Rebirth 第六話 <後>

 

 

 

 

 

 それから何度か魔物を退けつつ、無事に目的地までやってきたが、一同は奇妙なことに気づく。

 

「……なんか、森にしては殺風景な感じだな……」

 

 そう。ギンタの言う通り、冬でもないのに樹木に茂っている葉が極端に少ないのだ。

 森の色彩も、枯れているかのように褪せている。

 

「昔はもっと美しい所だったそうよ。……でも最近、魔物が増えたせいかどんどん荒れてきてるんですって」

「へぇ……」

「……っ」

 

 辺りの様子を窺っていた一行だったが、不意にアルヴィスがしゃがみ込んだ。

 

「……アルちゃん?」

「……苦しい……」

「どないしたん? 具合でも悪いンか?」

 

 ナナシは慌てて声をかけるが、アルヴィスはうずくまったままだ。

 

「……何だか……苦しい……」

 

 力が入らない様子のアルヴィスをナナシは支える。背中をさすりながら顔色を観察するが、良くなる兆しはない。

 

「……苦しい……」

「いきなりどうしたんだ?」

 

 困惑した声を上げるギンタの傍らで「む……」とバッボが唸る。

 

「これは……なんと凄まじい気配じゃ。禍々しいほどの憎しみ……」

「え? バッボ、何かあんのか?」

「おぬしたち人間にはわからぬか。まぁその方がよいかもしれぬな……」

 

 意味深な言葉を吐くバッボにギンタはなおも尋ねるが、彼はそれ以上の言葉をつぐんだ。

 とにかく得体の知れない何かが在るのだと、人外である彼らの様子からわかった。

 じっと近くの樹々を見ていたジャックも、太い眉をしかめる。

 

「……たしかに変な感じはするっスね。植物たちの気配が全然しないし」

「え? 森なのに?」

「そうっス。でも元気がないというより、気配そのものが薄いっていうか……」

「……生気がない?」

「そう! それっス!」

 

 スノウの言葉に、ジャックは大きく頷いた。

 

「ううう……アタシたちもキツいよ」

「ぐるる……」

 

 クレイジーキルトとトトも辛そうな顔をしているので、ドロシーは一旦彼らを別空間に戻すことにした。実体化しているよりは負担が軽いからだ。

 

「ドロシー、危なくなったらちゃんとアタシを呼ぶんだよ!!」

「わかってるって。その時はちゃんと頼るわよ」

 

 念押しする友人に苦笑しつつ、ドロシーは魔力を練り上げ、そして閉じた。一瞬で別の次元が開き、彼女のそばにいた守護精霊たちが消える。

 

『絶対だよ!! 無茶しちゃダメだよ!!』

 

 クレイジーキルトの声が反響しながら小さくなっていった。

 シンとした空間で、不安そうにスノウがアランを見上げる。

 

「ここ……本当に通るの?」

 

 アランは腕組みしつつ、難しい顔をした。

 

「……正直予想以上にやばい感じもするが、こいつらがこうなる原因があるはずだからな」

「うむ。気付いてしまった以上、放っておくわけにもあるまい」

 

 バッボが誰よりも先に同意する。ナナシも同じ気持ちであるが、隣の彼が心配だった。

 

「……アルちゃん、行けそうか?」

「大丈夫……だ」

 

 アルヴィスは荒い息を吐きながらも頷いた。全員を見渡して、やはり決意が変わらないのを確認したアランは、再び先を見据える。

 

「なら行くか。お前ら、周りに気をつけろよ」

「おう!」

 

 一行は再度森の奥へと向かって進み始める。アルヴィスは背負おうかというナナシの提案を断り、ゆっくりとだが自身の力で確実に歩いていく。

 生き物の気配がしない、薄暗い森を行く。雰囲気のせいもあり、自然と皆言葉少なになる。

 沈黙が続きしばらくして、最初に口を開いたのはドロシーだった。

 

「……前に行った街で聞いた話なんだけど。この森にはエルフが住んでいたんですって」

「エルフが? こんなところに?」

 

 スノウの疑問は当然のものだった。魔法の使い手であるエルフは神秘なる種族。清浄な空気を好むが故に、彼らの住居は人里離れた深い森の奥など、秘境とも言うべき場所にあるのがほとんどだ。

 今でこそ種族間の交流が盛んになり、旅人の行き交いが多くなったので見かけることも珍しくなくなったが。本来は、このような荒れ果てた森に住むような種族ではないのだ。

 

