あなたの海

 

 

 

 

 少し大きめの、一つのベッドしかない部屋の中。

 二人して向き合い、寝台に腰を下ろす。相手の体を凝視したい気持ちを抑え、レオリオは咳払いした。

 

「一応聞いておくが……」

「なんだ」

「……初めて?」

 

 レオリオの質問に、クラピカは一瞬で耳まで真っ赤になった。

 

「こ、こんなこと、そう何度もあってたまるか!」

「いや、それは人によるだろ」

 

 もっともな指摘にクラピカの顔がさらに赤くなる。その態度から答えはすぐにわかった。

 

「なるほどな」

「……そういう君は……」

「まー、ないと言っちゃあ嘘になるな」

 

 途端に、部屋の温度が心なしか数段階低くなった。真正面から浴びさせられるクラピカの冷たい視線に、予想していたもののレオリオはやっぱりたじろぐ。

 

「……んな汚いものを見る目をするんじゃねぇ」

「別に、そんなつもりはない」

 

 ふいとクラピカは顔を背けた。せっかくの機会なのに機嫌を損ねてしまったか。失敗したなとレオリオは悔やむが、

 

「ただ……」

 

 不安げな声音が続ける。

 

「君と私で経験が違うということは、君がその、満足、できないのでは、ないかと……」

 

 言いながらまた目の端を赤らめていくのを見て、レオリオはクラピカの言いたいことを理解する。

 

「……お前って、結構耳年増?」

「なっ……」

 

 小さな嫉妬と、不安と。それに少し驚きつつもレオリオはくすりと笑みを浮かべる。

 

「冗談だって。お前がいいから誘ったんだ」

 

 唇をクラピカの耳元に近付ける。人間が弱いとされる左側から、悪戯心と本気を混ぜて。

 

「回数が違うなら、経験のある方がリードしてやるってだけの話だよ」

 

 いつもより低めの声で囁くと、金色の髪のすき間で頰がさっとまた色づく。熱を秘めた瞳だけがこちらを見返し、揺らめきののち、なんとも言えない顔で黙りこくる。

 初々しい反応に、そそられる感覚を覚えた。

 

「安心しろ。任せてくればいいさ」

 

 それが合図だった。レオリオの手に促されるまま、クラピカが身を横たえる。

 姿勢を変え、レオリオは腕をクラピカの肩のあたりに置く。

 見下ろすと、クラピカの表情がやや硬くなったことに気が付いた。

 

「……こわい?」

「……少しだけ」

 

 クラピカはレオリオの頰に手を伸ばす。

 

「君の身体は、こんなにも大きかったのだな」

 

 そっと指先だけで触れるような手つきの後、それから手のひら全体で触れてきた。存在を確かめるように。

 前のめりだった身を少し引き、レオリオはクラピカと目線を揃える。

 レオリオは顔をゆっくりと近づける。クラピカはギリギリまで我慢していたようだったが、こらえきれなかったようで、鼻先が近づいた辺りで目を閉じた。

 唇で触れる。繋がった場所から、たがいの呼吸を分け合う。

 

「……やわらかいな、お前のからだ」

「……そんなことはない」

「いんや、オレなんかよりずっと柔らかい」

 

 体の下の感触を、壊さないようになぞる。

 

「まぁ、もうちょい肉付けてくれた方が良いけどな」

「……それは、その方が具合がいいということか?」

「ちげーよ、オレが安心できるってこと」

 

 あからさまな物言いに対して、返ってくる言葉には真摯な響きが込められていた。クラピカは困ったように目を逸らす。

 その仕草を見とめたレオリオは、少しからかうような口調で聞く。

 

「……時々おまえ、そういう反応するよな。なんで?」

 

 慣れてないから? と尋ねると「それもあるが……」と言った上でクラピカは語る。

 

 

「君に気遣われると、苦しいような、くすぐったいような……そんな気持ちになる」

 

 

 それは本来なら『嬉しい』という感情のはずだが。答えるクラピカの顔は曇ったままだ。

 

 

「喜んでいいのか……どうすればいいか、わからない」

 

 

 その表情が迷い子のようだったから、触れながらレオリオは続きを待つ。

 

 

「……大事にすることも、されることも、ずいぶん前に忘れてしまった」

 

