Re;birth 第9話〈後〉

 

 

 

 ……空気が悪い。外へ出たナナシは、改めてそう思った。

 街はナナシが今まで訪れた中で最も工業が発展しており、見たことのない道具や工具がそこかしこに溢れている。

 金を入れると品物が出てくる、無人の販売機などもあり、住民らしき人々がたびたび利用していた。

 しかし工場の煙が街全体を覆っているようで、うっすら霧が立ち込めているかのように空気が澱んでいる。雨が降っていてもそれは同じで、大気の塵は晴れることなく、お世辞にも景観と大気は綺麗とは言い難かった、

 戸外にとどまっている時間をなるべく避けたいのか、住民たちも足早に通り過ぎていく。

 ナナシは店で旅道具を揃えると、街を一通りぐるりと回る。空気があまりに汚いので、首のマフラーを引き上げ、口元を覆うように少し深めに被った。

 

 しばらく探索するうち、街の旧市街と呼ばれる場所へと辿り着いた。近代化によって街が大きくなったため、主要な施設は新しい場所へと移ったらしい。そのため今は住民のほとんどいない、寂れた地域だった。

 かつての広場のような場所には、人々の憩いの場であったのだろう、ベンチや花壇の跡が点在していた。

 広場の中心には、立派な石造りの噴水やオブジェもあった。しかし経年劣化のためかすっかり素材が変質し、ひび割れが目立ち、見るからにくたびれてしまっている。

 噴水の中も、かつてはなみなみと水があったのだろうが、今は雨水がうっすらと溜まっているだけだった。そこに大気の塵が溶けて、濁った色をしているのが見えた。

 物悲しさすら感じる風景を見渡していると、噴水の片隅に、うずくまっている人影があった。

 心なしか、何だか薄れているような姿だ。

 

 

 立ち止まったナナシに気付いたのか、人影は辛そうな面を上げた。

 髪は肩より少し短めで、目の大きな、女性のような顔立ち。

 しかし人間とは違うもの。

 今のナナシにとって、最も身近だが、異質な存在。

 

「……君はこの街の精霊なん?」

「……貴方は、私が見えるのですか?」

 

 ためらいなく声をかけたナナシを、美しい女性の姿をした精霊は驚いたように見上げる。

 近くで見るとはっきりとした顔立ちをしており、なかなかの美人だ。普段なら口説く所だが、今はそうも言っていられない。

 

「ああ、連れが君と同じモンでな。なんとなくやけど、わかったわ」

 

 精霊はしばらく信じられないものを見るかのように目を見開いていたが、やがて納得したように息をつく。

 

「そうですか……でしたら今頃、この街の淀んだ空気の影響が出ているでしょう……」

「ああ、今ちょっと寝込んどる」

「申し訳ありません。私の力が及ばない限りに」

 

 目を伏せた精霊は、居住まいを正した。品のある、凛とした雰囲気が場に満ちた。

 

「私はウンディーネ。かつて水の都と呼ばれた、この地を守護してきた精霊です」

「水の都……?」

 

 ナナシは疑問を抱いた。確かにこの辺りには噴水があったようだが、それ以外に水がある気配などほとんどない。

 ……そういえばこの旧市街に入ってから、道の脇にある溝がやけに深かったり、小さな橋が掛かった場所が、やたら多かったような。

 

「もしかしてあれらは全部、昔は水路やったんか?」

 

 ウンディーネは静かに首肯した。

 

 

「遥か昔、私はある人間と契約を交わしました」

 

 

 そうしてウンディーネという名の精霊は、昔語りを始めた。まだその街の名前がなかった頃の話を。

 

「その人間の願いは、沢山の人が集まる街を作ることでした。このアカルパポートは東西南北に道が通じており、古来より旅人が多く訪れる土地でしたが、水が少なく乾きやすいため、住むには不向きの土地でした。そこでその人間は、遠い地で出会った私をここへ連れてきて、土地を潤し、街にすることを決めました。……それからずっと、私はこの地に留まっています。契約した彼女が亡くなってからも、ずっと」

 

 

 過去を語るウンディーネの表情は柔らかいものだったが、話が進むにつれ段々と憂いを帯びていく。

 

 

「しかし時が経つにつれ、私の存在は人々に忘れられていきました。人が増えたことにより、街はそれまでとは違うものへと変わっていました。街が大きくなるにつれ、工場が次々と建てられ、水を浄化する私の力は追いつかなくなりました。地下から流れ出た汚水が土を汚し、草木は枯れ、生き物たちも数を減らしました。そしていつしか工場から出た煙がこの街を覆い、太陽は見えなくなりました。……こうして雨が降っても、排気で汚れた雨は毒に変わり、大地を潤すどころか、さらに汚していくのです」

 

 

 ナナシの視界に、壊れた噴水に溜まった濁った雨水が映る。自分の体を通り抜けるように降る雨粒を、ウンディーネは悲しげに眺めた。

 

 

「以前この街の交通路として使われていた水路も、利便性のために工場の地下へと引かれてしまい残っていません。もう今では水の都であったことなど、誰も覚えてはいないでしょう」

 

 