「ええ。でもずいぶんと前に彼らは住処を変えたらしくて、今は名残しかないみたいだけど」

「その痕跡も、この荒れ具合じゃわからないかもしれねーな」

「ええ……」

「……あ、あれ」

 

 視力の良いギンタが前方を指差す。同時に駆け出すのをジャックが「待つっスよギンタ!」と追いかける。大人たちも少し足を早める。

 

「これ……小屋?」

 

 開けた場所に、木の幹でできた家らしき建物が固まって立っていた。

 ほとんどが朽ちたそれらは、もはや骨組みしか残っておらず、住居の中がほぼむき出しになっていた。

 

「だいぶ長いあいだ使われてへんみたいやな」

「やっぱりこの森、人が住んでたんだ」

 

 警戒を緩めず一行が廃墟を抜けていくと、かろうじて原型を保っている建物が見えた。

 ほかの住居よりも明らかに手の込んだ作りを施されている。壊れた蝶番付きの扉と色のついたガラスが、床に粉々になって散乱していた。

 

「……ここって、もしかして教会だったのかな?」

 

 壊されて吹き抜けになっていた天窓を見上げながら、スノウがつぶやく、

 その時。彼女の問いに答えるかのように、何者かの声がした。

 

 

  『来るな』

 

 

「? 今なんか言った?」

「いや?」

「オレじゃないよ」

「オイラでもないっス」

 

 

  『来るな』

 

 

 もう一度聞こえた。女子二人がおそるおそる顔を見合わせる。

 

「……聞こえた?」

「うん、聞こえた……」

 

 

  『来るな』

 

 

「これって……もしかして……」

「……幽霊?」

 

 

 誰かが言うのとほぼ同時に、突然どこからか透き通った人影が現れた。宙に浮かぶそれが、ものすごい速さで一行の頭上を通り抜ける。

 

 

「きゃっ!」

「で、出たーーーーーーー!!!!!!!」

 

 思わずスノウが屈む横で、ジャックが蒼白な顔で絶叫する。

 勢いよく突っ込んできた幽霊はふらりと、まるで立ち上がるように体を揺らめかせて振り向く。ギンタの手元でバッボが叫んだ。

 

「ギンタ! こやつを中心に、負の気配が集まっておる!」

「そっか! じゃあこいつを倒せば!」

「荒れた森も元に戻るかもしれねぇってことだな!」

「よっしゃ!」

 

 ギンタはバッボをダガーの形状へと変形させ、大きく振りかぶる。

 幽霊らしきものへと、ギンタの刀身はまっすぐに向かっていく。だが。

 スカッ。

 

「って、あれ?」」

 

  軽い効果音がつきそうな感じで、攻撃は外れる。ダガーをすり抜けた体をアランの掌底が迎えうつが、それもやはり外れる。

 

「チッ、ダメか!」

「なぁバッボ! 幽霊ってどーやって攻撃すればいいんだ!?」

「ワシが知るか!」

「あ、あの! あなたがもしかして、ここに住んでいたエルフなんですか!?」

 

 対話を試みようとスノウが問う。しかし返事の代わりに来たのは攻撃だった。

 かまいたちのような風が幽霊の背後から出現し、彼女を襲う。

 

「あぶねぇっ!」

 

 すかさずアランが、スノウを抱えて退避する。

 壁側でそれをやり過ごしたドロシーは、フードの背中から小さな杖を取り出す。風の精霊の加護を持つ杖だ。

 魔法の素養を持つ彼女は、召喚士としてだけでなく魔法使いの顔も持っている。意識を手の中に集中させる、

 

「西風の箒……ゼピュロスブルーム!」

 

 ドロシーを中心に新たな風が巻き起こる。風と風がぶつかり合う。渦の境が新たな渦までも作り出す。

 その暴風の合間で、アルヴィスの呻く声が聞こえた。

 

「うぐっ……」

「アルちゃん!? 大丈夫か?」

 

 ナナシの心配げな声に応える余裕がないほど、アルヴィスは苦しみの波に支配されていた。

 ……苦しいのは、体ではない。心が、千切れそうなほどに痛い。

 圧倒されるような憎しみ、絶望。

 脳を蹂躙するかのような負の感情。反響する怨嗟の念。

 

 

『来るな。戦争に来た人間どもめ』

 

 

 風を起こしたまま、先刻よりもはっきりした言葉が紡がれた。

 少し低めではあるが、ハスキーな女性のような声だ。

 

 

