Re;birth 第二話

 

 

 

 蒼い風が止んだ。

 宙に舞い上がっていた髪が降りる。

 倒れている仲間を担いで引き上げていく盗賊たちを背景にして、彼は軽く微笑んでいた。

 

「いやぁ……驚いたわ」

 

 自然と漏れたナナシの偽りない本心からの言葉に、アルヴィスは誇らし気に笑みを深める。

 その表情はどこにでもいる少年そのもので、やはりついさっき高度な魔法を発動させ賊を蹴散らした人物とは思えない。

 

「見たところ風魔法を使っとったみたいやけど……君は何を司る精霊なん?」

 

 ナナシの何気ない質問に、アルヴィスはそのことに初めて気付いたように目を瞬(しばたた)かせ、暫し考え込んだ。

 

「……わからん」

「……あれ?」

「精霊であることは確かなんだが」

 

 何の精霊なんだろう、と他人事のように呟く。その様子にナナシは軽く拍子抜けする。

 精霊はそれぞれ、司る場や要素により様々な力……俗に言う魔法というものを扱うことができる。

 魔法はナナシたち人間の間では、限られた者しか使えない力だ。故に精霊と契約を交わし、その超自然的な力を物にしたいと考える人々はたくさんいる。実際に契約を結び、常人では不可能な偉業を成し遂げた賢者や戦士の話が、古くから各地に伝わっている。

 森を住処とするならば木、水辺で暮らすならば水、熱い煙を吹き出す山の主ならば火といったように、住み着く土地の違いで精霊の司る力も違うことが、最もポピュラーな話だ。

 雷や風のように、世界に圧倒的な存在感を示す大きな力から、花や石といった小さなものにまで、この世に存在する全てのものに精霊は宿る。生命の種類と同じように、その種類は千差万別である。

 

「詳しくは聞いてないが、多分土地の精霊の類(たぐい)なんじゃないか?」

「そんなアバウトな……」

 

 あれだけの魔法を使ったのだから、相当力のある精霊だと思ったのだが……本人が自身についてまるっきり何も把握してないという事実に、ナナシは密かに脱力する。

 まあ百年も眠ってたんやったら、色々忘れんのかもな。ナナシはそう勝手に結論付け、失敗をごまかすように笑う彼にそれ以上の追求を止めた。

 それに彼が何の精霊であるかを知らないところで、自分達の関係にたいした変化はないだろう。自分は彼の力を目的としている訳ではないのだから。

 アルヴィスの髪がわずかにオレンジ色を帯びた。視線を上にやると、天井が青色から色を変え始めている。遺跡を探索し盗賊を倒しているうちに、夕刻になったらしい。

 

「今夜は野宿やな。ここ、泊まってもええ?」

 

 一応礼儀をわきまえて遺跡の主(らしい)である彼にお伺いを立てる。と、野宿という単語に驚いたのか、アルヴィスは意外そうに眉を動かす。

 

「オレは構わないが……麓には戻らないのか?」

「朝から半日かけて登ってきたんやでぇ? 今から降りたら真夜中になるわ」

「……そんなにかかるものなのか……」

 

 大袈裟に肩をすくめるナナシに、感心したように言ってアルヴィスは素直に納得した。

 反応を見るに、もしかしたら彼はこの遺跡から外に出たことがないのかもしれない。あるいは、百年経って忘れてしまったのか。

 

「この辺りはそうでもないみたいやけど、夜になると魔物も騒ぎ出すしの。大人しくしてるのが丁度ええんや」

「……意外だな」

「……何が?」

「盗賊ってもっと、夜に活動してる印象だった」

「それってかなり昔のやつやろ? 今は時間とかあんま関係あらへんで。

 それに、自分は盗賊やなくて、トレジャーハンターや! 間違えたらアカンで!」

「……そうだったな」

 

 あくまで自分の呼び名にこだわる様子に、アルヴィスは小さく唇に笑みを乗せる。

 初め彼が見せた敵愾心のようなものは、すっかり薄れつつあった。

 

「トレジャーハンターとは、どんな意味の言葉なんだ?」

「ん? トレジャーは“宝物”で、ハンターは“狩人”とか“探す人”っちゅう意味やで」

 

 アルヴィスの質問に答えながら、ナナシは野宿のために近くの枯れ木や葉など薪の材料を集め始める。「他にすることもないから」と樹々と話すことの出来るアルヴィスがその作業を手伝い、近くで倒れた木から枝の一部を貰ってきた。それも加え、立派な焚き木の山が完成する。