 自嘲するような響きを語尾に滲ませたあと、ウンディーネは真剣な眼差しでナナシを見つめた。

 

 

「精霊は、世界と関わること無しには存在できぬもの。貴方のお連れがどんな方かは存じ上げませんが……どうか、大事にしてあげてください」

 

 

「私たちは、忘れられては生きていけないのです」

 

 

 それは切なく、哀しい響きの声だった。

 

 

「……自分らに何かできることは、あるか?」

 

 

 ナナシの問いに、彼女は目の前に両の掌をかざした。透明な指先から光が生じ、やがて彼女の手から、宝石のように青く美しい結晶が生み出された。

 宙をふわりと飛んで、それはナナシの手の中へと降りる。

 

「これを、街の中心部にある工場の近くに置いて下さい。」

 

 ナナシは手にした結晶から、冷たく、だが何だかあたたかな息吹のようにも思える熱を感じた。水の精霊である彼女の魔力が込められたものだ。

 まるで、彼女の命のともしびのような。

 

「そこは、この土地で最も大きな工場です。私の力を集めたその欠片を置けば、少しは水の汚染を遅らせることが出来るでしょう。……もう私は、自分でそこまで動くこともできないのです」

「わかった。……君はどないすんの?」

 

 頷きつつも、ナナシは彼女に次いで尋ねた。

 

「このままやと、消えてしまうんやろ」

 

 暗に共に来ないかと、ナナシは提案する。事情を知れば、同族であるアルヴィスも彼女を絶対に助けたいと思うはずだ。

 だが、彼女は首を横に振った。潔い、きっぱりとした仕草だった。

 

 

「……私はこの地の精霊です」

 

 

 

 たとえ、民に忘れられたとしても。

 

 

「この街を、守っていかねば」

 

 

 かつて自分を愛し、慈しんでくれた人々を。

 彼らの愛したこの土地を、捨てることは出来ないと。

 ウンディーネは今にも消えてしまいそうな儚い笑みを浮かべて、そう言った。

 

 

「……さよか」

 

 

 ナナシは寂しげに返したが、未練を振り払うようにすっくと立ち上がった。ウンディーネが礼を言うように微笑みを投げかけた。

 

 

「道中、お気をつけて」

「ああ。君も……元気で、な」

 

 

 その言葉が相応しかったのかはわからない。

 けれど、ナナシが最後に見た彼女は、優しい微笑をしていた。

 

 

 

 

 

 

「そうか、水の精霊が……」

 

 ナナシに背負われながら話を聞いていたアルヴィスは、小さな声で相槌を打つ。

 やはり淀んだ空気が強く影響していたのか、熱はまだ引いていないが、街から離れることで少しは楽になってきたらしい。

 あるいは彼女の力のおかげだろう。彼女が最後に振り絞って生み出した、命の欠片ともいうべき、魔力の結晶。

 

 

「……長い時間は、精霊が生きにくい世にもしてしまったのかもしれないな」

 

 

 アルヴィスの言葉に、ナナシは思いにふける。

 

 

 

 人は、生まれてから二度死ぬと言う。

 一度目は肉体の死、二度目は魂の死。

 生きている者に忘れ去られることで、人は完全な死を迎えるのだと。

 だから、生きている人々は 故人の記憶を繰り返し語るのだと。

 出来うる限り、記憶を留めておくために。

 

 

 それは伝承が知恵や知識として、太古から地層のようにして積み重ねられてきたように。おとぎ話が、語り部によって語り継がれていたように。

 人々が古来より今へと繋いできた「歴史」というものの、ひとつの形だ。

 

 「忘れられる」ということは、人間のみならず、アルヴィスたち精霊にとっても、存在に関わることなのかもしれない。

 

 

「……ほかの誰が忘れても、自分はあの子やアルちゃんのことを、絶対忘れへん」

 

 

 ナナシは背中の温もりをしっかりと抱えながら、決意を秘めた眼で言う。

 その言葉に、アルヴィスは青い瞳を見張った。

 彼に見えない背中の上で、数秒間、時を止めたように息を詰めた。

 

 気付かれないようにしながらも。彼の体をつかむ指を、アルヴィスはほんの少しだけ強くした。

 縋るかのように。

 祈るかのように。

 そして長い髪のかかる首筋に、泣きそうに歪めた顔を、そっと埋めた。

 

 

「…………うん」

 

 

 

 

 

 二人の旅人が、街を後にした数日後。

 工場の掃除を任されていた若い男が、あるものを見つけた。

 

「ん? 何だこれ」

 

 それは青い色をした、いくつもひびが入った小さな石のようなものだった。

 あまりに脆かったためか、それは男が拾い上げただけで、さして力を入れずに簡単に砕けてしまった。

 

 

  パ キ  ン。

 

 

 

 

END

 

 

 

 

 

 

 

今回はシリアス一色です。

あまり救いのない話に終わってしまったかと思いますが、これも必要な布石ということで…。

最後のアルヴィスの反応がどういう意味なのか、色々想像してもらえたら嬉しいです。

さて、まだ続きます。あと残すこと…何話だろう?

気がつけば十年以上書いているパラレルですが、もう少しお付き合い頂けますと幸いです。

 

2021.11.25