Rebirth 第八話 <前>

 

 

 

 

 

 ギンタ一行とドロシーと別れて数週間。地図を持ったアルヴィスが口を開く。

 

「……ナナシ、先日から気になっていたんだが」

「なんや?」

「オレ達はどこに向かっているんだ?」

 

 ナナシとアルヴィスが現在いるのは、この世界の中央に広がって位置する大陸の一つだ。二人が出会った山奥の土地『ルバンナ』は、その大陸の西側にある。

そのため二人は旅を始めてから、まずはアルヴィスの知らない場所に行こうということで東へと向かっていた。

 しかし。

 

『ちょっと寄り道してもええか』

 

 ある晩、野宿の折にナナシが切り出したのは数日前。

 もとより反対する理由のないアルヴィスは、その提案をもちろん呑んだのだったが、地図を見る限り、この先にあるのは森深い山ばかりだ。旅のつなぎの拠点となる大きな街へは、かなり遠くにまで行かないとならない。

しかもアルヴィスの勘違いでなければ、二人は旅人の使う街道から逸れたルートにまで来ている。

もっともなアルヴィスの疑問に、ナナシは答えた。

 

「地図には載ってへんで。……表向きのにはな」

 

 付け足した言葉に、ナナシは同行者の説明を求める視線を感じた。あえて後ろは振り返らずに、ナナシは己が目指す土地の名を答えた。

 

「トレジャーハンターたちで構成されたギルドの里『ルベリア』や」

「ルベリア……」

「ああ」

 

 いつか聞いたことのある名前だ。そうアルヴィスが思った刹那、

 

「……自分が、前に住んでたトコや」

 

 ナナシが言った。淡々と、あくまで平坦なトーンの声で語る。

 その言葉の裏にどんな感情が秘められていたのか。アルヴィスにはまだわからなかった。

 彼の背中を追いながら、アルヴィスは思う。

 

 ……この先向かうそのルベリアで、知ることができるのだろうか。

 彼のわずかに憂いを帯びた、瞳の理由を。

 

 

 

 

 

 トレジャーハンターという特殊な生業上、表向きには隠されているルベリアの里であるが、その場所に近づくにつれ少しずつ景色が拓けてくる。

 

「まぁ隠れ里といっても、わりと有名やしね。周知の事実っちゅーか公然の秘密っちゅーか」

「へぇ……」

 

 周囲の風景を眺めるアルヴィスに、ナナシはそう答えた。そのまましばらく彼の横顔を見ていたアルヴィスだったが、やがて気まずそうに切り出した。

 

「……すまない、ナナシ。初歩的な質問かもしれないが……ギルドとは、そもそもなんだ?」

 

 ナナシは少し面食らうが、それも当然かと内心頷いた。

 同時に「久々にこうして聞かれたなぁ」と思ったりした。

 

 旅に出て数ヶ月。百年ぶりに目覚めた世界に、最初は驚いてばかりのアルヴィスだったが、今ではすっかり溶け込んでいる。

 それは元々彼の頭がいいこともあるのだろう。知識の飲み込みも早い彼は、初めこそ戸惑っていたが時の流れによる世界の変化に順応している。

 あまりに存在が馴染んでいて、忘れていたが。こうしてふとした時に、彼の存在の不思議さをナナシは改めて実感する。

 それだけ、二人は濃密な時間を経てきたのだ。

 

「うーん、簡単に言うと、ギルドは協会みたいなもんやな。同じ職業の人間で作られた一つの組織や」

「へぇ……」

「それぞれのギルドによって色んな決まりがあるやろうけど……ルベリアの場合は一番上にボスがおって、そいつを中心にした主なメンバーで組織を管理しとんのや。上のモンから下っぱにまで報酬を均等に分配したり、危ない依頼に手を出さないようにしたりして、トラブルがないように取りまとめとんねん」

 

 アルヴィスにわかりやすいよう、考えながらゆっくりと話していたナナシだったが、徐々に口調が滑らかになっていく。話している対象(もの)について、よく知るからこその変化だった。

 

「もちろんギルドの中にも、フリーの人間みたいに個人的に依頼を請け負ったり、宝探ししたりする奴もおる。けどルベリアでは大きな依頼や儲け話があったら、里全体で受け入れとる。大勢でやることで、より大きな依頼もこなしやすくなるし、リスクも低くすることができるからな。報酬は役目の割り振りにもよるけど、基本山分けや。ウチは男も女も子供も皆ファミリー……家族やからな」

 

 「ウチ」「家族」。それらの単語を口にしたときのナナシの表情に、笑顔が見られたことにアルヴィスは気づいた。

 彼が交渉事などで癖のように浮かべる笑みとは違う、親しみのある、温度を持ったものだ。

 ナナシの口から語られる、かつての仲間たち。彼が心の内側に入れていた人々のこと。

 だがやはり、その視線にはわずかに苦い感情(もの)が混じっていた。


 ……大事な、人たちだったのに?

