光の粒

 

  

 

 城内だというのに、体が芯まで凍りそうな寒さに、クロスガードの面々は身を震わせていた。

 自然と皆暖炉の方に集まって、体を暖めている。

 

「もう一週間か……」

「なかなか止まないな……」

「今年は寒波が大きいからな……まだ続くだろうな」

「おい、お前ら」

「アラン!」「アランさん!」「アラン殿」

「お前ら、アルヴィス知らねえか?」

「アルヴィスですか? 此処にはいませんが……」

 

 てっきりあなたの方にいっていらっしゃるのかと、と続く言葉に溜め息を吐きながらアランは答える。

 

「あいつここんとこ、ふらっていなくなっちまうんだよ。全くどこに行ってるんだか」

 

 そう話していると、少し離れた場所で暖をとっていた兵士が近づいてきた。

 

「アルヴィスなら、さっき見ましたよ」

「どこでだ?」

「城の裏側に向かうのを見ましたが……」

「そうか、悪いな」

 

 そう言い置いて外へと向かう背中に別の者から、ダンナさんも探してました、と声がかかる。

 

「わかった。ダンナの奴に、オレが連れて帰るって伝えといてくれ」

 

 わかりました、と答える声を背にして、アランは外へと続く扉に向かった。

 城内の兵士の通用口から、外へと出る。

 

 

「……寒っ」

 

 

 途端に襲ってくる寒さに、体を大きく震わせる。

 

 

「まだ止まねえな……」

  

 

 

 白い雪の中、小さな影が見えた。

 

「アルヴィス、こんな所にいたのか……」

 

 ざくっざくっざくっ。

 

 雪を踏みしめる音が静かに響く。

 アルヴィスがいた場所は墓場であった。

 ウォーゲームで命を散らした何人もの同胞を偲んで作られたが、時間が許さなかったため、死体の上に目印となる石を何個か置いた、とても簡素な墓場。

 時々ここに花を捧げていたが、まさかこんな日にいるとは。

 目の前で俯き、必死に何かをしている少年の格好は、長袖を着ているとはいえ今日の様な雪の日には寒すぎるのに。

 

「アルヴィス……お前、何してんだ」

 

 アランの声に、アルヴィスは振り向いた。

 そしてもう一度墓石に向き直り、作業を再開する。

 

 

「皆きっと……寒いと思って……」

 

 

 小さな手に手袋もつけずに、墓石に積もった雪を払う。

 はた目から見てもわかるほど、アルヴィスの手は霜焼で赤く腫れていた。

 

 

「アルヴィス……お前、ずっと……」

 

 

 こうして雪の中、墓の雪を払い続けていたのか。

 何日も、何日も。

 たった一人で。

 

 

「……アランさん」

 

 

 俯いたまま、アルヴィスが声を発する。

 

 

「……なんだ?」

 

 

 葉巻から煙を吐き出しながら,アランは答える。

 

 

「どうして、雪は冷たいんでしょうか」

 

 

 唐突な質問に、声は出てこなかった。

 

 

「皆もう冷たいのに。雪が積もったら、もっと冷たくなっちゃうのに」

 

 

 血にまみれた身体を触ったときのあの冷たさを、まだ覚えている。

 頭ではわかっていた。

 死んだ人間に、痛みなどないと。

 寒さなど、感じないと。

 

 

 でも、あの笑顔が、あの声が、全て、白に埋もれてしまうような気がして、

 払っても、払っても、

 何度もまた、無数の白の粒は冷たい色に染めてしまう。

 

 

「オレには何も出来ないのに、どうして……」

 

 

 悲しい声音で言葉を紡ぐアルヴィスに対して、アランはしばらく何も言えなかった。

 死んじまった人間が寒がるわけねーだろとも思ったが、そんなこと言えなかった。

 

 胸を支配するのは、怒りと無力感。

 目の前で何度も死を見てきた少年の心に、気付きもしない自分と、光すら灯してやれない自分に。

 

 

 だから何も言わず、小さな背中に近づき、頭をくしゃりとする。

 そうして言う。少年の心に少しでも光が射すように。

 墓場に眠る者たちにも届くように。

 

 

「オレたちが必ず、あいつらの無念を晴らしてやる」

「…………」

「お前の気持ちも全部ぶつけてやる。チェスに。だから…………もう帰るぞ」

 

 

 背中から伝わる波動が暖かい。

 アランの力強い言葉に、心の何処かがほんのりと暖かくなるのを確かに感じる。

 同時に、自分の無力さも痛いほど。

 

 

 悲しいのか、悔しいのか。白に狂わされた心はちぐはぐで。

 声を出すと、涙がこぼれてしまいそうだったから、アルヴィスは小さく頷いた。

 

 

 

 

 

 二つの影が墓場から遠ざかっていく。

 幼い両手が払った筈のそこは、再び白に埋もれ始めていた。

 

 

 ざくっざくっざくっざくっ

 雪を踏みしめる足音だけが響く。

 

 

 ざくっざくっ

 アルヴィスは足を動かすのをやめ、墓の方を振りかえった。

 墓石の頭は新しい雪が積もり、灰色の表面は白に染まっている。

 

 

 ……また埋もれてゆく……

 

 

 皆の笑顔が、声が、あの時間が。

 

 

 ……温もりが、埋もれてゆく。

 

 

 

 見上げると、降り注ぐ白。

 止むことのない、白。

 

 

 どうして、冷たいの? どうすれば止むの?