 

 クラピカの中に根付く孤独、罪悪感。

 胸の奥深くに強く刻まれたそれらは、幸福を覚えることを良しとしない。これまでもそうだった。ささやかな幸せを感じるたびに、音もなく現れては責め立てた。

 レオリオはその独白を受け止める。否定せずに、ただ、あるがままを。

 

「……また覚えていけばいいじゃねぇか」

「……また?」

 

 まだ何も知らない幼子が、問いかけるように。反復した声に、レオリオは微笑する。

 

「ああ」

 

 絹糸のような金髪を指で梳く。前髪を退けてあらわになった額に、唇で触れる。

 

「教えてやるよ、オレが」

 

 

 

 

 

 ふたたび口付けを交わす。今度はクラピカからも触れる。

 

 

 

 はじめは髪に。次は頰に。

 腕(かいな)に。肌に。

 

 

 

 指で、触れる。

 腕で、触れる。

 唇で。

 体で。

 

 

 

 

 触れ合う。絡め合う。

 

 見つめ合う。

 

 求め合う。

 

 分かち合う。

 

 

 

 

 

 

「い、ま」

「ん?」

「わたしの、め」

「ああ……」

 

 

 

 眼窩には、潤んだ緋色が輝いていた。

 

 

「まっかだ、この世でいちばん、まっかな色」

「……きれいか?」

「ああ……とても」

 

 

 クラピカはうっそりと微笑んだ。艶めいた表情にレオリオはどきりとする。

 

 

 

「……きみのものだ」

 

 

 

 レオリオだけを映して、クラピカは繰り返した。

 

 

 

「きみだけのものだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからは、ベッドの上を泳いでいるようだった。

 二人でずっと、水になって、溶け合って。

 何度も息継ぎのために休んでは、くりかえし、酸素を注ぎ合う。

 愛を、紡ぎ合う。

 

 

 名前を呼び合って、息を吹き込んで。

 

 

 

 波の上を滑るように。

 シーツの海を、泳ぐ。

 

 

 

 

 

 こんなにもあなたを感じる

 

 

 

 こんなにも近くにいる

 

 

 

 別々のいきものなのに

 

 

 

 いまはひとつになっている

 

 

 

 知っていた? 知らなかった?

 

 

 

 こんなにもこころが、満たされることがあるなんて

 

 

 

 

 

 

 

 何度目かの息継ぎの後、すっかり息が上がったのもあって。水から上がった二人はまどろんでいた。

 レオリオの広げた腕の中に、クラピカはおさまっていた。

 感じ入るように、クラピカが呟く。

 

「……君の腕の中は海みたいだ」

「海?」

「うん。ほんの少し冷たくて、あたたかくて、心地よい……」

 

 こんなにも素直なクラピカは初めてだ。先程までの行為で体が語っていたことは聞き漏らさず、つぶさに聞いていた。しかし言葉でこんな風に表現されたのは、初めてのことだ。

 

「それと……君の音」

 

 クラピカはわずかに体をずらし、レオリオの胸に耳を当てる。

 

「波の音に、似てる」

「……そういや、心音や波音は、人間が好む音のリズムなんだってな。確か……」

「1/fゆらぎ」

「……知ってたのに」

 

 オレの台詞とるなよ、と恨みっぽく言うと、ふふっ、と声に出してクラピカは笑う。

 じゃれるように、クラピカはさらに体を押し当てる。耳朶の感触が柔らかい。

 

「規則正しくはないが、ある法則性に基づいた普遍的なリズム……だったか?」

「ああ。人間の生体の神経細胞から出る信号も、1/fゆらぎなんだってよ」

 

 そのため心音も、呼吸も、脳波も完全に規則正しくはなく、リズムの中にごくごく小さくズレ……ゆらぎが存在するという。

 

「だから、人間にとっては本能的に好ましいものなのかもな」

 

 それは、人間の起源が海にあるからだろうか。

 赤子が母の心音を聞いて落ち着くように、自然界の作り出すリズムはふしぎと安らぎをもたらす波長をもつ。

 

「だからかな。こうやって聞いていると、安心できる……」

 

