アルヴィスの七日間の休暇  4 

 

 

 

 

 カルデアに一泊した次の日。ドロシーに見送られたアルヴィスはヒルド大陸の山中へと飛んだ。

 岩肌が目立つ景色の中に、かつてギンタたちと共に訪れた砦があった。

 この場所に住む人々の生業ゆえ、中の者たちに気配がしっかりとわかるように、わざと大きく足音を立てながらアルヴィスは砦の入り口をくぐる。

 すると洗濯物だろうか。衣服をたくさん抱えて歩いていた少女がこちらに気づく。

 

「あれ、もしかして、アルヴィスさん?」

 

 先日のカルデアであったものと似たような反応に、アルヴィスは思わず小さく笑う。

 

「チャップ、だったか? 久しぶり」

「わぁー! お久しぶりデスー!!」

 

 途端にかけ寄ってきた彼女をはじめ、入り口近くで遊んでいた子供たちがアルヴィスの元へ集まってくる。

 どうやらウォーゲーム最終戦前の訪問をしっかりと覚えていたらしい。

 皆アルヴィスを怖がることなく、「今日は妖精さんはいないのー?」などと聞きながら取り囲んでくる。

 子どもたちに両側から腕を引かれて案内されるアルヴィスに、ルベリアの面々も親しげに声をかける。

 やがて奥に走っていった子供の数人が、一人の男を連れてくる。アルヴィスの足元に、長い髪とバンダナの影が差した。

 

「ボスー、ほら早くー!」

「なんやねん、朝っぱらから……」

 

 眠そうに目元をこすっていた人物は、アルヴィスの姿を認めて寝ぼけ眼をまん丸く見開いた。

 

「……久しぶり」

 

 それを見たアルヴィスは、照れ臭そうに微笑する。

 すっかり眠気のとれた様子で、ナナシは相好を一気に崩した。

 

「お客さんやって聞いて誰やと思っとったら……ホンマ久しぶりやなぁ、アルちゃん!」

「ああ。ナナシも元気そうだな」

「まあな。こうしてルベリアの砦を直しつつ、皆とぼちぼちやっとんで」

「そうだよー!」

「オレたちもボスのお手伝いしてるんだよー」

「そうか、偉いな」

 

 二人を囲んでいた子供たちが楽しそうに言葉を添える。それに嫌な顔もせず、アルヴィスは普段よりも幾分柔らかい表情で相槌を返す。

 

「ほらほら、ボスたちも会うの久しぶりなんだから邪魔しちゃだめよ。アルヴィス、ゆっくりしてってね」

「ああ。ありがとう、スタンリー」

 

 気を回してくれた彼が子供たちを引き受け、ひらひらと手を振りながら二人から離れる。

 少し静かになった場で、アルヴィスは懐から手紙と包みを取り出した。

 

「これ、スノウたちから手土産と言付けだ」

「おおきに! ……なんやろな?」

 

 ナナシは手渡された手紙の封を開く。

 ちらりとアルヴィスが覗き込むと、薄い紅色の便箋には女の子らしい、丸みを帯びた文字がつづられていた。

 

 ……盗賊稼業もいいけど、たまにはお日様に当たるように!

 

「あはは、スノウちゃんらも元気そうやなぁ」

 

 文章を覗き込んだアルヴィスも、ナナシとともに思わず微笑んだ。

 ウォーゲームが休みの日は昼近くまで寝ていた彼に、口を尖らせていた彼女の顔が今にも見えるようだ。

 文章の終わりには、エドのものらしき肉球によるサインも黒インクで押されていた。

 最後まで読んだナナシは、便箋を大事に畳んでズボンのポケットにしまう。

 

「相変わらず夜型なんだな」

「まぁ盗賊やしな。けど別に昼間も寝てるばっかやあらへんで?」

「じゃあ起きている時は何をしているんだ?」

「そりゃあ勿論、街で女の子をナンパ♪」

「……聞いたオレが馬鹿だった」

 

 呆れた様子で肩をすくめたアルヴィスに、ナナシはキャハ♡と笑う。

 

「そうそう、アランさんからも伝言があったな」

「え? 手紙やなくて?」

「ああ。わざわざ書くほどのことでもないからと」

「なんて言うてたん?」

「『ナンパもほどほどにしとけ、スケベ男』」

「だからスケベは納得いかん!! ホンマ書くほどのことでもないな……」

「まったくだ」

「てかそれ、今のアルちゃんの気持ちとちゃう?」

 

 さぁなと、アルヴィスはいたずらっぽく笑った。

 

 

 