 

 

 この手じゃ駄目ですか? 無力すぎますか?

 

 

 お願い、奇跡なんて望まないから。

 

 

 皆と笑い合う時間に戻りたいなんて言わないから。

 

 

 せめて奪わないで。光を。

 

 

 

 いつしか視界には、灰色の空から降ってくる雪しかなくて、それすら段々と、おぼろげになっていく。

 急速に訪れる、闇。

 

 

 どうすれば

 

 

 答えの無い問いが、頭をまたかすめた時。

 

 

「————アルヴィス!!」

 

 

 視界に金色が、ちらついた気がした。

 

 

 

 

 

 

 暖かい……。

 目を開けると、光があった。

 眩しい太陽のような。温かな光。

 

「アルヴィス! 気がついたのか!」

「ダンナ……さん……?」

 

 呼びかけに気付き、起き上がろうとすると、慌てて手で制された。

 

「まだ寝てろ、お前熱あるんだから」

「え……?」

 

 言われてみると、頭が少し重い。

 身体がなんだか熱い気がする。

 なぜこんなことになっているのか、まだよくわからない。

 

「……オレ、どうして……」

「医者は風邪だろうって言ってたな。三日間も寝込んでたから、皆心配してたぞ」

 

 ぐおーぐおー。

 大きないびきの発信源を辿ると、やっぱりアランだった。

 

「アランのやつもさっきまで起きてたんだけどな。眠気覚ましに酒を飲ませたら逆効果になっちまった」

 

 失敗したな〜と笑うダンナ。

 その姿に、アルヴィスはくすりと小さな笑いをこぼす。

 

 

「アランから聞いたぞ」

「……」

「ずっと雪ん中、墓の雪を払ってくれてたんだってな」

「……はい。でも……」

 

 

 どんなに払っても雪はやまない。

 自分の小さな掌じゃ、駄目だった。

 願いも祈りもつかめない。

 

 黙り込んでしまったアルヴィスの様子に、ダンナは心では苦笑しながら笑みを浮かべた。

 

「何だ〜? そんなしけた面して」

 

 くしゃくしゃっと頭をなでられる。

 子ども扱いされるのは、何だか気恥ずかしい。

 

「ほら、見ろよ」

 

 ダンナが窓に近づき、カーテンを開けた。すると、

 

「あ……」

 

 祈りが通じたかのように、雪は止んでいた。

 降り注ぐ光の音が聞こえそうなほど、静まった世界は、温かく柔らかな白と光に満ちていた。

 

 もうあそこは埋もれる事は無い。

 

 

「昨日やっと止んでな。もうすぐ春だぞ」

「……春……」

 

 

 手に出来なかった筈の光。

 今、この両手に溢れるほど降り注いでいる……

 

 

「ああ、だからもう、皆寒くないんだ」

 

 

 その言葉に振り向くと、ダンナは優しい笑みを浮かべていた。

 

 

「……もう、皆、寒くないんですか」

「ああ、アルヴィスのおかげでな」

 

 

 自分は無力だ。でも

 

 

 この手でも、つかめた願いがあった——————。

 

 

 アルヴィスは笑った。思いっきり笑った。

 光の中で、顔をくしゃくしゃにして笑った。

 

 

 ここ数日の間見ることのできなかった、花の様な笑み。

 

 

 それがとても嬉しくて、ダンナも笑った。

 アルヴィスもまた笑った。

 笑い始めるとなぜかおかしくなって、お互い腹が痛くなるまで笑い続けた。

 

 

 

 まだ寒く冷たい空気が支配する世界で、そこだけ、暖かい光につつまれていた。

 

 

 

END

 

 

 

 

 

 

雪ネタシリーズ第3作目。多すぎだろ……と自分でも思います。

この話は一年前「墓石に積もる雪を払うアルヴィス」というネタがある時唐突に思いつき、ようやっと一年後に(……)形になりました。

ダンナさんとアランの動かし方にかなり悩まされた作品です。おじさんはわかりません……(オイ)

 

止まない雨はない。雪も然り。

使い古されたこのフレーズも、時々信じられなくなるほど絶望が深いときもあります。

それでも、なにも掴めないなんて程、人は無力ではないと思うのです。

 

未熟な作品ですが、少しでも楽しんで頂けていたら幸いです。

最後までお付き合いくださりありがとうございました!!