 


 アルヴィスの心の引っ掛かりをよそに、ナナシの話は続いていた。

 やがて傾斜のついた道になった。木々の向こうに岩肌の目立つ山が見えてきたところで、ナナシは周囲を見回した。

 

「この辺りに……」

 

 茂みをかきわけ、何かを探していたナナシが「お、あったあった」と声を上げる。

 アルヴィスが後ろから覗き込むと、何本かの木の幹と幹の間に、麻紐がピンと張られていた。

 

「これは……」

「ちょっとした仕掛けや」

 

 ナナシはそのうちの一つに前足を踏み込み、紐に引っ掛ける。すると引っ張られたことにより、紐の先が繋がった樹上でカランカランと何かが音を立てた。

 

「乾燥したサックリの実を吊るして、音をたてとんのや」

「誰かが通ったらわかるように?」

「そ!」

 

 その時、ガサガサと頭上から葉が擦れ合う音がした。木の上からひょっこりと、逆さまになった小さな頭が顔を出した。

 

「だれ?」

「っ!」

 

 樹上から現れたのは、十歳くらいの子供だった。

 活発そうな印象だが、甲高い声のトーンから判断するに少女だろうか。バンダナでまとめた長い髪を逆さに垂らしたまま、面食らうアルヴィスを見ている。

 そんな子供に向かい、ナナシは親しげに片手を上げた。

 

「よっ」

「え?」

 

 大きな目がパチパチとナナシを見つめる。ナナシの笑みがさらに深くなった。

 

「あ……あーー!!」

 

 子供の目がみるみるうちに丸くなり、大声を上げる。その拍子に思わず枝から手を離したのか、身体が急に落下を始める。

 

「わっ!」

「どわっと!」

 

 ナナシは慌てて木の下に体を滑り込ませ、子供をキャッチする。

 反応が遅れたアルヴィスも急いで駆け寄る。

 

「大丈夫か!?」

「ああ……危ないやんかピルン! 気ぃつけやホンマ!」

 

 胸を撫で下ろしているナナシをもう一度まじまじと見つめ、ピルンと呼ばれた少女は目を輝かせた。

 

「おにいちゃん……ナナシおにいちゃんだ!」

 

 見張り役をしていたらしき彼女は、すっかりその役目も忘れ、全身で飛びついてきた。

 

「帰ってきたんだね!」

「ああ、久しぶりやな。大きなったなぁ、ピルン」

 

 わしゃわしゃと遠慮なく、ナナシは彼女の茶色い頭を撫でる。

 髪が乱れるのも構わず嬉しそうに破顔する彼女は、ナナシのものとよく似た赤いバンダナを着けていた。

 

「いつ帰ってきたの?」

「今や今。ピルンが帰ってきて最初に自分と会うた第一号さんやで」

「ホント? やったぁ!」

 

 ナナシの言葉に無邪気に喜びを見せる彼女だったが、不意に二人を微笑ましく見守っていたアルヴィスのことを思い出す。

 

「ねぇ、そういえばこの人だれ?」

「ああ、こっちはな、今一緒に旅しとるアルヴィスや」

「ナナシおにいちゃんの友達?」

「んー、まぁ、せやなぁ。そんな感じ」

「よろしく、ピルン」

「うん、こちらこそ!」

 

 ナナシの腰に甘えたように抱きついたまま、ピルンは人懐っこく笑った。まるで彼の妹のようだな、とアルヴィスの口元に笑みが上る。

 

「よし。とりあえずピルン、砦まで案内したってくれや」

「うん!」

 

 彼女の先導で、二人は山道を登っていく。

 まっすぐ行くかと思いきや、急に蛇行し始めたりと、初見者にはわかりにくい道筋を辿り、アルヴィスが少しくたびれ始めたころ、三人は砦とおぼしき場所へたどりついた。

 大きく開かれた入り口で、ピルンが声を張り上げる。

 

「みんなー―! ナナシおにいちゃんが帰ってきたよーーー!」

 

 しばらくして奥からわらわらと、子供たちが駆け寄ってきた。砦で暮らしている子たちだろう、背丈も年齢も皆さまざまだ。

 

「───ボス!」

「ボスだぁ!」

「ボスが帰ってきたぁ!!

