同じ空を抱えて<7>

 

 

 

 遠くで水滴が落ちる。その音が、アルヴィスの耳に届いた。

 湿っぽい臭いが鼻につく。

 ここはどこだろう。外ならば瞼の裏がかすかに明るくなり、太陽の光を何となく感じられるのだが。

 ……屋内か?

 わずかに首を傾けると、頭に鈍い痛みが走った。まるで殴られた後のようだ。

 腕を動かそうとすると、耳元で金属が軋む音がする。

 手首から下が自由に動かない。どうやら壁に付いた鎖かなにかで、両手足をつながれているらしい。

 視覚以外の感覚がとらえる情報から推測するに、何処かの地下牢と言ったところか。

 

「………約束通り、連れてきたぞ」

 

 数メートル先で声が聞こえ、アルヴィスは咄嗟に目を閉じる。先程アルヴィスの手を引いた男の声だ。

 

「ご苦労だったな。これが報酬だ」

 

 硬貨がチャリッと擦れ合う。誰かの掌に金の詰まった袋が乗せられたらしい。

 袋の重さに男は喜びの息を漏らすが、不安そうに牢を覗き込んだようだ。少し声が近くなる。

 

「なぁ……コイツ、後で仕返しに来たりしねぇか?」

「安心しろ。アンタも知っての通り、今のコイツは目が見えない。唯一手がかりとなるのは声ぐらいだろうが……それもすぐに忘れさせてやる」

 

 別の人物が気を失っている振りをするアルヴィスを見下ろした。へへっと下卑た笑いが響く。

 

「メル最強と謳われた戦士も、目が見えなくちゃ他愛ないもんだ。なぁ?」

 

 ガシャンとその人物が蹴ったのか、牢の鉄格子が揺れた。

 だがそれに動じる様子は微塵も見せず、瞼を瞑ったまま、アルヴィスは状況を冷静に分析していた。

 

 ……室内にいるのは三人。そのうち二人は言動から察するに、おそらくチェスの末端だ。魔力は仮面なしのルークやポーン程度といったところ。

 もう一人の、先程アルヴィスに声をかけた男に魔力はほとんどない。兵士にしては不自然な口調から考えると、戦闘訓練も受けていない一般市民か。

 自分を売ることで報酬を得るのを条件に、チェスと密約を交わしたのだろう。

 魔力の高い人間は、他者の微細な魔力の変化も察することができるが故に、魔力のない者に対して注意を向けにくい。その心理とアルヴィスの視力がないことを利用し、レギンレイヴの兵士を装って近付いたのだ。

 

「……お。起きたか?」

「……お前たちはチェスだな」

「その通りさ。まあこっちは、アンタが守ってやってる可愛い人民だがな」

 

 チェスの男の言葉に手引きした人物がびくついたらしく、数歩後ずさる気配がした。

 

 (……はめられたという訳か)

 

 罠にまんまと引っかかってしまった自分に怒りを覚える。しかし同時に、やりきれない思いが湧いた。

 

 (……どうして)

 

『このくらいのことは当然です。あなた方にはウォーゲームで戦ってもらっているんですから』

 

 あの時、兵士だと思っていた彼に言われたことは、確かにアルヴィスの胸を打ったのだ。

 しかし、それは自分を油断させるための方便でしかなかったというのか。

 ぎり、とアルヴィスは唇を噛む。

 

「可哀想だな。あんな必死になって戦ってんのに、裏切られるなんてよ」

 

 ……誰かのために戦っているなどと、おこがましい事を述べる気はない。

 だが文字通り、これまで命をかけ、全身全霊で戦ってきた。

 そのことを少しでも理解されているのだと、そう思えて、嬉しかったのに

 

 せせら笑いに触発されるように、踏みにじられた思いが憤りとなって心にうずまく。

 

 

 守りたくて戦っているだけなのに。

 何故、誰もわかってくれない?

 

 

 ガタンッッ!!!

 

 その時、上方で荒々しく扉の開く音がした。

 男達が反射的に、入り口の方を見たのが視力の利かないアルヴィスにもわかった。

 奇妙なほどゆっくりな速度で、階段を降りる足音が室内に反響する。

 

「!?  何だ!?」

 

 奴らの仲間かと思ったが違うらしい。場にいた者は全員アルヴィスに背を向け、階段の方を睨む。

 見えないとわかっていつつも、アルヴィスは顔を上げる。

 侵入者が階段を降り切り、同じ階に足を並べる。

 

「だ……誰だてめぇは!!」

「……人間はどいつも同じだな。結局は自分のことしか考えていない」

 

 侵入者が楽しそうに答えた。少年だろうか。わずかに幼さが残った低めの声。どこかで聞いたことのあるようなものだ。

 

「まあその愚かさも、面白い所だがな」

「なめてんのかぁ!?」

 

 侵入者が笑いを零した。アルヴィスは何故だかぞくりとする。

 それは賊達も同じだったのか、怖じ気づいた空気が伝わってきた。

 歩みを止めない侵入者に一人が足を踏み出し、攻撃を仕掛けようとした。

 

「え? コイツのか、お……」

 

 だが男の言葉は不自然に途切れた。何かが床に落ちて水溜まりを作る。

 鉄臭い香りが、辺り一面に広がる。

 

