同じ空を抱えて <1>

 

 

 

「謎の襲撃者?」

 

 伝令兵から切り出された事柄に、アランは葉巻に火を点けようとしていた手を止める。

 

「ええ。レギレイヴ北東のノクチュルヌという村が、何者かに襲われたんです」

「ノクチュルヌ……聞いたことねぇな」

「地図に載らないくらい、小さな村ですから」

「被害はでかいのか?」

「いえ、道路や畑のいくつかが荒らされたほどで、負傷者はおりません。ただ村長宅から宝がなくなっていると」

 

 宝? と聞き返し、頭の中で状況を整理しながらライター代わりのARMに魔力を込めた。

 葉巻の先を点火し、煙を肺に入れ、ゆっくりと吐き出す。

 ……ウォーゲーム中の街の侵攻は禁じられている。先日の前例があると言えども、恐らくチェスではないだろう。

 こちらが目を光らせているのに、間抜けな行動をファントムが許すとも思えない。

 

「宝が狙いってことは……盗賊か?」

「まだわかっておりません。畑の跡は魔物ともとれますし……」

「……もしくはガーディアンか…… 目撃者はいねぇのか」

「はい。深夜に物凄い音がして、不審に思った村人が表に出たら道が壊されていたということです」

 

 村長の家も壊されたわけではなく、宝だけが無くなっていたらしい。

 

「………その盗まれた宝ってのは、どんな物なんだ?」

「よくは知りませんが、村に伝わる秘宝だと。決して持ち出してはいけないものだと聞いております」

「持ち出してはいけない……ねぇ……」

 

 地図にも載らぬ小さな村で、ひっそりと守られていた秘宝。

 それほどにまで貴重なものなのか、あるいは危険なのか。

 それとも、その両方か。

 

「宝……か……善くも悪くも、人を引き寄せちまうんだな…」

 

 苦みを味わいながら、アランは葉巻の煙を空に溶かした。

 

 

 

 

 

 

 それは、幸福と感じる瞬間に訪れる。

 

 何の変哲もない風景を眺めている時とか。

 他愛もない会話をしている時とか。

 かけがえのない、日常の時間に襲ってくる。

 まるで己の罪を忘れるな、とでも言うように。

 安穏の時など、過ごしてはならないと言うように。

 

 最初に来たのは、痛みだった。

 日ごと度合いを増していく、呪いに付随した堪え難い激痛だ。

 よくあることだと、言ってしまえば聞こえが悪いが、霞みそうになる意識の中なんとか原因を理解できる。

 

 しかし、そこでいつもとは違う現象が起きた。

 

 脳を掠めるような耳鳴りがして、正常な感覚を奪おうとする。

 それに必死に抵抗する中、不意に、脳裏に何かがよぎり

 

 

 光が、消失した。

 

 

 ぷつりと、ディメンションの映像が切れたように、視野が黒一色に変わる。

 

 自分は多分、驚いたのだと思う。けれど声は出なかった。

 

 

「アルヴィス!!!」

 

 誰かが自分の名を叫ぶ。

 それが誰なのかを把握できないまま、膝を折った。

 突然の事態に驚愕しつつも、痛みに思考は逆らうことが出来なかった。

 

 やがて闇が自分の意識をも飲み込むのを、アルヴィスは為す術もなく見ていた。

 

 

 

 

 

 意識が、水底から浮かび上がるように浮上する。

 しかし海は未だ暗いまま、自分を覆っていた。

 ……光は何処にある?

 傍にあるはずの光は、どこにある?

 

「気がついた! アル!!」

「アルヴィス! 目が覚めたのか!」

「良かった、心配したよ〜」

 

 すぐ近くで聞こえるベル達の声に、アルヴィスは瞳を瞬かせた。

 瞬かせた、はずだった。

 しかし自分の周りにあるのは暗闇だけだ。

 ……明かりが遠いのか?

 

「ベル………ギンタ?」

 

 近くにいるはずの彼らを呼ぶと、顔を覗き込まれるような空気の流れを感じた。

 おそらく自分は、ベッドか何かに横たえられているのだろう。

 ギンタたちの声は、頭の位置よりも上から降ってくる。

 肘を着き、手探りで上半身を起こそうとすると、先程の気配が近付いて体を支えてくれた。

 ベッドに対して垂直となるが、視界は変わらなかった。

 

「……どうしたの、アル。まだ苦しいの?」

 

 身動きをしようとしない彼に、気遣わし気なベルの声がかけられる。

 だがアルヴィスは答えられず、虚ろな視線を彷徨わせた。

 

「アルヴィス?」

 

 周囲を探るように見渡す彼に、ギンタがもう一度名を呼んだ。

 反対の向きにあった顔が、彼の方に向けられる。

 

 少しの時間、ギンタは己を凝視してくるアルヴィスを見つめ返した。

 

 タトゥの刻まれた、右手が上がる。

 近付いてくる手を取ろうと、ギンタは指を差し伸べた。

 

 

「……アルヴィス?」

 

 

 スノウの口から、それまでとは違うニュアンスで名前が発話される。

 様子を見ていたベルが、困惑した表情で瞳を揺らした。

 

 二人の手は触れ合うことなく、アルヴィスの伸ばした掌は宙を掻いた。

 

 

 

 

「アルヴィス……」

 

 噛み合わない視線と何も掴めなかった掌に、ギンタは目を見開いた。

 

「お前目が……?」

 

 ギンタの問いにアルヴィスは答えなかった。

 だが彼らしからぬ戸惑った表情と続く沈黙が、何よりの肯定だった。

 

「……どういうことだよ、アルヴィス! 何でお前……」

「落ち着けギンタ!」

 