『あの人の眠るこの地を、これ以上荒らすな』

 

 

 年少組を筆頭に、一同は困惑した顔になる。

 

「戦争って……」

「何言ってんだよ! もう何十年も前の話じゃんか。戦争は終わったんだ!」

『信じるものか!』

 

 否定とともに、豪風がさらに強まる。

 

「皆、私の近くに!」

 

 風の中心は台風の目。術者のドロシーの周囲は無風地帯だ。ドロシーは風の範囲を大きくして、防戦の構えをとる。

 

『人間とエルフが手を結んだなどと……そんな夢物語、信じられるか!!』

 

 彼女の激情を映すかのように、ごうと風が強くなる。

 

 

『踏みにじられた仲間たちの思いを……私は忘れない!!』

 

 

 まるで嵐のような猛攻。ドロシーがクッと歯を食いしばる。

 風の刃が放たれ続ける中、彼女の叫びに悲痛な色が混じった。

 

 

『あの人にした仕打ちを、私はゆるさない!』

 

 

 その嘆きを確かに捉えたアルヴィスは、痛む意識を奮い立たせ瞼をこじあける。

 ぼやけた視界の中で、礼拝堂に広がる染みの跡に気付く。

 長い年月が経ってすっかり変色し、模様と化しているが、これは……

 

「血の跡だ……」

「え? なにが?」

 

 彼を抱えていたナナシが聞き取れずに問う。アルヴィスは覚悟を決めた眼になると、彼の手を柔らかくのけ、おもむろに立ち上がった。

 

「アルちゃん?」

「危ないわ、下がって!」

 

 ドロシーが鋭く言うが、アルヴィスは首をふると彼女の手に自身の手のひらを添える。

 瞬間、魔力が増幅しドロシーは息を飲む。助力されたことで風が爆発的に強くなった。

 皆一様に顔をかばう。アルヴィスはひるんで風を弱めた向かいの彼女に向かって声を張り上げた。

 

 

「聞いてくれ、誇り高きエルフの民。……その子たちのいう通りだよ。戦争はもう終わったんだ」

『嘘だ』

「嘘じゃない。貴女の知る時代は終わった。もうとうの昔に、この地に流れる血はなくなったんだ」

『嘘だ……』

 

 

 エルフの幽霊は首を振る。信じられないと。信じられるわけがないと。

 アルヴィスは彼女の葛藤を看過したように微笑する。

 

 

「わかるよ。この世界は皆、汚い所ばかりだ。少し覗いただけでも、憎しみや裏切りが転がってる」

 

 

 アルヴィスはふらつきながらも、一歩ずつ歩みを進める。近付くにつれ、幽霊は怯えたように身を竦ませた。

 その挙動を見て、アルヴィスは微笑を深める。

 

 

「……悲しい想いにとらわれて、ずっと取り残されていたんだな」

 

 

 優しげな表情で、彼は語りかけ続ける。その口調には、幽霊を心から労る真摯な響きがあった。

 

 

「でも、もう大丈夫なんだ。貴女が取り残されていた何十年もの間に、戦争は終わった。オレたちのような存在が生きていても、許される世界になったんだ」

 

 

 二人のやりとりを、口を挟むべきでないと判断した一同は黙って見守っていた。

 だがナナシは知らず彼の名をつぶやく。

 

「アルちゃん……?」

 

 どうして、そんな切なそうな顔をしてるんだ?

 ナナシは彼に問いただしたい気持ちになったが、皆と同じように口をつぐんでいた。

 しばし人とは異質な存在の二つが、対峙する間があった。

 風の唸り声だけが轟いていたが、やがて風の渦が小さくなり、止んだ。

 幽霊が小さな声でささやいた。

 

 

『……本当にか?』

 

 

 アルヴィスはしっかりと答える。

 

 

「ああ」

『本当に、もう戦いは終わったのか』

「ああ。……荒れた大地も、時が癒してくれるさ」

 

 

 アルヴィスはまた微笑を口に浮かべた。それは今まで見た中で、一番慈愛に満ちた表情だった。

 

 

 誰もが思わず見惚れそうになる。すると、幽霊が静かに笑う気配がした。

 

 

『……そうか。なら私が留まる理由は……もう……ないな……』

 

 

 幽霊の姿が刹那消える。そして再びその場に現れた幽霊の姿は、少女のように優しい顔をしていた。

 白いベールに包まれた……そう、まるで花嫁のような。

 最後にうっすらと微笑みを見せた彼女は、光の粒子を放ちながら消えていった。

 残光が床のかけらに反射して、景色にプリズムを生んだ。

 教会だった場所に、静寂が訪れた。一同が見ている前で、ふらりとアルヴィスの身体が崩れ落ちる。

 

