すくい
言葉が出てこなかった。
自分自身の吐く息が五月蝿い。わかりやすいほど動揺している。
震えそうになる指を叱咤して、パソコンの画面を凝視し続けた。この場所が何処なのか、はっきりさせなければ。
……ああ、壁の色もすべて真っ赤に見えてしまって、何の役にも立たない。
駄目だ。冷静にならなければ。
動画を閉じると、クラピカはふらつく身体を支えて、仕事部屋を出た。
数十分歩いて、自分しか入ることが許されていない場所へと辿り着いた。
ビル街の中には異質な礼拝堂。そこがクラピカにとっての聖地だった。
安置している仲間達の元へ戻る。
聖堂の真ん中に置いてある椅子まで行き、クラピカはいつものように腰を下ろした。
まだ息が荒い……呼吸が、耳障りだ。
意識して、深く息を吸ってみた。
それを何度か繰り返す。昂った感情を冷まそうと意識し続けていると、景色に元の色が戻ってくる。
だが代わりに無性に目頭が熱くなり、瞼を閉じ、クラピカは身体を丸めるように前に屈める。喉の奥から、声にならない声が漏れ出た。
この感情を、どこへ向ければいのだろう。
怒りを、どこにしまえばいいのだろう。
この、かなしみを、わたしは
長い時間を過ごしてしまった。礼拝堂の扉を、音が響かぬよう静かに閉めた。
仕事場に戻る道すがら、ズボンのポケットに入れたままの携帯を取り出した。
部屋を出た時から誰にも邪魔されたくなかったので、マナーモードでバイブにすら無しにしていた。
すると画面表示が光っていた。誰かからの着信のようだ。
部下からの連絡だろうか、どうやら数分前からずっと電話を鳴らし続けているらしい、そのしつこい電話相手の名前を見ずに、クラピカは無造作に電話のボタンを押した。
「はい、もしもし」
『もしもし、オレだ!』
予想だにしない声に、クラピカの足が止まる。
『やーっとつながりやがった!! おいお前、今どこにいる? オレが一体何度かけたと思ってんだ?』
電話の向こうで、レオリオが止めどなく喋り始める。クラピカは立ち止まったまま、ただその声を聞く。
『そりゃあ、お前が忙しいのはわかってるけどよ。けど時々連絡ぐらいしてくれねぇと、生きてるかすらわかんねぇじゃねーか。てか電話が無理なら、いっそメアド教えろ!』
ほとんど自分への文句である言葉の羅列を、クラピカはその場に立ち尽くして聞いていた。
話す言葉を、忘れていた。
『…………おいクラピカ。どうした、大丈夫か?』
何も喋らないクラピカに気付き、レオリオが心配そうな声音になる。
詰めていた息の合間から声を絞り出し、クラピカは言葉を発した。
「……よく喋る奴だな、君は」
受話器の向こうで、レオリオがほっとしたように息を吐いた。
「クラピカ。お前大丈夫か?」
「ああ。特に変わりない」
ちぐはぐなことを言っていると、自分のことながら思う。
「……そうか」
何かを察したのか、レオリオはそれ以上何も聞かなかった、
「先程からずっとかけてきていたのは、君か?」
「ああ、そうだ」
「……悪いが私は非常に忙しい。今日みたいにタイミングが合えば別だが、普段はほとんど電話に出られない」
「はいはい」
「さらに言うと、私は今、組(ファミリー)の中でも上の位置にいるため、内外との連絡をする機会が多い。例え繋がっても、話し中であることが大半だろう」
「へーへー、わかってますって。十回に一回つながったら儲けモンって考えとけばいいんだな」
「それでもかけてくるつもりか?」
「ああ。オレはしつこい性格だからな」
「……物好きな奴だ」
クラピカは少しだけ口元を上に動かした。ずっと笑うことを忘れていたその表情は、ぎこちないが確かに笑みの形をしていた。
「……先刻、電話に出ないことがほとんどだと言ったが」
「ああ」
「……留守電に入れておいてくれたら、後からでも聞くことはできる。君の好きにしてくれ」
クラピカの発言に、レオリオが笑う気配がした。
「……わかった。じゃ、気が向いたら入れとくわ」
「ああ、わかった」
「けどたまには電話に出るようにしろよ?」
「……努力する」
数日後の夕方。クラピカは取引相手の失礼にならないよう、切っていた携帯の電源を入れた。
すると着信件数が二桁もある。留守電も何件か入っているようだ。
再生してみると、予想していた通りの人物の声が響き渡った。
『よぉ、オレだ。元気か? ちゃんと飯食ってっか?』
「……何件入れてるんだ、全く」
想像していた通り、全て同じ彼からの留守電だった。
悪態を吐きつつ、クラピカは全ての伝言を、最後までしっかりと聞いていった。
END
2014年当時、WJの展開を受けて書いたものでした。
タイトルは「救い」と「掬い」、両方の意味を込めてます。レオリオの「掬い」がクラピカにとっての「救い」になる、といった意味合いです。
初出:2014.5.3 「Walk along with...」
web再録:2018.11.26