「おいおい、もう自分はボスとちゃうでぇ!」

 

 笑いながらも困ったように言うナナシに構わず、子供達は皆嬉しそうにまとわりつく。予想以上の歓迎っぷりだ。

 

「ねー、このお兄さんは?」

「ああ、アルヴィスや。かっこいい兄ちゃんやろ、魔法だって使えんねんで」

「へぇ〜すごい〜!」

「ねぇねぇ、魔法見せてよ!」

「わたしも見たーい!」

「え、ええと……」

 

 大勢で迫る子供たちに、アルヴィスはたじたじとなる。勢いに押されている彼にナナシは楽しそうに笑う。

 すると、砦の奥から一人の男の声が響いた。騒がしい場にもよく通る、朗々としたものだった。

 

「久方ぶりだな、ナナシ」

 

 ナナシと同じように、前髪で顔を覆い、頭に長いバンダナを巻いた男。その人物が、ゆっくりと歩み寄ってきた。

 彼の姿を目にした途端、ナナシの雰囲気が少し変わったのをアルヴィスは感じた。

 ……緊張? それとも、後悔?

 

「ガリアン……」

 

 彼の名を呼ぶナナシの声に、複雑な色が宿る。

 

「息災のようだな」

「ああ……まぁな」

 

 曖昧な様子で答えたナナシだったが、心配そうに見上げるアルヴィスの視線に気付いてか、表情をへらりと崩して振り向いた。いつもの彼だ。

 

「アルちゃん、こっちはガリアン。このルベリアのボスや」

「ガリアンだ。よろしく」

「……アルヴィスだ。こちらこそよろしく」

 

 アルヴィスを警戒させないためか、ガリアンはバンダナ越しにふっと笑ってみせた。

 子供たちも慕っている様子であるし、悪い人間ではないのだろう。

 しかしどことなく食えない空気を醸し出している。さすがは大勢のトレジャーハンターを従えるボスと言うべきか。

 

「アルちゃん、ちょっとガリアンと話ししてくるから待っててや」

「ああ、わかった」

「皆ー、待ってる間、ルベリアのことアルヴィスに教えたってやー」

「「はーい!」」

 

 ナナシはガリアンを伴い、アルヴィスたちから数歩離れた所まで歩く。

 バンダナの下からアルヴィスを観察していたガリアンが言った。

 

「彼は……少し変わった存在のようだな」

「わかるんか?」

「私を誰だと思っている?」

 

 さも当たり前のように言ったガリアンに、ナナシは肩をすくめた。

 

「まぁ、私たちと種族が違うといえど、お前がともに旅をしているならば信頼に足る者なのだろう」

「アルちゃんはええ子やよ。やさしいし、間違ってもルベリアに害をもたらすことなんかあらへん」

 

 世間的には秘匿されているルベリアの砦に、出入りする者は限られている。

 外部からの来訪者に対してガリアンの反応は、砦を治める者としてしごく当然のものだ。

 

 子供たちと戯れる様子を眺め「そのようだな」とガリアンも同意した。アルヴィスが彼の眼鏡に適ったことに、ナナシはこっそりと安堵する。

 すると視線の対象をアルヴィスからナナシへ移して、ガリアンはたずねた。

 

 

「ナナシ、一つ聞きたい。何故ここを……ルベリアを出た」

 

 

 問われたナナシは、一度口を引き結ぶ。纏う空気の温度がかすかに冷たくなり、切れ長の瞳が鋭く細められた。

 

「……ここを出る時も言うたやろ。世界を見てみたいと思ったからや。自分が一人でどこまで行けるんか、試してみたいと前から考えとったし」

「それが言い訳なのは皆知っている」

 

 ぴしゃりとした物言いで、ガリアンはつらつらと述べるナナシの言葉を遮る。

 口を噤んだナナシに、ガリアンはトーンを変えて言いかけた。

 

「ナナシ……お前がもし、まだあの時のことを気にしているのなら……」

「ガリアン!」

「!」

 

 急に声を荒げたナナシに、子供たちとアルヴィスが一斉に振り向いた。

 びっくりしている彼らの様子に、ナナシは己の行動を省みる。

 彼らにも聞こえるよう、出来る限り柔らかい声で言った。

 

「……そんな話は後でも出来るやろ。今はお客さんもおるんやし」

「……ああ、それもそうだな」

「堪忍な、皆。話がつい盛り上がってしもたわ」

 

 おどけたように笑ってみせるナナシとガリアンに、子供たちはほっと胸をなでおろす。

 アルヴィスもまた息を吐くが、強張った身体の感覚は抜け切らない。

 ……今まで、一度も聞いたことのない剣幕。怒鳴り声。

 

(あの時のこと?)