 洞窟に転がっていた石で焚き木を囲い、鉄製の五徳を敷く。その下にポーチの奥から取り出した炭を一欠片積み、五徳の上に小型の鍋を置いた。

 鍋に水筒の水を注ぎ、乾燥した食材をいくつか入れて風上に移ると、あらかじめ除けておいた細めの枝にマッチを擦って点火する。

 

「よっと」

 

 火種ができたのを確認し、炉の下に放り込む。

 夜の帳が降りた洞窟の端で、一つの明かりが灯った。

 

「あ、今更やけど、火起こしてもええ?」

「……構わないって言ってるだろう?」

 

 本当に今更だなと苦笑したアルヴィスは、ナナシの行う目新しい作業が見えるよう向かい側に腰を下ろした。ナナシは火の加減を見ながら調理を進める。

 

「火を起こすと知っていれば、オレが点ければよかったかな」

「火属性の魔法も使えるんかいな」

「一応な」

「万能やねぇ」

 

 具材をほぐして蓋を乗せると、手前の通路からきょろきょろ首を巡らせるベルがやって来た。

 

「あー! ここで焚き火するなんて!!」

 

 煙を頼りにこちらを見つけたベルは、ナナシの作業に憤慨して噛み付く。アルヴィスの住処で火を使うことは、西の国で言う土足で玄関に踏み入るような行為に映るのだろう。文字通り飛んできた彼女に、慌ててナナシは弁解した。

 

「いや、ちゃんとアルちゃんにオッケーもろたで!」

 

 本当? と疑わし気に見上げたベルに、アルヴィスは微笑んで頷く。

 

「大丈夫だよ。近くに動物たちの気配はないし、彼は草花を傷付けないよう森から離れてくれてるから」

「ならいいけど……」

 

 と口をつぐむ彼女は、何より誰よりアルヴィスが心配なのだろう。それを十分承知しているらしく、己の肩に腰掛けた彼女にアルヴィスは「心配してくれて有難う」と囁いた。

 

「あ、そうそう。男の子だけどね。皆見てないって」

「そうか……だそうだ、ナナシ」

「暗くなったし、家に帰ったのかもなぁ」

 

 ありがとなベルちゃん、と言うと、ベルは先程のことが引っかかっているのか、罰が悪そうに視線を泳がせた後「………どういたしまして」と小さな声で返した。

 それに笑んで応えると、大分水が煮えてきたので鍋に固体のスープストックを投入する。完全に溶けた頃合いを見計らって、鍋の火を小さくした。

 

「よし、出来上がりや」

 

 野菜の味が染み出たスープを、アルミのカップに注(つ)ぐ。

 

「はい、アルちゃん」

 

 肩にベルを乗せ調理を見守っていた彼に、一杯目を差し出した。

 

「助けてもらったのと、手伝ってもらったお礼や」

 

 炎に照らされた青い目をまん丸くして、アルヴィスは不思議そうにカップを見、それからナナシを見た。

 

「……オレは食べなくてもやっていけるぞ」

「あ、そーなん?」

 

 真顔で指摘された事実に、ナナシは湯気を立てるカップを手に彼を見返す。

 精霊と人間はいささか勝手が違う。アルヴィスの見た目は全く人間と変わらないので、つい彼との差異を忘れてしまいがちだなと、ナナシは内心呟いた。

 しかし折角作った料理なので念を押してみる。

 

「食べられへんってことやないよね?」

「……ああ」

「せやったら食べ? 自慢やないけど、料理は結構得意なんやで!」

 

 暖かいスープの注がれたカップを、アルヴィスは遠慮がちに受け取った。

 

「……いただきます」

 

 ベルが不安そうな眼差しで見つめる中、カップの端に口をつける。

 微かな喉の鳴る音。

 

「……美味しい」

 

 思わず、といった風に零れた言葉に、綻んだ口元。

 

「そやろ?」

 

 その反応に満足して、ナナシは笑顔で相槌を打った。

 

「何でも出来立てはごっつ美味いんや」

 

 ナナシは自分のもう一つの食事を取り出す。紙に包まれた、麓の村で購入したチーズの乗ったこんがりと焼かれたパン。それを短い鉄の棒に指し、火で焙る。

 チーズがとろりとしてきたのを確認して、炎から離し少し待つ。火傷しないよう指先だけでそっと持つようにして、パンを頬張った。

 焼かれてから時間が経っているので少し固いが、香ばしくて美味い。あの賊との戦闘でよく潰れなかったものだ。

 アルヴィスがスープをベルにも分けてあげているのを横目に、彼らのほぼ倍の速さでパンを食べ終え自分の分のスープを注ぐ。具がたっぷり入っているので腹にもたまる。

 猫舌なのか熱そうに顔をしかめるベルを、アルヴィスと一緒に笑って眺めた。

 

