Heart's place

 

 

 

 彼は年の割に、クールで大人びている。

 戦闘経験が豊富なため、実力は高いし、シックスセンスも良い。

 いささか真面目すぎる感があるが、頼りにできる仲間だ。

 その反面、結構意地も張るし、何よりも頑固だ。

 一度決めたことは最後まで譲らない。

 苛立ったら子供のように突っかかってくることもある。

 

 自分の前では、彼はどこにでもいる普通の少年だった。

 

 

 

「おや……お主は……」

「ん? あ……」

 

 驚いたようなガイラの声に背中を向いたアランは、背後に立つ青年の姿に酒を口に運ぶ動きを止めた。

 

「……なんや、オッサンたちもここにおったんか」

 

 長い赤色のバンダナをおどけたように揺らして、ナナシはカウンター席の二人に近寄った。

 レギンレイヴの城下町、時刻も新しい日付を回った頃だった。

 

「隣座るで」

 

 依然として話し声の絶えない酒場。昼間のゾンネンズとの激戦を労(ねぎら)って、ガイラがアランを連れてきたらしい。 

 

「マスター、自分に麦酒を一本」

「はい!」

「オレは追加だ。火酒をくれ」

「はい! 只今!」

「ガイラはどうする」

「いや、儂はいい。まだ残っているのでな」

 

 ナナシの前には汗をかいた麦酒のジョッキが、アランの前には火酒のボトルとグラスが置かれる。

 

「そんな強いの飲んで大丈夫なん? 潰れるで」

「ふん。このオレ様がこんくらいで倒れてたまるかってんだ」

 

 若造と一緒にするなよ、とアランは主人からチェイサーを受け取り酒を器に注ぐ。

 褐色の液体から独特の香気が漂い、ナナシの鼻を刺激する。

 

「おめぇ、修練の門の中で油断して、ゾンネンズの女に操られたんだって?」

 

 横目でナナシをちろりと見て、アランはぐいとグラスを呷った。

 

「所構わずへらへらしてるからだ。アルヴィスの爪の垢でも煎じて飲め!」

 

 麦酒の泡を含みながら、ナナシは苦笑いして答えた。

 

「……たはー! 痛いとこ突かれたわ」

「アルヴィスの場合、お主くらい肩の力を抜いてもいいのだがな」

「こいつの場合は抜きすぎだ。真面目すぎる方が丁度いい」

 

 すかさず口を挟んだアランに対し、落ち着いた様子でガイラが「しかしアラン」と続ける。

 

「お前も言っていたではないか。アルヴィスの相手はナナシで正解だったようだと」

「……ふん。どうだったかな」

「? そりゃどういうこっちゃ?」

 

 明後日の方向を見るアランに問いかけると、彼は手品の種明かしをするような得意げな顔をした。

 

 

「アルヴィスは良い意味でお主の柔軟性を学んだようだし、ほかの奴らも、それぞれの長所を吸収し合っていた。お前にも、真面目なアルヴィスと組むのはいいクスリだっただろう?」

 

 

 予想外の言葉に、ナナシは端正な面立ちを驚きの形に変えてアランをしばらく見つめる。

 

「……オッサン、あのクジもしかして仕組んだんか?」

「いやぁ? ただの偶然だぜ」

「………人が悪いわ」

 

 人を食った笑顔に、ナナシは再び苦笑を浮かべて麦酒を喉に流し込んだ。

 

「ARMの連携は、仲間の癖を知らないと上手くいかないものだ」

「その点で見ると、あの短時間にしちゃ皆上出来だったな」

 

 ザトゥルンを倒したときの皆のコンビネーションを思い返し、年長者二人は普段は言わない賞賛の言葉を口にする。

 ギンタたちを見守る年長者の目をしたガイラが、ナナシに問うた。

 

「少し、互いに近付けたのではないか?」

「うー……ん……でもまだ距離を置かれてるっちゅうか…」

 

 ナナシは今ひとつはっきりしない調子で答える。

 カウンターにジョッキの底が当たって、氷が涼やかな音を奏でた。

 

「……自分にだけやあらへん。アルちゃんは誰に対しても、何か壁がある気がすんねん」

 

 ギンタにも、スノウにも、ジャックにも。

 いつも一緒にいるベルにすらも、彼は境界線を引いているような気がするのだ。

 勿論話しかけられたら普通に返すし、修練の相手もしてやっている。

 しかし彼らに気付かれないように、常に一定の距離を保とうとしている。

 

 

「……壁、か」

 

 

 アランはナナシの示した単語を呟くと、琥珀色の液体に記憶を重ねた。

 

 

「…………六年振りに会った時、あいつはこう言ったよ」

 

 

 己が喚び出したギンタと行動を共にしないのかという問いを、論外といった様子で切り捨てた後。

 

 

 『共に行動して情が移らなければ……そんな思いはもうしなくていいでしょう?』

 

 

「……そないな事を」

 

 

 自分たちの前では決して曝け出されることのない彼の本心に、ナナシは思わず目元を歪めて声を漏らした。

 

 

「……六年前、まだ十歳のガキだったあいつは、あまりにも沢山死を見過ぎちまった。六年経った今も、そのことが足枷になってるんだろう」

 

 

「大事なもんをつくるのが怖いんだよ」

 

 

 一息置いてそう言うと、アランは半分以上残っていた酒を一気に飲み干した。

 

 

 失う痛みを覚えたくないから。

 大事なものを増やさない。

 共に戦う自分たちに境界線(ライン)を引き、一歩下がった所に立つことを己に課す。

 

 