 クラピカは体勢を変え、レオリオの上で横たわる形になる。

 レオリオの鼓動の音に、耳をすます。

 心地よさそうに目を細めるクラピカの頭を、レオリオは撫でる。仕草の一つひとつに、愛おしさを込める。それを感受するクラピカは、夢見るような表情で瞳を閉じる。

 

 

「……初めて会った時……」

「あ?」

「おぼえているか。あの時もほら、波の音がしていた…………」

 

 

 ぼんやりとした言葉は、最後に泡のようなささやきに変わり、誘われるようにクラピカは眠りに落ちた。

 寝息がレオリオの肌に触れる。レオリオは再度クラピカの寝顔を眺めた。

 体温を感じながら、同じ呼吸を交わしていた時を思い返す。

 

 

 ……ここまでくるのに、ずいぶん時間がかかった。 

 出会った時から、同胞や目的のことで、クラピカの心はすでに張り詰めていた。

 そんなクラピカとの関係を変えることで、クラピカの感情が溢れて、壊れてしまうのがこわかった。

 だが……

 ……なんのことはない。溢れたら、受け止めてやれば良かったのだ

 それが今まで出来なかったのは、きっと自分の方がこわかったのだろう。

 心は互いに前から求めていたのに。

 遠ざけることしか知らなかったのは、離せないことに気付いていたから。

 身を焦がす執着も、失う怖さも。想像していたより大きくて、自身の感情を持て余す日々だ。

 クラピカのこととなると、自分が思っているよりもずっと臆病になる。

 

「……オレだってドキドキしてんだぜ」

 

 経験則で通じない相手に、その実もがきながら、溺れそうになりながら接していることを、クラピカはきっと知らないだろう。

 

「お前との恋は、初めてなんだから」

 

 甘い睦言に、うっすらと眠ったままの口元が動く。

 れおりお、と。クラピカの唇が、名前をかたどった気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……波間をただようような感じだ。

 やわらかいものでくるまれているような。

 無条件でずっと身を委ねていられる、そんな心地。

 

 多分、もっと、遠いむかし。当たり前のようにそばにあった。

 還りつく場所。だいすきなひとの、温もりというもの。

 

 

 

 

 ……忘れていた?

 

 

 

 いつからだろう?

 

 

 

 ……でもいまは?

 

 

 

 ああ。なら、それで。

 

 

 

 

 

 頭の奥がはっきりしていく。

 このねむりから覚めるのは、少しだけ惜しい。

 しあわせだと、間違いなく思えるから。

 

 

「クラピカ」

 

 

 眼を開ける。まぶたの裏から、視界が夜明けの色に変わっていく。

 鼓膜をゆらす愛しい声。懐かしい香り。言葉を発するよりも先に、頰が緩む。

 

 

「おはよう」

 

 

 目の前で、海が広がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初めてのR-18です。今回はそれに尽きます。

いつか挑戦したいと思いつつも、恥ずかしさなどから手を出せずにいた領域でした。

 

時期ということもあり、昨年に続き、今年もクリスマスにちなんだ話を書き進めたりしていたのですが(それはまた今度)、ふとある日何気なく診断メーカーさんのお題「あなたの新刊の書き出しったー」をやってみました。

結果は『魚になりたい。魚になって彼の手の中で泳ぎたい。』

診断にときめきつつ、そこから何かのスイッチが入ったように 腕の中→海→波音→心音 と連想が進み、「二人で泳ぐのって何だか色っぽい…」→「よし、思い切ってエロを書いてみよう!」と思った次第です。

と言いましても、ピロートークが中心なのもあり、とてもぬるいです。

カルピスでいったら希釈度90%ぐらい、エロ神様からはお叱りを受けるレベルです。

でも今回手探りながらも挑戦できて、大変でしたけど楽しかったし、無事形になってよかったです。

 

テーマは「多幸感」でした。

本編でのクラピカの背負ったものから、私はついクラピカ中心に心情を描いてしまうのですが、レオリオの方も悩んでいたりとか、お互いがそれぞれ相手に向かって歩み出す過程が少しでも描けていたら嬉しいです。

もちろん、少しでも色っぽさやエロスが感じていただけるものであれば、まさに本望です。

では、最後までご拝読くださり、ありがとうございました!

 

2016.12.25