花嵐の合間に

 

 

 陽光が暖かな色をはらんだ時分。春風が花の匂いと一緒に花びらを運んできて、ドロシーの手の中にそっと落とした。

 小さな薄桃色の花。特徴的な形のそれを見ていると、懐かしい思い出と面影が脳裏によみがえる。

 

 ———故郷カルデアを捨て、ファントムに永遠の命を与えた女・ディアナ。

 けれど彼女はその口で、かつては人として正しくあるべきことを語っていた。

 あの頃の自分は、彼女の言うことは全て正しいのだと信じていた。

 

「……お姉ちゃん」

 

 もう二度と人前では口に出せないその呼び名を、ドロシーは独り、そっと言の葉に乗せてみた。

 

 

 

 

 

 幼い少女の声が、森の中にこだましていた。

 声を張り上げているのは、明るい桃色の髪が目立つ少女。ゴムで綺麗に結ばれた三つ編みを揺らし、まだ年端もいかない彼女は、おもちゃのような可愛らしいステッキを一生懸命に振っている。

 

「えい!えい!」

 

 しかしどれだけ魔力を込めても、ステッキからはそよ風程度の風しか生まれない。

 

「あ〜、やっぱりだめだぁ~」

 

 目に見えてがっくりと肩を落とし、真剣な面持ちでため息を一つ。

 一緒にこうべを垂れるように下を向いたステッキが、不意にひゅるる、と小さく唸る。

 あ、と声に出して思わずステッキを握り直すが、やっぱりほんのそよ風程度のものしか吹かず、少女はもう一度ため息を吐いた。

 

「頑張ってるわね、ドロシー」

「お姉ちゃん!」

 

 そこに少女とよく似た印象の女性が近付いてきた。まん丸とした少女の瞳と比べるとややつり目の涼しげな、大人びた顔立ちだったが、その表情はやさしく微笑んでいる。

 肩の下まで伸びた髪の色は、少女と同じピンク色。

 ぱっと顔を明るくした少女・ドロシーは、歳の離れた姉・ディアナの元へと駆け寄った。

 

「お姉ちゃん、全然できないよー」

「焦らないの。貴女だって、私と同じ魔女の血を引いているんだもの。いつかできるようになるわ」

「本当?」

「ええ」

 

 しっかりと頷くディアナに、先ほどまでの憂いはどこへやら。ドロシーはパッと満面の笑顔を咲かせる。

 素直な彼女の頭に手を伸ばし撫でたあと、「そうだわ」とディアナは両手を合わせた。

 

「頑張ってるドロシーに、いいものを見せてあげる」

「いいもの?」

「ええ」

 

 人差し指を口元に当て、お茶目な様子でウィンクをしたディアナは、懐からARMを取り出すと瞬時に箒へと変形させた。

 

「ゼピュロスブルーム!」

 

 銀の柄が眩しい、西風の神の名を冠する箒。期待にドロシーは目を輝かせる。

 

「さぁ、行きましょう!」

 

 小さな彼女の体をぱっと抱え、箒に腰掛けたディアナはあっという間に空へと飛び立った。

 

 

 

 

 

 身体がぐんぐんと地上から離れていく。二人の乗った箒は、ドロシーが息を詰めている間に街並みを下にしていく。

 

「うわあ……!!」

 

 まだ見習いとはいえ、風使いのドロシーにとって空は慣れ親しんだ場所だ。

 恐怖よりも先に、感嘆が声となってこぼれる。

 

「すっごーい!」

 

 ディアナの飛ばす箒からは、広大なカルデアの土地を遠くの地平線まで見渡すことができた。

 二人の浮かんでいる空よりもっと高い位置には、細長いシルエットのカルデア宮殿がある。

 

「私たち風使いだけの特別な景色よ」

 

 結構な高度にまできているのだが、ディアナは全く疲れた様子も見せず、常に一定のスピードを出し続けている。

 その横顔を見るたびに、ドロシーはいつも「すごいなぁ」と思う。

 

(いつか追いつけるかな。追いつきたいな)

 

 そんな小さな憧れの気持ちをも包み込むかのように、そっと背中を押す言葉をディアナは告げる。

 

「あなたもいつか自分の力で、ここまで飛べる日が来るわ」

「本当?」

「ええ。だってあなたは私の妹ですもの」

 

 屈託ない笑顔を浮かべた姉に、ドロシーもまたはにかんだ。

 

「ありがとうお姉ちゃん、私、もっとがんばる!」

 

 その後も、二人は空の散策を楽しむ。不思議な色合いをした高山の上を飛ぶときは、この辺はマジックストーンにする鉱物がとれるのよ、とディアナは言い、草原のあたりを飛んだときは、ここに生息する魔物の羽は珍しいARMの材料になるのよ、などとドロシーに教えたりした。

