僕らの世界

  

 

 

「どうしたの? ギンタン」

 

 見慣れた東京の景色をぼんやり眺めていたギンタは、本来ならばこの世界にいるはずのない魔女の声に振り返る。

 アパートの廊下。アップにした桃色の長い髪の毛が、夕焼けの色に染まっている。

 現代風なカットソーとカーゴパンツに身を包んだ彼女は、修練の門から迷い込んできたメンバーの中で誰よりもここに馴染んでいるように見えた。

 

「ドロシー……」

「ずっと怖いカオしてるよ。……何かあったの? アルヴィスと」

 

 何故と、聞きたげな顔で自分を見たギンタに、ドロシーは

 

 

「ギンタン、帰ってきてからアルヴィスの顔見ようとしないから」

 

 

 沈黙を返すことで、ギンタは肯定した。

 

 

「……記憶をなくしたアルヴィスに、さ」

 

 

 “馬鹿馬鹿しい”

 

 

 “何がメルヘンの世界だ。からかうのも大概にしろ!!”

 

 

 本当はこちらの世界の人間でない、別の世界の住人なのだと説得するために聞かせたたくさんの話を、ギンタはたった一言で切り捨てられてしまった。

 他の皆と同じように、彼が記憶をなくしているのはわかっていた。

 それまでの彼と、価値観が変わっているのもわかっていた。

 だけど。

 

 

「でもアイツには……アイツにだけは、言ってほしくなかった」

 

 

「アイツが……アルヴィスが、オレを喚んだくせに」

 

 

 拗ねた子供の姿で、錆びかけた手すりに体を預けるギンタを見遣って、隣に並んだドロシーは手すりを背にし、後ろ手をかけながら空を見上げた。

  

「……ねぇ、ギンタン」

 

 

「ギンタンの世界は平和よね……」

「え? まあ、そりゃあな」

 

 

 曖昧な調子でギンタは同意した。

 この世界に戦争は確かに存在するけど、少なくとも自分たちの日常にはなかった。

 遠いほかの場所は違うだろうけれど、自分の住むこの東京は、メルへヴンに比べたらずっと平和だ。

 

 

「普通に毎日が来て、学校へ行って、家に帰って飯食って、そんで寝て……」

 

 

 そしてメルヘヴンの夢を見る。現実にはないファンタジーが詰まったお伽の国を。

 

 

「でも、メルヘヴンはギンタンの世界とは違った」

「……ああ。夢が溢れてるだけじゃない。悲しいこともいっぱいあった」

 

 

 夢見ていた、美しいだけの世界ではなかった。

 チェスに侵攻されたり、家族を亡くしたりして、涙を流し、悲しんでいる人々が沢山いた。

 

 

「それが当たり前だったのよ」

 

 

 微かに顔を辛く歪ませたドロシーの静かな言葉に、ギンタは思わず息を止めた。

 

 

 

 メルへヴンに来て、何を見た?

 

 

 理不尽な暴力。

 戦争。

 敵討ち。

 同い年のスノウが背負うもの。

 掟に縛られたドロシーの責務。

 

 

 アルヴィスの抱える、呪い。

 

 

「今までアルヴィスは、世界とか仲間とか、自分以外の沢山のものを背負ってた。

 だからこそ、目を逸らさずに走っていられたんだと思う。……走るしかなかったんだと思う」

 

 

「この世界に来て、メルへヴンでの柵(しがらみ)から解放されたことで、自分と向き合う時間が出来たんじゃないかしら」

 

 

 生き抜くために押し殺していた、本当の心、願い。

 ドロシーの推察に、ギンタは穏やかな様子で琴美と接していた彼を思い出す。

 ……だから彼は、最後まで見つからなかった?

 病院という閉鎖的な場所に隔離されていた以外にも、彼の心が強く平穏を望んでいたから?

 

 

「アルヴィスだけじゃないわ。ほかの皆も……私も」

 

 

 憂いを帯びた瞳で、唯一血を分けた姉を殺さなければならない少女はうっすら微笑む。

 

 

「きっと何処かで、こんな世界を望んでた」

 

 

 何も言えなくなったギンタに、ドロシーは床にしっかり足をつけて言葉を続けた。

 

 

「すぐにわからなくてもいい。でもアルヴィスを否定しないであげて欲しいの」

 

 

「あの子は本当に苦しいものを抱えてる。皆強いと思ってるから気付かないけど、本当は一番壊れかかってるの。だから……

「………」 

 

 ギンタの視界の橋で、ドロシーの手がもどかしげに握り締められた。

 

 

「お願いね、ギンタン」

 

 

「アルヴィスを助けられるのは、きっと君しかいないと思うから」

 

 

 

 寂しいような、悲しいような笑みで言われた真摯な願いを、ギンタはわだかまりなく受け止めた。

 彼女の為にも、彼の為にも。自分には為さねばならないことがある。

 

 

「……当たり前だろ。アイツは仲間だ。必ず助ける!」 

「……うんっ」

 

 

 力強く返した言葉に、ドロシーはようやく陰りのない笑顔を見せた。

 

 

 

 

END

 

 

 

 

 

「馬鹿馬鹿しい」というアルヴィスの例の台詞を初めて聞いた時、仕方が無いこととは言え「喚んだお前が言うか!」とテレビを見ながら思わず憤ってしまいました。

本編ではその後すぐにリリスの話に映ったので触れられませんでしたが、もし時間があったら私と同じ様に(笑)ギンタも不貞腐れてたんじゃないかと書いてみた話です。

色々突き詰めて考えていくと、「それでもまた」でも触れましたが、皆にとってあの東京は「理想の世界」だったのかなと思います。

メルへヴンでの使命から解放されて、望むものがあって。

特にアルヴィスの場合「命の期限」があった訳ですから、他のメンバーより執着も強かったのではないかと思います。

 

全て思い出した今なら、アルヴィスはきっとまた自分を顧みず走っていく。

そんな彼を蝕む呪いに責任を感じつつ、助けると言えないドロシー。

二人の心を垣間見て、ギンタは己に出来ることをしようと思う、そんな話です。

 

久々の短編で、色々説明が必要になってしまう話ですが、少しでも楽しんで頂けましたら幸いです。

御拝読下さり、有り難うございました!

 

2010.9.25