 

 食事の後、ナナシはアルヴィスに旅の話をした。

 これまで見てきた土地、目にした珍しい物、出逢った人々。

 トレジャーハンターとしての武勇伝も交え、様々な冒険談を話した。

 昔と言葉が随分変わっているらしく、アルヴィスが知らない単語を訊ねる度にひとつひとつ説明する。そのため話はなかなか進まなかったが、不思議と嫌な気はしなかった。

 焚き火の明かりとは別に輝きを見せるアルヴィスの瞳が、高揚している彼の気持ちを現していて、ナナシの顔にも自然と笑みが浮かぶ。

 樹々と風の囁きだけが聞こえる洞窟の中、楽し気に会話を交わす二人を、ベルは黙って見ていた。

 

「オレの知らないものが、この世には沢山あるんだな」

 

 膝の上で眠ってしまったベルの髪を梳きながら、アルヴィスは小さくなった炎を見つめて言った。

 感嘆の息を吐いた表情は、未知への憧れに焦がれているように見えた。

 

「……見てみたいか?」

「ああ」

「せやったら、一緒に来る?」

「え?」

 

 髪を撫でる指が止まる。

 

「自分と一緒に、旅してみんか?」

 

 ナナシを向いたアルヴィスの呼吸が、一瞬止まった。

 

「……それは、契約をするということか?」

「ちゃう。契約はせぇへん」

「契約をすれば、オレはお前の使役する守護精霊(ガーディアン)になる。そうすればお前はオレの返答に関係なく、オレを連れて行くことができるが……」

「契約とか力とか、そんなん関係あらへん。自分は精霊である君の力が欲しいんやない」

「じゃあ、何故?」

 

「自分の話聞いとったアルちゃん、すごい楽しそうやったから。

 もしアルちゃんが旅をしたいなら、それに付き合ってもええなって思ったんや」

 

 ナナシを見つめたまま身動きしようとしないアルヴィスに、ナナシは緊張をとるように優しく付け足した。

 

「無理して来る必要はないけどな。…決めるのはアルちゃんや」

「……どうして………」

 

 アルヴィスは言葉を選びながら、ゆっくり訊ねる。

 

「会ったばかりの……人間でないオレに、優しくしてくれるんだ?」

「人間であるとか無いとかやない、アルちゃんはアルちゃんやろ」

 

 アルヴィスの息が、止まった。

 動きも、止まった。

 瑠璃色の瞳を大きく見張って、目の前のナナシを見つめた。

 そして少しの沈黙の後、戸惑った顔は泣きたそうな笑顔に変わる。

 心の底から、感慨を噛み締めているような。

 とても嬉しそうな表情に、ナナシには思えた。

 

「……少し、考えさせてくれないか」

 

 微笑んだまま、アルヴィスはナナシから視線を逸らした。

 

「オレだけの問題ではないから」

 

 するりと、アルヴィスの指が再びベルの髪を滑る。それを見てナナシはわかった、と答えた。

 精霊である彼が離れることで、土地に影響が出てしまうかもしれない。それに百年振りに目覚めたのだから、色々考えたいこともあるだろう。ナナシは彼の決断を急かすことはしなかった。

 明日の朝此処を発つ旨を告げて、ナナシは薪の燃え滓(かす)をかけて火を消した。

 

 

 アルヴィスは一人、洞窟を出て森を歩いた。

 草の擦(こす)れ合う微かな音を立て、夜の道を歩いた。

 

 不意に立ち止まり、風の音色を聞いた。

 

 

「………初めてだ」

 

 

 さわさわさわ

 

 

「あいつから聞く話も、あいつも」

 

 

 さわさわさわ

 

 

「……オレは………」

 

   

 さわ………

 

 

 彼の呟きに返すように、樹々に茂る葉が揺れた。

 

 

 

 

 朝。ナナシが目を覚ますと、目の前にすっきりとした顔のアルヴィスがいた。

 

「おはよう、ナナシ」

「ああ……おはよう、アルちゃん」

 

 真っ正面から自分を覗き込んでいた彼に、軽くうろたえつつも挨拶をした。

 声をかけてきた表情は晴れやかなものだったから、返事をする方も笑顔になる。

 