 砦の中を案内した後、ナナシは日課である弔いにもアルヴィスを伴った。

 部外者であるアルヴィスも共に、ルベリアの人々の墓の前で祈りを捧げた。

 その後、ナナシは砦の中を案内すると言って、再度アジトへと入っていく。

 前回来た時はウォーゲーム中だった。そのため限られた場所にしか入らなかったが、今回はルベリアの盗賊料理が作られる台所から、物珍しい品が詰まったお宝部屋まで、時々危ない仕掛けの施されたアトラクションのようなアジトを、ナナシの先導でアルヴィスは堪能した。

 その道中、二人は近況を話し合った。

 

「…………ガリアンが?」

「ああ」

 

 驚きを隠せないアルヴィスとは対照的に、ナナシは落ち着いた様子で頷いた。

 姿は見えないが、どうやら彼もルベリアへ戻ってきているらしい。アルヴィスはためらいがちに口を開く。

 

「だがアイツは……」

「ああ、わかっとる。けどヤツはルベリアの襲撃に、直接は関わってへんみたいやったし。自分も皆も、ヤツに対しては恩義があるからな」

 

 元チェスであり、ゾディアックのナイトでもあったガリアン。

 複雑な立場ではあるが、現ボスであるナナシがウォーゲームで彼を負かしたことで、ファミリー内では遺恨はなしという方針に決めたらしい。

 わだかまりが完全になくなった訳ではないが、ガリアン自身もみずから砦の復興作業に動くなど、誠意を見せていると言う。

 傷跡も大きいが、ルベリアも少しずつ、元の形を取り戻しているということだった。

 

「アルちゃんは今、何しとんの?」

「クロスガードの一員として、レスターヴァに世話になってる。主に戦後処理が仕事だ」

「チェスの侵攻以外にも、問題は残っとるからなぁ。そうや、ジャックんトコはどうやった? あのパノちゃんとかいう子とその家族、あいつンとこに住んどるんやろ」

 

 相変わらず女子に対する記憶はすさまじい。アルヴィスは呆れを通り越し、一種の感動すら覚えながら返した。

 

「ああ。でもパヅリカはチェスの被害もあまりなかったようで、島の人たちのチェスへの反発心がないのが幸いだな」

 

 長閑な田舎の空気を映したようなパヅリカの人々と仲良くしているという話に、ナナシは安心したように口元を緩める。

 

「あのファミリーも、そんな悪い人間やないしな。ジャックもおるし、きっと大丈夫やろ」

「ああ。……あのキメラのような者たちを出さないためにも、彼らやガリアンのような存在は必要だろうな」

 

 その発言に、ナナシはアルヴィスの横顔を思わず見つめた。

 思い出されるのはラストバトル。キメラ対ドロシーの試合で明らかになったことだ。

 六年前の戦いの後、一時的に平和になった世界の裏で、民衆たちとクロスガードの過激派はチェスの残党狩りを行っていた。

 そしてとあるチェスの婚約者であった民間人にまでも乱暴を働いたという衝撃の事実。

 信じていた正義が新たなチェスを生み出したことを、アルヴィスはひどく気にしていた。

 涼しげな眼差しの裏に、今もその時の動揺は隠れているのだろうか。ふと、ナナシは聞いてみたくなった。

 

 

「……アルちゃんは、恨みはないんか? チェスに」

 

 

 アルヴィスは男性にしては大きめの青い瞳を、ナナシに向けた。

 ナナシには少なくともあった。そもそも仲間の仇討ちのため、ウォーゲームに参加したくらいである。

 そして先の大戦と今回のウォーゲーム開始前。クロスガードの同胞を大勢失ったアルヴィスも、ある意味ではナナシと同じ立場であるはずだった。

 彼に呪いをかけたファントムとの因縁も勿論だが、アルヴィスとチェスの関係はナナシ以上に深いものだ。

 沈黙の後、アルヴィスは静かに口を開いた。

 

 

「……あるよ。今でも怒りや憎しみは、この胸に」

 

 

 アルヴィスは服の上から、ゾンビタトゥが刻まれていた胸元へと手をやる。

 

 

 ……かつてファントムに穿たれた、呪いの炎のように。

 暗い感情は、けして消えない。

 燻ぶる負の感情という名の炎は、今でも時々、アルヴィスの中で強く燃え上がることがある。

 それは失った者たちを思う時や、戦火の傷痕を見る時。

 どうしようもない瞬間にさらされた時、行き場のない衝動が身を焦がす感覚はけしてなくなることはない。それはこの先も、きっとそうだろう

 

 

「けれど、ただ間違いをおかしたものを断罪するだけでは、おそらく本当の解決にはならない。……ウォーゲームやカルデアを見てきて、そう思ったんだ」

 

 

 そして、あの霧の騎士の最後を見て。

 口にはしなかったが、アルヴィスの脳裏には、クラヴィーアへの旅の記憶が強く残っていた。

 ギンタの腕の中で消えていった、霧の城を守護する女騎士。アルヴィスの失われた記憶の中で、幼い彼を導いてくれた人の、その最期。

 ナナシは彼の心情をも読み取ったかのように、神妙な表情で聞いていた。

 

