きです。そことかも映像化してほしかったなぁ…(小声)

 

タイトルの「驟雨」は通り雨のことです。映画本編の回想で雨が降っていたので、そこから連想しました。

話が突然はじまり突然終わるのは、それを意識した仕様…ということにしておきます。

 

短いですが、レオリオの医療をかじった感じとか、雰囲気とか、そういうものが少しでも描けていたら幸いです。

ご拝読くださり、ありがとうございました。

 

2023.4.27