「アルちゃん!」

 

 地に落ちてゆく体を、ナナシは寸前のところで受け止めた。

 他のメンバーも遅れて駆け寄る。

 

「……大丈夫、気を失ってるだけだわ」

「おそらくこやつは、今の幽霊とシンクロしておったのだろう。それが心身に影響を及ぼしていたのだろうな」

 

 同じ精霊であるバッボが述べる横で、全てを理解したギンタがさびしげに言う。

 

「あの人、死んだ後もずっと守ろうとしていたんだな」

「そうだね。大好きな人がいた場所を。大好きな人との思い出を……」

 

 スノウは壁に飾られていた、壊れた像を見つめる。

 光が差し込んでいたはずの教会。粉々になったステンドグラス。

 永遠を誓ったであろう、かつての恋人たち。

 

 その断片をかいま覗く形となった一同は、神妙な表情になる。

 アランが苦い口調を隠さずに言う。

 

 

「……戦争は悲しみしか生まねぇ。大義のためとか何とか言ったって、結局犠牲になるのはいつだって普通に生きている奴らだ」

「普通にただ生きる。それが本来の幸福のはずなのに、それ以上の何かを求めて、人は争いの歴史を繰り返してきた……その業ね」

 

 

 ドロシーは靴先に当たったガラスの破片を拾い上げた。年月を経て劣化したそれは、彼女の肌を傷つけることもなく手の中で細かく割れてしまった。

 痛みを刻むように目を閉じていたスノウは、悲しみを振り払って笑いかけた。

 

 

「……でもこれで、この場所も元に戻るよね」

「ああ。時間はかかるだろうけど、でもきっと大丈夫さ」

「……なんで、わかるっスか?」

 

 確信を持っていうギンタに、ジャックがたずねる。

 

「だってほら!」

     

 ギンタが指指す先には、枯れかけていた木の幹から小さな芽が顔を出していた。

 

「……本当だ! よかった!」

 

 胸をなで下ろしたジャックを筆頭に、安堵の空気が満ちる。

 

「もうここでやることは終わったな」

「ああ。次の街に行こう!」

「うん!」「おお!」

 

 ギンタの言葉を合図に、一行は森の出口へと向かう。目指すは東の方だ。

 気絶したままのアルヴィスを、ナナシは背負った。軽い体であるが、確かにその重みがあった。

 

 

「アルヴィスの説得がきいて、よかったっスね」

「ええ。霊的な存在同士、何か通じるものがあったんじゃないかしら」

「……せやなぁ。きっと、そうなんやろな」

 

 

 アルヴィスの発言が気にかかっていたナナシは、疑問を心に秘め曖昧な言葉で相槌を打つ。

 けれど穏やかな様子で眠る彼を見ていたら、どうでも良くなった。

 そっと口の端を上げると、ナナシは背中のアルヴィスに言葉をかけてやった。

 以前彼が洞窟のストーンゴーレムにしていたように、心から。

 

 

「おつかれさん」

 

 

 と。

 

 

 

 

 淀んでいた空気を洗い流すような、心地よい風が森に吹いた。

 再び歩きはじめた彼らの旅を後押しするように。

 その風と一緒に、誰かの声が聞こえた。

 

 

『ありがとう』

 

 

 それは音にもなっていない、誰にも気付かれない思念のようなものだったが、しかし確かに一同には届いていた。疲れはあったが、暖かいものが胸に感じられていた。

 ……旅人たちが後にした森には、新しい色彩が生まれていた。

 

 

 

 

 

END

 

 

 

 

 

 

何年かけているんだろう…と毎話思いながらも、じわじわ進めています。

というわけで、ドロシー合流・エルフの森編です。

今回エルフの幽霊にしたのは、キメラ(アイリン)のつもりです。「あの人」はもちろんマルコのことで、世を儚んだという部分からこの役割に。

今回も地味に色々な布石を撒いた話なので、アルヴィスの正体と過去を考えながらお楽しみいただけると幸いです。

 

さて次回の内容はもう決まっています。ナナ・アル痴話喧嘩編です(え)。

完結まで確実に進んではいますので、お付き合いいただいている方はどうか続きをお気長にお待ちくださいませ。

ご拝読くださり、ありがとうございました。

 

2018.3.8