 思わずアルヴィスの細い肩を掴んで問いただすギンタを、バッボが諌める。

 我に返ったギンタが力を緩めると、無意識に躰を強張らせていたアルヴィスは光を映さぬ瞳を伏せた。

 肩から腕がするりと外れ、力なく下がる。

 

「私、アランたちに知らせてくる」

 

 共に付き添っていたスノウが足早に部屋を出ていった。

 

「アルヴィスに詰め寄ってどうする。何の解決にもならんじゃろ」

「あ、ああ……」

 

 バッボに諭されるギンタを気にかけつつ、視野を確認するように顔に手を当てているアルヴィスにジャックが訊ねる。

 

「目が見えなくなるのはよくある事なんスか? その……ゾンビタトゥで…」

「いや……初めてだ」

 

 幾分落ち着きを取り戻した様子で話す彼に、ベルが問いを重ねた。

 

「他に痛いところ、ない?」

「ああ」

「苦しいとかは?」

「ないよ……大丈夫」

 

 自分たちを安心させるよう微かに頬笑む姿に、ギンタの胸に先程の愚行への後悔が押し寄せる。

 するとそれを読んだかのように、アルヴィスが言った。

 

「……お前が気に病むことじゃない。ギンタ」

「え?」

 

 自分の様子が見えているかのような発言に、ギンタは驚いた。

 しかし彼は自分を見てはいない。依然周りの風景を認識してはいないようだ。

 

「オレが倒れたのは、何時(いつ)だ?」

「あ……えっと、昼過ぎくらいだ」

「今は、夕方か」

 

 僅かばかりの斜陽と風を感じたのだろうか。いささかずれてはいるが、アルヴィスは窓の方へ向いた。

 

「とにかく皆と話し合わなくてはな。ウォーゲームのこともある」

「……ああ」

 

 一番不安であろうに、それを表に出さず今後を話す彼に、ギンタは尊敬を覚えつつも唇を噛んだ。

 

 

 

「両眼共に視力は機能していませんが、視神経の方に問題はありません」

 

 レギンレイヴに常駐する医者の見解に、寝室の隣で話を聞いていたギンタ達は額に皺を刻んだ。

 

「じゃあどうして……」

「……精神的なものかもしれません」

「精神的?」

「ストレスってこと?」

「彼はファントムからの呪いを受けているんですよね?」

「……ああ」

「それだけで、常人よりも疲弊しているはず。その上ウォーゲームで過酷な戦いを続けている訳ですから、身体が悲鳴を上げるのも当然でしょう」

「そんな……」

 

 悲痛な表情を浮かべるギンタを同情する目で見た後、医師はなだめるように柔らかい口調で続けた。

 

「ともかく、あまり刺激を与えず、自然と視力が戻るのを待つのが宜しいでしょう。ストレスによるものであるならば余計に」

「そうか……ご苦労だった」

「いえ、どうぞお大事に」

 

 医師が退出した後、彼らは隣室で待つアルヴィス達の元へ戻る。

 部屋に入った途端、付き添っていたスノウとジャックが席を立ち上がった。

 

「どうだった!?」

「原因はわからん、やて」

「そんな……マジっすか……」

「けど、ゆっくり休めば良くなるかもって言うとったわ」

 

  ナナシが二人を安心させようと明るく話すのを横目に、ドロシーがベッドに近づいて、アルヴィスの前に屈みこむ。

 浮かない顔のままの彼に指を伸ばした。

 気配を察知して、アルヴィスが瞼を下ろす。

 彼と同じように目を閉じて、数秒間、ドロシーは何かを感じ取るように彼の目に指を押し当てた。

 

「……魔術が施されている感じがする」

 

 指をそっと離す。

 

「傷もないのに、ほのかに熱い気がするの。……封印をされているみたいな」

「……何やて?」

 

 振り向いたナナシが訝しげに眉根を寄せる。

 

「封印って……誰が?」

「わからないわ。でもこれは自然に発生したものじゃない。誰かが意図的にやってる」

 

 仄かな熱さの残る指を見つめてドロシーは付け加える。

 

「もしくは……」

「……ゾンビタトゥの影響か…」

 

 後を継いだアランの言葉に一連のやりとりを聞いていたベルが、涙の滲みそうな声で尋ねた。

 

 

「じゃあ、アルの目は……戻らないの?」

 

 

 もしこの現象が後者であるならば、手の打ちようがないことを彼女はよく知っていた。

 ホーリーにガーディアンの魔力が加わった、アリスですら解けなかった呪いなのだ。

 回復する見込みは絶望的と言っていい。

 ファントムの呪いは激痛をもたらすだけではなく、彼の視野までも奪い取ってしまうのか。

 

「……今の段階では何とも言えないわ」

 

 ドロシーは正直に、しかし希望を消さぬ言い方で答えた。

 

「とりあえず、暫く様子を見るしかないわね。……明日になったら、あっさり戻ってるかもしれないし」

 

 冗談めかしてドロシーは続けるが、内心その希望が叶わぬであろうことは察しがついていた。

 しかし、仲間たちにはそんな様子を見せず、空気が沈まぬよう笑ってみせる。

 流れを後押しするように、アランも同意する。

 

「そうだな。思いがけない休みが取れたとでも思っとけ。アルヴィス」

 

 戦力にならない自分を責めているらしい彼の、頭をぽんと叩いてやる。

 驚いてきょとんとした表情でアランの位置を見上げたアルヴィスに、残りの面々も普段の勢いを取り戻して言う。

 

「そうそう! お前が試合に出られなくても、チェスはオレ達がぶっとばしてやる!」

「だから安心して、アルヴィスはゆっくり休んでね」

「……ありがとう」

 

 仲間たちにアルヴィスは微笑んで、しかし眸を見返せずに答えた。

 

 

 

 →第2話