あなたがここにいる理由

 

 

 

 

 開放的な造りを演出する大きな窓から入り込む夕暮れが、胸に染み入って痛い。

 さよならの言葉も残さずに去った少年を想い、虚脱感に襲われていたアラン・ナナシ・エドワードたちの空間を揺らしたのは、唐突なノックの音だった。

 誰も答えることをせずに時は流れ、沈黙を返事と判断したのだろう訪問者がかちゃりとノブを回す音が響く。

 ゆっくりと開いていく扉。長く伸びる影。

 そこに、もういなくなったはずの彼の姿があった。

 

「……アルちゃん?」

「……アルヴィス?」

「アルヴィス殿!!」

 

 ぽかんとした顔で自分の名を呼ぶ三人を見て、扉の前に立つ彼は居心地悪そうに笑う。

 普段の落ち着きはらった態度はどこにいったのか、慌てて駆け寄ったアランが急き込んで尋ねた。

 

「お前、どうして……」

 

 その問いに、アルヴィスは答える代わりにだまって服の袖をまくる。

 彼の細い腕には、変わらずその存在を主張するタトゥが刻まれているが、それは手の甲の浅い部分までで、ここ数日間見慣れていたかたちではなかった。

 

「タトゥが……」

「戻ってやがんのか?」

 

 驚きに途中で切れたナナシのあとを継いだアランの言葉に、アルヴィスは穏やかな表情で頷いた。

 アルヴィスは何よりも嫌悪するタトゥを少し懐かしむように見つめると、もう片方の手でそれをゆっくり撫でる。 

 大切な思い出を、なぞるように。

 

 

「もう少しだけ、生きることを許されたみたいです」

 

 

 そう言って彼は、年相応の少年の表情で、はにかむように笑った。

 

 

 

「一体どないして元に戻ったん?」

「……ゴーストチェスの三姉妹、覚えてるか?」

「……ああ! あのアー、とかべーとかいう子供たちですな」

「彼女たちが助けてくれたんだ」

「あのガキたちが、か?」

「はい」

 

 パルトガインで戦った、ギンタたちとそう年の変わらない少女たち。

 勝ち気に笑うべー、遠慮がちに話すツェー、幼い子供のように無邪気なアー。

 三人は静かに死を迎えようとしていたアルヴィスに、ひとつのARMを渡した。

 兄と慕うカぺル・マイスターが残した、たったひとつのARM。

 体に染みついたゴーストARMを唯一除去できるARM、「ナイトメア・シール」を。

 それはゴーストARMを使用している者にしか発動できない、特殊なARMだった。

 

 

「初めは、オレが彼女たちに使おうとしたんですけど」

 

 

 ゴーストARMの実験台であった彼女たちは、自分たちの肉体の限界を悟っていた。

 

 

 “私たちと……カペル兄ぃの出口を…………あなたに託します”

 

 

 決意した目でそう告げた三人は、命をかけてナイトメア・シールを発動し、アルヴィスのゴーストARMを取り去ってくれたという。

 気付いたときには彼女たちの姿はなかったと、アルヴィスは少し悲しげに語った。

 

「……そうか」

 

 相づちを打ったアランの声が、オレンジ色に染まった部屋に響く。

 ナナシもその響きに同調するように目を細めた。

 エドもぼろぼろ泣きながら話を聞いていたが、やがて涙を拭いアルヴィスの手をとる。

 

 

「何はともあれ、アルヴィス殿がご無事で本当に良かった!! ささ、皆さんの所へ!」

 

 

 手を振り回す勢いで強く握ったあと、エドはアルヴィスの背中をどんどん押し始め、歩くよう促した。

 

 

「うわ、ちょっとエド……」

 

 

 慌てた様子で部屋を出るアルヴィス。

 その背中を、残された二人は笑顔で見送る。

 

 

 ……彼は呪いから解放されたわけではない。

 この瞬間は、束の間の平穏に過ぎないだろう。

 しかし。

 

 

「運命は……そんなに残酷でもなかったということか」

 

 

 アルヴィスは自分たちのもとに戻って来た。

 そして今、確かに笑っている。

 

 

 希望は、消えていなかったのだ。

 

 

「……良かったなぁ、アルちゃん」

 

 

 終わりを告げる夕暮れ。

 切ない色の輝きが、彼らには何かの始まりに思えた。

 

 

 

 

 その夜は宴会となった。

 アルヴィスが戻ってきたことを、今回の件で協力してくれたレギンレイヴの兵士やウィートたちも交え皆で祝った。

 祝われる当人のアルヴィスは、仲間たちのあまりのはしゃぎっぷりに苦笑しつつも楽しそうであった。

 隣で酒を飲むアランと時折言葉を交わしながら、ギンタたちのどんちゃん騒ぎを優しく眺めていた。

 

 