 

 アルヴィスの常人より優れた聴覚は、子供たちが聞き逃した彼らの会話をたしかに捉えていた。

 

 

「よし、じゃあお前たち。二人を案内してやるんだ」

「はーい!」

「オレ、オレ案内する! ボス、ついてきて!」

「あーずるいー! 私もするー!」

「あたしもー!」

「せやからボスやないって……ほんなら久しぶりやから、皆に案内してもらおか。いこ、アルちゃん」

「ああ……」

 

 アルヴィスは彼らに付いていくが、耳の奥には先刻のナナシの声がまだ残っていた。 

 

 砦の中を一通り案内されたあと、ナナシはガリアンたちと話すと言って奥へと消えていった。

 一方アルヴィスは、そのまま子供たちにさらに砦を案内される。

 自分たちだけの特別な通路や、宝物の置き場。大人たちには内緒だよと言って、子供たちはとっておきの秘密を客人に披露することを楽しんだ。

 アルヴィスもまた、物静かだが生来面倒見がいいこともあり、ピルンを始め子供たちともすっかり打ち解ける。

 最後に砦の上へと誘われ、出入り口をくぐる。午後の日差しとともに吹きつける穏やかな風を、アルヴィスは体に浴びた。

 

「……風が気持ちいいな」

「でしょ? ルベリアは風に恵まれた土地なんだって」

 

 額に結んだバンダナをなびかせながら、ピルンが言う。

 砦の裏手は、切り立った崖となっていた。その遥か下では海面が広がり、波が荒々しくぶつかっている。

 昔は砦と地続きだったのだろう、離れた場所にいくつか、海水で大部分を削り取られ岩場となった地形が、視線よりも下の位置で点在している。

 海からの風と、陸からの風。その二つが窪地になっている砦のあたりに、時間帯によってちょうど防壁のように吹き付ける。

 表は傾斜のついた山道と風、そして裏側には崖と海があることで、ルベリアという土地は良からぬ賊の侵入を防いでいるのだという。

 

「なるほど。天然の要塞なんだな」

「ようさい?」

「ようさいって?」

「ええと……隠れ家、みたいなものかな」

「アルちゃん、むずかしい言葉ばっか使ってるー」

「すまない、ついくせみたいなもので」

 

 ナナシの真似をしてアルちゃんと呼ぶ子供たちに、アルヴィスは照れ笑いをする。

 

「ここはギルドと言っていたな。皆は何をしてるんだ?」

「普段はね、大人たちの手伝いをしてるよ」

「ご飯作ってー、洗濯してー」

「畑もあるんだよ。自分たちで育ててるの」

「へぇ……」

 

 つたなくも、一生懸命に説明してくれる様子は微笑ましい。

 

「でね、時々ボスや他の大人たちが依頼を貰ってくるんだ。そういううわさを聞いたら、年長の順から仕事に行けるんだ」

「そうなのか。君たちは?」

「わたしはまだダメだって」

「チャップもですー」

 

 ぶうと頬を膨らませる幼い子たちに、年上の子たちがニヤニヤとからかうように笑った。

 それに笑みを返しながら、アルヴィスはこの場にいない彼のことに思いを馳せる。

 


 自分は、何も知らない。

 これまで、ナナシの旅の話は幾度も聞いていた。初めて会った時も、彼がルベリアを出た後の冒険譚に子供のように胸を踊らせていた。

 けれどルベリアにいた頃のナナシの生活や、それ以外のこと……彼の過去について、アルヴィスはほとんど知らない。

 少し前までは、彼の傍にいられるだけでいいと思っていたのに。

 

「アルちゃん? どうしたの?」

「いや……」

 

 ……かと言って、今の彼にそれを尋ねていいものか迷うけれど。

 子供たちの声に、アルヴィスは笑って言外に何でもないと答えた。

 砦の入り口でのガリアンとのナナシの会話。まるで拒絶を示すような彼の態度が、また頭をよぎった。

 

(……我が儘だな。オレは)

 

 気持ちをちゃんと伝えることが大切だと、つい先日学んだばかりなのに。

 彼を知りたいと思いつつも、初めて見た一面に、怖気づいてしまったように踏み込むことをためらっている。

 そんな己の葛藤とも言える、心が立てるさざ波に、アルヴィスは子供たちに気付かれぬように苦笑した。

 

 

 

 

 

<続く>