何気ないこと

 

 

 

 浴場に繋がる扉を開けると、ナナシは思いがけない人物と出くわした。

 部屋中に立ちこめる湯気のせいで、はっきりとは認識できないけれど。

 入り口から少し入った場所、浴槽から離れたスペースに陣取っているのは、まぎれもなく彼だ。

 

 ぴちゃ、ぴちゃという足音を立ててやってきたナナシを、彼はほんの少し眼を丸くして見上げ、また視線を前方へと向ける。

 

 

「こんな時間に風呂か」

「アルちゃんやて、似たようなモンやないか」

「オレはいつもこの時間に入っている」

 

 暗にお前が遅いんだ、と告げられる言葉に、ナナシは相変わらず綺麗な顔しとるのにクールな子だ、と小さく笑う。

 

「女の子たちがなかなか離してくれなくてなー。えらい遅くなったさかい、一人寂しくお風呂しよかと思ってたんやけど」

 

 アルちゃんがいるから良かったわーと、端に用意されている桶と椅子を持ったナナシは自分の席を確保する。

 途端に眉間に皺を寄せ渋い顔をしたアルヴィスが、不機嫌そうな声で聞く。

 

「……なぜ隣に座る?」

 

 常人ならば一瞬ひるみそうになるその視線を、ナナシは不思議そうに見返す。

 その様子にさらに皺をよせたアルヴィスが続けて言う。

 

「他にも席は空いているだろう」

「冷たいコト言わんといてーな。せっかく一緒にお風呂入ってるんやから、男同士、裸の語らいでもしよかと」

「オレは一緒のつもりはない」

 

 冷たく言い放った後、手に取ったシャンプーでアルヴィスはわしゃわしゃと髪を掻き始める。

 様になってるその様子に、男ながらナナシはつい見入ってしまう。

 しばらく瞳を閉じて髪を洗っているアルヴィスを見た後、ナナシは自分も身体を洗い始める。

 だんまりを決め込んでいるアルヴィスにナナシはこりもせず話しかける。

 

 

「アルちゃんはホント美人やなー」

 

 

 ぴたっと、アルヴィスの動きが止まった。

 面白いぐらいに止まった。

 髪をかき回していた動きを止め、ぎぎぎと、アルヴィスは壊れかけた人形の様にゆっくりとナナシの方に顔を向けた。

 

 

「どういう意味だ、それは」

「どうって、そう思ったから言っただけやけど」

「……オレは美人じゃない」

「いや、美人やん」

「それは女に言う言葉だろう」

 

 

 オレは男だ、と憮然とした顔で言ってくる。どうやら、自分でも女顔という自覚があるらしい。

 そして自分以外にも過去、誰かからそんなことを言われたのだろう。

 いつになくムキになる様子に、ナナシはそんなことを思った。

 いくら言った所で、ナナシに言葉が通じないと分かったのだろう。アルヴィスは再び視線を戻し、唐突に話題を変えた。

 

 

「いい加減その呼び名はやめてくれないか」

「ええやん。『アルちゃん』て、可愛くてええやないか。呼びやすいし」

「オレは男だ」

「愛称の方が親しみわくやないか」

「わかなくていい」

「……どうしても嫌なんか?」

「どうしても」

 

 

 即答する様子にナナシはうーんと首をひねる。

 正直、やめるつもりは全くない。

 しかしここで納得してもらわないと、彼はこの先もやめろと言い続けるだろう。

 それも楽しいが……。

 

 

「あ、そうや」

 

 

 ポンと手を叩き、ナナシは笑顔で提案する。

 

 

「アルちゃんが自分のことを『ナナちゃん』て言うてくれたら、やめても良いよ」

「……はあ!?」

 

 いつになく大声を出し、椅子がひっくり返るくらいの勢いでアルヴィスは振り向く。

 

「どうや?」

「……っ!!」

 