 明け方。

 空になった酒樽をいくつか片付けて、アルヴィスは人々が雑魚寝を広げる宴会場を抜け出し城のベランダへと向かった。

 数時間前にも訪れたベランダからは、変わらずレギンレイブの森やウェッジタウンが望める。

 少しずつ復興され、現在は襲撃前とほとんど変わらぬ活気を見せるウェッジタウンは、日の出前の今は静寂を保っている。

 空はまだほの暗いが、もう少しすれば朝日が差すだろう。

 アルヴィスはしばらくの間、大理石の欄干に手をかけて早朝の冷たい空気に包まれていた。

 

「やっぱりここにいたんやな」

 

 ふいにかけられた声に後ろを振り向くと、先程起きたばかりにも関わらずしっかりした足どりのナナシが立っていた。

 

「酔いは冷めたのか?」

 

 先刻はすごい寝相だったが、とくすりとアルヴィスが笑うと、自分を誰やと思てんねんと楽しそうに声が返ってくる。

 

「盗賊ギルド・ルベリアのボスやで。あれくらいの酒で潰れたら仲間に笑われるわ」

「確かにナナシが二日酔いになったのは見たことないな」

「そやろ?」

「あまりボスとしての貫禄がないものだから、そのことを忘れていた」

「……さりげなく酷いこと言うな、アルちゃん」

「そうか? それは悪かったな」

「……全然悪いと思てへんやろ」

「うん」

 

 笑顔で頷くアルヴィスに、ナナシは白旗の代わりに両手を上げてみせる。

 二人はひとしきり、再び訪れた穏やかな時間に浸り笑い合う。

 

 やがてナナシは少し表情を変え、ベランダの右端にある欄干の方へと歩き出した。

 腕を軽く持ち上げ、夜明け前の淡い青色に沈んだ柱に彫られた文字を、指の腹でなぞる。

 

 

「願いが叶う落書き、か」

 

 

 文字を終わりまで辿ると、人差し指でトンと叩いてみせる。

 

 

「自分らには『願いが叶うARM』は手に入らへんかったけど、これがきっと、願いを叶えてくれたんやね」

「……それは、何の話だ?」

「アルちゃんは知らんのか?」

 

 

 丁度、ウェッジタウンが襲われる少し前のことなんやけど、と前置きする。

 

 

「ここでお祈りしてた子供たちに聞いたんよ。この柱の前で祈れば願いが叶う、って」

「へぇ……」

「あの子たちは、メルへヴンが早く平和になるように、って祈っとったな」

 

 

 見慣れた柱にまつわる予想外の話に、アルヴィスは素直に驚いてそれを見上げた。

 

 

 (思いを継げばそれは決して消えない それが『希望』)

 

 

 柱に刻まれた文字は、かつて幼い自分がダガーで刻み付けたもの。

 アルヴィスがダンナから、そしてギンタがアルヴィスから受け継いだ言葉。

 アルヴィスが六年間生きる指針としてきたその言葉は、ロマンチックな噂話と共に、今も誰かの心の拠り所となっているようだ。

 

「……優しい良い子たちだな」

 

 子供たちが一心に祈る様子を想像してアルヴィスは微笑むが、その前にあったナナシの言葉を思い出し、青い瞳をほんの少し見張って尋ねる。

 

 

「……祈ったの、か?」

 

 

 ナナシも、と、声に出さずに問うと、彼はわずかに吐き捨てるようにして答えた。

 

 

「それしか、出来へんかった」

 

 

 柱に当てた掌に力を込める。

 

 

「……本当はな、悔しかったんや」

 

 

 自らの感情を落ち着かせるように、ナナシはそっと肩の力を抜くと秘めた心情を吐露していく。

 アルヴィスは目の前の彼から紡がれる思いを、ただ黙って聞いていた。

 

 

「アルちゃんが行くって言うた時、止めることもできへん自分が悔しかった。アルちゃんはこの世界が大好きやのに、何で死ななきゃアカンのかって思ったら、悔しくて悔しくてたまらんかった」

 

 

 出逢ったばかりの頃、木の上から見下ろしたアルヴィスは柔らかい眼差しで、夜明けを見つめていた。

 冷めた物言いばかりで一見冷たい風に見えて、本当は誰よりも世界への愛に溢れている。

 そんな彼を見守る日々を繰り返すうち、ナナシは彼が愛する世界の中に自身を含めていないことに次第に気付いた。

 彼は常に戦士として、世界に対して守る者であろうとしており、その為ならばいつでも命を捨てようとする。自分のことを抜きにして未来を考えている。言うなれば、危うさのようなものを持っていた。

 何故かはわからない。しかしアルヴィスが愛する世界のために己を捨て、殉じようとするのなら。

 

 

 ナナシは、彼が愛しいと思うこの世界ごと、彼を守ろうと、そう誓った。

 

 