「ナナシ。昨日の晩、お前が言ってくれたことだけど」

 

 身を起こしたナナシに、アルヴィスは確認する様に問うた。

 

「オレが共にいて、お前は迷惑ではないのか?」

「せやったら、最初から提案せんよ」

 

 柔らかい口調で否定する。正直アルヴィスだけでなく、ナナシ自身も自分の行動に驚いていた。

 これまで腕が立つ故に、同行を申し出る者はいくらでもいた。

 しかし他人に気を遣いたくはないと、一人の方が気楽だからと、そのような申し出はずっと断ってきた。己からもすることはなかった。

 それなのに、この少年にはするりと誘いの言葉が出ていた。

 

 

 凄い精霊である筈なのに、世間知らずだからか。

 大人びた口調なのに、感情を素直に表すからか。

 何だか放って置けなくて、彼といると、とても楽しいのだ。

 

 ナナシの言葉に勇気付けられたのか、アルヴィスは思い切ったように告げた。

 

 

「オレは、オレの知らない世界を見てみたい」

 

 

 意志を持って真直ぐに見てくる瞳を、ナナシは黙って見つめ返す。

 

 

「だから………」

 

 

 言葉を止め、はにかむように笑ってアルヴィスは言った。

 

 

「……連れていって、くれるか」

 

 

 控えめな問いに対する答えは、決まっていた。

 

 

「……ええで」

 

 

 朝の陽射しが差し込んだ世界で、ナナシはアルヴィスに手を差し出す。

 

 

「君に世界を見せたる」

 

 

 差し出された掌に、アルヴィスは己の手を重ねた。

 触れ合った指から体温が感じられて、どちらからともなく二人は笑い合った。

 それは、形を持たぬ契約だった。

 心と心の盟約だった。

 

 互いにその手が手放せなくなると気付くのは、そう先のことではない。

 

 

「……そっか」

 

 少し遅れて起き、アルヴィスの話を聞いたベルは寂しそうに微笑んだ。

 精霊よりも魔力の低い妖精は、魔力の源がある土地から離れると弱ってしまう。

 花の妖精である彼女も例外でなく、二人の旅には付いていけない。

 

「私は行けないから、留守番してる」

 

 それでも笑顔で見送ろうとしてくれている、いつも自分を大事に思ってくれる小さな妖精に、しゃがんで目線を合わせ、アルヴィスはしっかり頷いた。

 

「アルを宜しくね、ナナシ」

「ああ。ベルちゃんも元気でな」

 

 周囲に置き忘れた物がないかを確かめ、腰にベルトポーチを装着したナナシは勢い良くアルヴィスに振り向いた。

 

「そんじゃ、行きますか!」

「ああ………行ってきます」

 

 最後にベルにもう一度笑いかけて、立ち上がったアルヴィスはナナシを追いかける。

 頭一つ分背の高い彼の隣に並び、光に照らされた森の中を歩いて行く。

 

「行ってらっしゃーーーい!!」

 

 二人の影が彼方に薄れてしまうまで、ベルは手を振っていた。

 時々振り返るアルヴィスに、どんどん小さくなる背中に手を振り続けた。

 やがて二人が完全に見えなくなった頃、ベルは何処も見ずに話し掛けた。

 

「……ファントム、聞こえる?」

「……ああ」

 

 低い男の声が返事をした。

 

 

「……あの子が、目覚めたね」

 

 

 二つの眼差しは、始まり出した旅路を見つめていた。

 

 

 

 

第二話 終

 

 

 → 第三話  

 

 

 

パラレル第二話です。一話に比べると短いですが、出逢いと旅に出るくだりは区切りたかったので、同じ日ですが別の話にしました。

 

最後にまさかの人物のセリフがありましたが、彼は終盤近くまで出てきません(汗)

ベルも早速戦線離脱。彼女の出番も終盤までありません。

暫くナナシとアルヴィスの二人だけで、その後他のメルメンバーも出てくるかと思います。

 

書いていて今更な感じですが、このパラレルはアルヴィスの設定をかなりぶっ飛んだものにしているので、他の本編沿いの作品よりナナシに対する依存度が高いです。若干やおい度が増しています(苦笑)

とは言っても私の書く物なので、他の作品同様×ではなく+どまりな感じですが…(再苦笑)

二人の、特にアルヴィスの心の動きを、綺麗に描けていけたらいいなって思います。

 

まだまだ謎の多い話ですが、今後もお付き合い頂けましたら幸いです。

ご拝読下さり、有り難うございました!

 

2010.11.8