「しかし、心を許さずにはおられまい」

 

 

 ナナシの思考を継ぐようにガイラが続ける。

 

 

「元々仲間意識の強い子だ。同じ時間を過ごした者を、切り捨てることなど出来まい」

 

 

 出逢った当初よりも減った、突き放すような物言い。

 修練の門での出来事。

 増えた微笑と口数。

 

 

「アルヴィスはお主達を認めておる。信頼できる仲間とな」

 

 

 傷付きたくない気持ちとは、裏腹に。

 

 

「……そんな自分に、あいつ自身が一番戸惑ってるんだろうよ」

 

 

 チェイサーに持ち替えたアランがぼやくのを、ナナシはビールが僅かに残ったジョッキを持たせながら聞いていた。

 

 

 

 

 

 その出来事を目にしたのは偶然だった。

 

「お前、オレの呼び方変わったよな」

 

 それは確か、ウォーゲームが始まって少し経った頃。

 ウェポンARMのみの使用を許された実戦トレーニングを終えたギンタが、相手をしていたアルヴィスにおもむろに話し掛けた。

 他愛ないことのように、汗を拭いながら。

 

「……そうか?」

「ああ。前は偉そうに『君』とか言ってたけど、今は『お前』になってる」

 

 意外そうに見返したアルヴィスにそう言い、「偉そうなのは変わんねーけどな!」と笑って付け加えるとギンタはさっさと走っていってしまう。

 忙しいやっちゃなとナナシが苦笑する横で、指摘されたアルヴィスはとても驚いた表情をしていた。

 年下の仲間達と合流する背中を、呆然と見送っていた。

 

 

「そう……か………気付かなかった………」

 

 

 口元を抑えて、彼は声もなく呟いた。

 それは、指摘されたことが照れ臭い、恥ずかしいといった様子ではなく。

 あたかも、己の行動が禁忌であるかのような。

 自分の行いを、後悔しているような表情だった。

 

 その時は、彼の行為を布石とも思わなかったけれど。

 今考えてみると、限りなくアルヴィスが自身に戸惑いを感じている証にも思える。

 

 

 二人が先に席を立った後も、ナナシはしばらく酒を飲み己の思考の海に沈んでいた。

 酒場を出た頃には、明け方になっていた。

 ウォーゲームも休止期間なので寝坊する心配はない。

 急ぐことなく、僅かに明るくなってきた空の下、ナナシはゆっくりとした足どりで城に向かう。

 脳裏にまた、アルヴィスが言ったという言葉が反響した。

 

 

 “共に行動して情が移らなければ……そんな思いはもうしなくていいでしょう?”

 

 大事なものを作って、失うのが怖い。

 それ以外にもまだ、彼を孤高な存在にしている“何か”があると、ナナシは根拠のない確信を得ていた。

 ガイラとアランが示した事も、理由の一つではあるだろう。

 しかしアルヴィスは仲間という外部からの影響を、柔軟に受け止めようともしている。

 

 

 “修行する気があるのか無いのか、どっちだ!!”

 

 “深刻ぶっても始まらないんだろう?”

 

 

 ゾンネンズの二戦士を撃退した後、彼の自分に対する口調は少しだけ変わった。

 人の助言を素直に聞き入れようとする、心の余裕が出来た気がする。

 勿論、他者への壁が完全に取り去られたわけではないが。

 

 “アンタが教えてくれたことだ”

 

「……アンタ、か」

 

 変わらない、呼び方。

 彼のそれに、ナナシは遠回しな拒絶やよそよそしさを感じてしまう。

 信頼、信用……そういった感情は、彼の姿勢からとうに見受けられると言うのに。

 何故だろう?

 

 別れ道まで来たナナシは、ふとあることに思い立ち、城に真直ぐ通じる街道から逸れた。

 あえて城壁の外の森の中を行き、目的地まで遠回りをする。

 森が終わる先、レギンレイヴの統治を受ける街や村が広がる崖の際に予想通り、思い描いた人物がいた。

 アルヴィスだ。

 以前朝焼けの中で見下ろした時と同じく、彼は朝の鍛錬を黙々とこなす。

 辺りのほかの者の気配はない。ナナシは彼に気付かれぬよう、無意識に漏れる己の魔力を極限まで抑える。

 しばらくして、表情を変える空に気付いたアルヴィスが手を止め、崖を振り返った。

 

 

 世界に光が差し込んだ。

 景色が色を取り戻す。

 生まれたばかりの太陽が、彼の横顔を白く染め上げる。

 

 

 ナナシは唐突に理解した。

 彼は他者に対する壁を取り去らないと同時に、愛するこの世界に自身を含めていないのだ。

 

 

 彼は守ろうとするこの世界も、背中を預ける仲間達も全て“守りたいもの”というカテゴリーに分類し、それらの為ならどれだけ傷付いても——死んでもいいとすら思っている。

 失うことへの恐怖を振り払うように、人と関わり合うことは避け、他者に自分を刻まないようにし。

 そして、戦いの時は真っ先に走っていく。 

 自己犠牲にも似た、危うさ。そんな風にナナシには見えた。

 

 

 ——でもな、アルちゃん。

 

 

 君もこの世界の一員なんやで? 

 

 

 世界を守ろうとする君自身は、誰が守るんや?

 

 

 背負いきれるものにも、限度があるんと違うか?

 

 

 

 

 その孤独な背中に届く言葉を、ナナシはまだ持っていなかった。

 

 彼が引いた境界線を、踏み込む事が出来なかった。

 

 そうして詰められぬ距離が————切なかった。

 

 

 

 

 

 →後編