 信じられないという面持ちで、呼吸できない魚のように口をぱくぱくさせたあと、アルヴィスは要求を飲もうとする。

 

「……ナナ……ナナ……っ」

 

 顔を真っ赤にさせながら、言葉を発しようとするがそれは喉の奥で音にならず消えた。

 

「……っぷ」

 

 その様子にこらえ切れずに、ナナシはあはははは!!! と爆笑した。

 

 

「————もういい!」

 

 

 ナナシの反応にさらに顔を赤くさせたアルヴィスは、子供のように言い放ったあと頭から湯をかぶる。

 泡を全て流し、桶と椅子を所定の位置に片付け、アルヴィスは浴槽へと向かった。

 

 

「今日はアルちゃんの面白い顔ばかり見てるわー」

 

 

 楽しげに笑い、その背中に声をかけながら、ナナシはアルヴィスの方へと振り向いた。

 

 

 その瞬間、彼は驚愕に目を見張った。

 アルヴィスの背中に走るおぞましいタトゥ。

 いや、湯気で気付かなかったが、腕や掌の方にまでそれはあった。

 

 

 まるで禍々しい文様のような。

 彼を絡み付けるかのように存在するそれに、ナナシは息を飲んだ。

 先程まで騒がしかったナナシの変化に気付いたのだろう、アルヴィスはちらりと視線を向けた後、湯につかりながら静かに言った。

 

 

「……不快に思ったならすまない」

 

 

 湯に映る自分の姿に、アルヴィスは目を細めた。

 

 

「これを見せない為に、皆と時間をずらしていたんだが」

 

 

 すっかり一人で入ることに慣れていた、とわずかに苦笑しながらアルヴィスは言った。

 

 

「……いや」

 

 

 感情の呪縛から解き放たれたナナシは、どう答えたら良いか判らず、言葉を濁しながら前へ向き直った。

 先程までの騒がしい会話から一転し、互いに沈黙を保つ。

 

 

「……どう思う?」

 

 

 静かになった空間にポツリと響いた声。

 

 

「そのタトゥか?」

「ああ」

 

 

 ナナシはしばらく答えを思案したが、正直に自分の気持ちを口にした。

 

 

「アルちゃんには、似合わへんな」

 

 

 その答えに、アルヴィスは湯面を見ていた顔を少し上げた。

 そして、とてもとても小さく、笑った。

 

 

「……そうか」

 

 

 ざばぁ、と音を立てて湯から上がったアルヴィスは、やや俯いていて表情は判らない。

 先程彼が小さく笑った所も見えなかったナナシは、不味いことを言っただろうかと自問する。

 

 

「先に失礼する」

「……さよか」

 

 アルヴィスはしっかりとした足どりで脱衣所の方へと向かう。

 

 

「___」

 

 

 すれ違い様、耳元でアルヴィスが小さく言った言葉に、ナナシはほんの少し目を見開いた。

 泡にまみれた頭をあげると、アルヴィスは既に出て行く所だった。

 少年が出ていき一人だけとなった空間で、ナナシは呟いた。

 

 

「……何で『ありがとう』?」

 

 

 その問いには、蛇口から漏れた水音だけが答えて。

 

 やっぱり今日は彼の見たこと無い所ばかり見ている、と。

 今日何度目かわからない感想を、ナナシはまた覚えた。

 

 

 

END

 

 

 

 

 

 

初めてのナナアルだと思います。タイトルそのままですみません(汗)

ナナシにとっての何気ない一言が、アルヴィスにとっての大きな意味を持った。

たった一言が思いがけず救いになるような、そんなイメージで書きました。

 

ナナシとアルヴィスのやりとりは他サイト様でも沢山やられていて、自分が書いて果たしていいんだろうか……とびくびくしながら書きましたが、思いがけず好評を頂き、自分でもお気に入りの作品になりました。

少しでも楽しんで頂けたら幸いです。

 

最後までお読み下さり有り難うございました!

 

 

2009.3.3