 

「だから……いちど道を間違った者たちも、ふたたび馴染めるような世界にしていきたいと、今は思う」

 

 

 気持ちを表すための言葉を慎重に選びながら、アルヴィスはゆっくりと続けた。

 

 

 

 人間は弱い。誰でも間違いを犯す。

 たとえ心優しき者でも、誰かのために誤った道をたどることがある。

 

 

 けれど、そんな不器用さや脆さも。

 

 

 愛おしいと、二度の戦を経たアルヴィスは思うのだ。

 

 

 

 ……風の噂では、かつてチェスでガリアンと同じナイト級だったイアンと、その恋人のギドは、どこかの村で静かに暮らしているという。

 また子ども好きで有名であったアッシュも、メルヘヴンの外れの街で見かけたという話がある。

 彼らのような存在は、今は改心したチェスであった者たちの、小さな希望となるだろう。

 

「……さよか」

 

 かつてレギンレイヴ城で決意を聞いた時のように、彼の話に口を挟まずじっと耳を傾けていたナナシは、アルヴィスの口元に確かな微笑を見た。

 おもむろに雰囲気を変えるように、にっと笑って提案した。

 

「そうや。アルちゃん、砦の上案内したるわ」

 

 

 

 切り立った崖の上に存在するルベリアの砦。谷の中を蛇行する川を見下ろせる屋上に出たアルヴィスは、顔から突風を浴び反射的に目を閉じる。

 

「っ……すごい風だな」

「今の時間帯はな。けどそろそろ落ち着いてくると思うで。風の流れが変わるからな」

「……ああ、なるほど。夕凪の時間になるのか」

「さすがアルちゃん、よぅ分かったな」

 

 ヒルド大陸の海側に位置するルベリアは、天気の良い日中は海風が、そして夜中には陸風が吹く。その風の入れ替わるときが「凪」である。

 わずかな話ですぐにそこまで思い至るのは、頭脳派な彼らしい。ナナシはヒュウと軽く口笛を吹いてみせた。

 乾いた空に赤いマフラーがなびく。アルヴィスは癖のある髪を押さえながらナナシの横へと来る。

 

 

「……正直、戦争が終わってから、この先どうしたらいいのかずっと考えていたんだ」

 

 

 ビュオオと唸るような音を立てて崖を鳴らす風の合間に、アルヴィスは言った。

 

 

「これまで今を生きるのに必死で、未来のことなど、ほとんど考えていなかったから。……だから仕事に没頭していたのかもしれない」

 

 

 自嘲にも聞こえる響きを混ぜながら零したアルヴィスの横顔を、ナナシは眺める。

 いつかも見た年齢に不釣り合いな、寂しげな顔にも見えた。

 しかしその顔はナナシが何かを言う前に、少年らしい笑みへと変わる。

 

 

「でも皆に会って、自分のやりたいことが少しわかってきた気がする」

 

 

 そう微笑んだアルヴィスを、ナナシはバンダナの下の瞳を刮目して見つめる。

 

 

「……アルちゃん、君……」

 

 

 変わったなぁ。

 そう言おうとして、いや違う、とナナシは心の中で言い換えた。

 

 おそらくこれが、アルヴィスの素顔なのだ。

 これまでは表に出ていなかっただけで。本来はもっと素直に、年相応に感情を表す少年だったのだと。ナナシは改めて知った。

 

 

「ん? 何だ?」

 

 

 憂いや陰りもなく、ふしぎそうに自分を見上げてきたアルヴィスを、ナナシは正面から見つめ返した。

 

 

「……いや」

 

 

 戸惑いすら感じかけた心に、違うだろ、と言い聞かせ。

 思いがけない姿を見られた喜びのままに、ナナシはニパッと人なつこい笑顔を向けた。

 

 

「アルちゃん、また遊びに来ぃや。君の立場じゃ、大っぴらに盗賊と仲良くするっちゅーのは難しいやろうけど。自分らはいつでも歓迎するで。アルちゃんも皆も、もうルベリアのファミリーやからな」

 

 

 ナナシの心からの言葉を、目を丸くして聞いたアルヴィスははにかむように笑う。

 

 

「……ああ、ありがとう。また来るよ」

 

 

 そして照れながらもはっきりと返した声に、ナナシはエレクトリック・アイを着けた利き手を差し出した。

 その手をアルヴィスはためらわずに強く握る。

 年の離れた戦友と互いに、二人は握手を交わした。

 

 

 

 

 

 

 ……小さなことを、積み重ねて。

 人は、失ったものを少しずつ、取り戻していくのかもしれない。

 

 

 

 

(続く)