 ディアナから聞く話はどれも興味深く、その都度ふむふむとドロシーは相槌を打つ。

 カルデアの街からだいぶ離れた場所まで飛んだ頃、ドロシーは島のはずれのある一帯を指差した。

 

「あ、ねぇねぇお姉ちゃん! 見える? あのピンクの木!」

「ん? ああ、あれね」

「私とお姉ちゃんと同じ色だね!」

「ほんと。近くまで行ってみる?」

「うん!」

 

 近づくにつれ、ほんのりと甘さも感じる花の匂いが春風と一緒に鼻をくすぐる。

 ゼピュロスブルームが起こす風で散らないように、ディアナは箒の高度を保ちつつ周囲を旋回する。

 

「きれいー……」

「この木はね、この季節にだけ花を咲かせるの。……花はとてもやわらかくて風に散りやすいから、すぐにこの光景も見られなくなってしまうのよ」

「こんなに綺麗に咲いているのに?」

「そう」

 

 顔を撫でているのは穏やかな風だったけれど、ドロシーは胸がキュッと切なくなった

 

「……何だか、さびしいな」

「そうね。……降りてみましょうか。」

 

 そう言うと、ディアナは箒を下に傾けて地上へと降りていった。

 

 

 

 一面に広がる木から、無数の花の雨が降る。

知っているはずなのにどこか別の国のような景色に心奪われ、言葉を失っていたドロシーにディアナが再び話しかける。

 

 

「ねぇドロシー。命って不思議よね」

 

 

 ふとディアナからこぼれた発言に、ドロシーは姉の大人びたかんばせを見上げる。

 

 

「こんなに沢山あって同じように見えるけれど、まったく同じ花は一つもないのよ」

 

 

 ディアナは花吹雪へ手を伸ばす。見目麗しい彼女の仕草は絵になるような情景で、幼心にも美しかった。

 

 

「人の命もそう。同じものはけして無いし、いつかは朽ちる時が必ず来る」

「……そんなこと、何で言うの?」

 

 

 まるでいじめられたかのような気持ちになって、ドロシーは悲しげに眉を歪め俯く。

 

 

「ごめんなさい。でもね、だからこそ知っておいてほしいの」

 

 

 苦笑したディアナは、まだ背の低い妹のそばへかがみ込んだ。

 目線を合わせ、小さな彼女の肩に自身の両手を置いた。

 

 

「ドロシー、貴方はこれから沢山のことを知るわ。色々な経験をするだろうし、様々な出会いもある。……突然の別れもあるはずよ。理不尽なくらいにね」

 

 

 どこか痛みを含んだ表情のディアナを、ドロシーは大きな眼で見返す。

 

 

「でもそれらは、全てのものの上に等しくあるものなの」

 

 

 不思議そうに自分を見つめるドロシーに、ディアナは言い聞かせる。

 

 

「いい? いつかは消えてしまうものだから、愛しいものなの。そのことを覚えておいて」

 

 

 花は必ず散る。咲き誇っても、瞬きする間に。

 ……だからこそ、命は鮮やかに輝き、散り際の花に人は魅せられる。

 

 

 あどけない澄んだ瞳をじっと覗き込むように見つめていると、拙い声音でドロシーがたずねた。

 

 

「……この、景色みたいに?」

 

 

 己の伝えたかったことをしっかりと理解した妹の問いかけに、ディアナは嬉しそうに顔を綻ばせる。

 

 

「そう。……忘れちゃ駄目よ?」

 

 

 ふと見るとドロシーの前髪に花びらが付いていた。柔らかい髪の隙間に入ったそれを取ってやりながら、ディアナは彼女の頭を撫でる。

 くすぐったそうに目を瞑っていたドロシーは、先ほどの姉の言葉を噛み締めたあと、破顔して大きく頷いた。

 

 

「……うん、わかった!」

 

 

 それに微笑み返した姉の顔は、世界中の誰よりも優しいものだった。

 

 

 

 

 

(忘れてなんかないわ)

 

 

 突風に目を細めていたドロシーは、過去の残像に一人囁き返す。

 花嵐は止むことなく、周囲を薄桃色に染めている。

 

 

 ……あの女との記憶は、全部覚えている。

 愛しかったはずの思い出たちは、時を経て苦いものに変わり、恨みや憎しみからいつしか忘れることすら望んでいた。

 でも、今はもう違う。

 

 

(貴女も私も、違う道を選んでしまった。ただそれだけなのよね)

 

 

 それは、かつて彼女が言っていた理不尽な別れと言うものなのだろう。

 言い換えると、運命とでも呼ぶべき、残酷なもの。

 