 それなのに、現実はあまりに無情に押し寄せてきて。

 死を間近に控えた彼に対しナナシができたことは、ただ送り出すだけだった。

 

 助けてやると言えないことが憎らしく、

 看取ってやると言えないことが無力だった。

 

 

「……ほんで、君の気持ち考えたら余計に、悲しくて辛くてたまらんかった」

 

 

 そして何より、ナナシはクラヴィーアを去る際にアルヴィスが見せた後ろ姿と表情が辛かった。

 張り裂けそうな痛みを意識するたびに思い出した、悲しい顔が。

 今まで一度も見たことのなかった、失意と悲しみの入り交じった泣きそうなくらい歪んだ表情が。

 

 

 視界の端の空が僅かに色を変える。

 どこからか吹いてきた涼しい風が、自分たちの横を通り過ぎた。

 長い時間なにも言わなかったアルヴィスが、ナナシの背を見ながらゆっくりと口を開く。

 

 

「……知ってる」

 

 

 微かな風の音とともに寂しげに返された囁きに、ナナシは少し息を飲んで振り向いた。

 仄かに明るい薄闇の中の顔が、困ったように小さく笑っている。

 しばらくその顔に見入るとやがて納得したように、自然と笑みが漏れた。

 

 

 囁かれた言葉が意外なほど、胸にすとんと落ちてきたのは、振り返らずに去ってゆく背中が心の奥で、謝罪と感謝を呟いたのが聞こえていたからかもしれない。

 

 あの時二人の間に流れた切なさは、再び会えた喜びとなって、じんわりと胸を満たす。

 

 

「だから今、君が戻ってきてくれて、めっちゃ嬉しい」

 

 

 言えなかったさよならの代わりに嬉しさを伝えると、アルヴィスがまた悪戯っぽく繰り返す。

 

 

「……知ってる」

 

 

 楽しげに笑う顔を、唐突に光が照らし出す。

 その軌跡を追ってナナシが振り返ると、地平線に一筋の光が走った。

 壁の文字が白い光に消されてく。

 

 

 青色だけだった世界が静止し、そして、

 

 

 夕暮れとは違う、本当の始まりが訪れる。

 

 

 

 太陽の光が、地上に存在する全てのものに、命を吹き込んでゆく。

 

 

 

「……またこの景色が見られるとは、思ってなかった」

 

 

 世界が再び生まれゆく光景に言葉を失っていたアルヴィスは、ぽつりとそう呟くとナナシの隣に並んだ。

 噛み締めるように瞳を閉じると、肺に空気を吸い込んでみる。

 

 

 

「……生きてる」

 

 

 

 空に光が溢れる。

 

 

 

 気持ちが、溢れる。

 

 

 

 

「オレは今、生きているんだな」

 

 

 

 

 再び動き出した太陽が告げてくれる。

 

 

 

 今、ここにいていいんだと。

 生きてて、いいんだと。

 

 

 

 

 光に包まれながら、アルヴィスは泣きそうにも見える幸福な表情で目の前を見つめる。

 その姿に、世界に拒絶された時の儚さは、もうない。

 

 

「……アルちゃん」

 

 

 いつかの時のように、また名前を呼ぶ。

 ゆっくり首を動かして自分を見上げた少年に、ナナシはそっと言葉を贈った。

 

 

 

「おかえり」

 

 

 

 朝日に溶けた笑顔が返事を返すのが、はっきりと耳に届いた。

 

 

 

 

END

 

 

 

 

「ゲーム版クラヴィーアのED後のお話」というリクエストの元に、このお話を考えていた時、以前から構想を練っていた「夜明け」と関連させよう...とふと思い付きました。

 最初は作り手側のささやかな楽しみのつもりだったのですが、ゲームを改めてプレイし、台詞を見、そして書いていくうちに、自分の技量では一つのお話でアルヴィスの心の動きを書き切れないことに気付きました。

 その為、一つ一つのテーマは違いますが「世界とアルヴィス」を軸に「夜明け」,「世界の片隅で」,「あなたがここにいる理由」の3つの作品、別名「夜明けシリーズ」を書くことになりました。

 夜明けを見る、ということは、戦士であるアルヴィスのアイデンティティの確認。

 そこを出発点に、世界に対して傍観者であったアルヴィスが、本当の意味で世界の一員になれた=生きることを許されたというゴールに至るまでを、精一杯書き上げました。

 

 この話を書くことで、改めてアルヴィスという人間について考え、彼を少し知ることが出来たかな、と思います。

 そして、彼がもっと好きになりました。

 

 リクエストして下さった蓮華様には感謝の気持ちで一杯です。本当に有難うございます!!

 そして恩を仇で返す様にこんなにも時間をかけて申し訳ございません...。

 至らない所ばかりの作品ですが、良ければお受け取り下さい!

 

 最後までご拝読下さり、有り難うございました!!