「な……何なんだお前ぇ!!」

「お前が今見ているものが答えさ」

 

 一瞬の後、叫び声を上げた主が刃物で切られ、崩れ落ちた。

 

「ひぃ……うわあああああ!!!!」

 

 残りの一人が逆方向へ駆け出すが、悲鳴が何かの吹き出す音にかき消される。

 ぴしゃっと、アルヴィスの頬に暖かいものがかかる。

 

「……っ!!」

 

 むせかえる血の匂いに、アルヴィスは見えぬ眼を見開いた。

 

 いつの間にか、侵入者とアルヴィス以外、動く者はいなかった。

 殺気を微塵も感じさせずに、全てを終えた彼が立ち去ろうとする。

 眼前に広がっているであろう惨状を、残された感覚で感じながらアルヴィスはその人物に問うた。

 

 

「誰だ……」

 

 

 呆然と呟いた言葉に、侵入者が振り向く。

 

 

「お前は一体……誰だ……」

 

 

 ふっとまた笑う気配がして、硬い靴音を立てて人物が戻って来た。

 無意識に身体が強ばるが、アルヴィスは正面にあるはずの顔を見上げる。

 

 侵入者が足を止めた。再び小さな笑いを零すと、彼は傍にしゃがみ込んで格子越しに囁いた。

 

 

「俺は君だよ、アルヴィス」

 

 

 

 

 

 アルヴィスの元に、謎の人物が現れる少し前。

 中庭を通りがかったスノウは、泣きそうな顔でアルヴィスの名を呼ぶベルを見つけた。

 

「ベル? どうしたの?」

「スノウどうしよう、アルヴィスがいないの!!」

「え?」

 

 少し離れた間に彼がいなくなってしまったと話す彼女に落ち着くように言いつつ、スノウは一緒に城内を探す。

 しかし目に付く場所を片端から廻っても、彼の姿はない。

 困った二人は、レギンレイヴの兵士達がいる宿舎を訪ねた。すると休憩中の兵士が、アルヴィスの居場所はわからないが、民間人が一人城をうろついていたのを見たという。

 案内してもらった場所には、今はほとんど使われていない小さな地下牢への扉があった。

 扉を静かに開け、一同は階下を覗く。どこからか空気が流れ込んでいるのか、微風が彼らの傍を通り抜ける。

 

「……ここで待ってて下さい。私とベルで様子を見てきます」

「ですが……」

「大丈夫。これでも私、修行で鍛えてるから! それにもし私がいつまで経っても戻らなかったら、ほかの皆を呼んで欲しいの。……お願いできますか?」

 

 スノウの頼みに、兵士は顔を引き締めて頷いた。

 

「わかりました。見張りは任せて下さい」

「よろしくね」

「行こう、スノウ!」

「うん!」

 

 飛び出すベルに続いて、スノウも地下牢へと続く階段を降り始める。

 入り口近くはそこまででもないが、降りていくうちに経年による埃が目立つようになる。

 だが暫くして、使われていないはずの場所であるのに、二人は階段に真新しい足跡を見つけた。

 

(……やっぱり、誰かが来たんだ)

 

 スノウは口元に指を当て、ベルに声を潜めるよう促す。首肯した彼女と共に足音を立てないようにして、残りの階段を降りていく。

 敷地の割に、階段の長さは意外にもあった、四階分ほどの高さを降り切ったところで空間が開け、明かりが灯ったランプを見つけた。どうやら最下層のようだ。

 その時、奥に身動きする影があった。

 

「……誰!?」

 

 スノウは身構えるが、影の一人は動揺もせずにこちらを向く動作を見せた。そして消える。

 

「え?」

 

 ARMを発動した気配はなかった。驚くスノウの横からベルが叫んだ。

 

「アル!! ここにいるの!?」

 

 すると部屋の奥、おそらく地下牢である場所に残された人物が、か細い声で答えた。

 

「……ベル? ベルか?」

「! アル!!」

「アルヴィス? アルヴィスなの!?」

「ああ……」

 

 どうやら無事なようだ。「アルー!!」と反射的に飛び出したベルだったが、室内の中心辺りできゃあ! と小さな悲鳴を上げる。追い付いたスノウが横に並ぶと、見るも無残な光景があった。

 

「な、何よこれぇ……」

「この人達……皆死んでる……?」

 

 顔を真っ青にしながら、ベルは牢屋の隙間から中に入りアルヴィスに近寄る。

 

「アルヴィス、大丈夫!?」

「あ、ああ……」

 

 凄惨な有様の死体に萎えそうになる心を奮い立たせ、スノウは気丈に唇を引き結ぶと顔を上げた。

 

「ベル、アルヴィスは無事?」

「うん! でも鎖で腕が繋がれてる。鍵か何かない?」

「ちょっと待って……これね。あったよ、今ここ開けるね!」

 

 死体の傍に落ちていた鍵で、スノウは牢屋の錠を外した。すぐに駆け寄り、もう一つあった鍵を使い、アルヴィスの腕の鎖も外しにかかる。

 ベルが気遣わし気な声をかける中、当のアルヴィスは返事をしつつもどこか心ここにあらずといった様子で、その青い瞳を見開いていた。

 

 

 

 

    → 第八話