 風が一層強く吹いて、花びらがさらに頭上へと降り注ぐ。

 前髪についた花弁を取り退けて、ドロシーは手袋をつけた手のひらに乗せてみた。

 ……あの時のことを思うと、不意に恋しく、切なくなる時がある。

 

 

(我ながら、ずいぶん感傷に浸ってること)

 

 

 でも、戻る気なんてない。

 そしてそれは、たぶん彼女も同じだろう。同じ思い出を持つ、彼女も。

 

 

 一度手のひらを握り込んだあと、曲げていた指をゆっくりと伸ばす。ドロシーはそのまま、花びらを風に散らせた。

 上昇気流の風に吹かれ、花片は遠く空へと舞い上がっていった。

 

 

 

 

 

 レスターヴァ城のバルコニーの一つ。冴え冴えとした月明かりを浴びながら、私室とも化している空間に女は立っていた。

 

「クイーン」

 

 記憶の澱(おり)に埋没していた思考を引き戻して、女は青年の声に振り向く。

 笑顔だがどこか残念そうにも見える彼の表情で、女は彼が目的を果たせなかったことを察した。

 

「やはり今回もダメだったのね」

「ええ。彼女は姿を見せてくれませんでした」

 

 予想していたのだろう、言葉とは裏腹にさっぱりとした態度でファントムは肩を竦めてみせた。

 近くまでやってきた彼は、片手に持っていた物をバルコニーに置かれたテーブルの水差しに挿した。

 薄桃色の小ぶりの花が咲いた枝だ。

 

「……これは?」

「地底湖の近くに咲いていたので採ってきたんです」

 

 黙って枝を見つめるディアナを見て、ファントムは首を傾げる。

 

「お嫌いですか?」

「無粋ね。脆い生を散らしてく人間共のようで」

 

 ディアナは吐き捨てるようにして答えた。

 気分を害した様子もなく、ファントムは「そうかもしれませんね」と相槌を打つ。

 否、不快になるほどの執着もないのだろう。花は儚い。ファントムが手を下さずともすぐにその身を散らしていく。

 

「でも……」

 

 ディアナは一歩進んで、枝へと手を伸ばしてみた。指で触れた薄紅色の花弁は、夜露のせいかひんやりと冷たい。わずかに甘い匂いがあたりに香った。

 桃色の髪の幻視が、揺れる。

 

 

『うん! わかった!』

 

 

 いつかの春の日。無邪気な瞳で、自分の紡いだ綺麗事に頷いた妹の顔が重なった。

 

 

「悪くはないわね」

 

 

 テーブルに花びらがはらりと落ちる。

 マスクの下でかすかに表情を変えた女の呟きを、夜風がさらっていった。

 

 

 

 

E N D

 

 

 

 

 

 

ネタ自体はやっぱりだいぶ前に思いついていたものです。

誰得?な話なので例のごとく封印していたのですが、いい加減そろそろ形にしてみるかと仕上げてみました。

イメージ曲はGARNET CROWの「まぼろし」をベースに「春待つ花のように」「夢みたあとで」「over blow」らをミックスさせた感じです。多いな!

 

ドロシーがディアナのことを引きずっている話は、中編などで以前も書いているので、今回はシリアスですが湿っぽさはないように、お互い別の道を選んでいる潔さとかを描きたいと思って書きました。

彼女がギンタを始め、メルの仲間たちと会ったことを経て、運命を改めて受け入れ直したと。そういったイメージです。

今回仲間たちの影は全くないんですが、それを前提として読んでいただければ、本文中のドロシーがそこまでセンチメンタルになってない理由にはなるかと。

 

ディアナの方は、私の中では正直、原作はよくわからない人のままです。

というか、本心を最後の最後まで隠していた人だと思っています。

死ぬ間際にマスクを外す時まで、彼女はずっと人間味というものを感じさせなかった人だなと。

アニメの方は、悪い男(キング)に騙されてしまった弱い女性と言うイメージがあるのですが、今回は原作ベースの掴みどころがない感じで、けれどドロシーへの情は捨てていない、といった感じで書きました。

 

ちなみに、ファントムが行ったのはアルマの眠るヴェストリの地底湖です。

ギンタとの初遭遇の時に「何度も来てる」と言っていたので、恐らく以前にも何度か足を運んでいるんだろうと。そう思い描写しました。

なお、今作の「花」は一応桜のつもりですが、メルヘヴンに桜があるのかは不明なのと、過去作で何回かモチーフにしてるので、今作では明言は避けました。

 

最後、ドロシーとディアナの触れた花びらの行き先は、対比になっています。

 

改めて読むと不思議な話ですが、この姉妹の奇妙な関係性が、少しでも表せていたら嬉しいです。

ご拝読くださり、ありがとうございました。

 

2023.3.27