〜夕立あと
 
 
 
 それは突然のことだった。
 雲一つなく晴れ渡った空に、暗雲が垂れ込め。
 雨音と共に、世界が灰の色に変わる。

「だーっ!
 いきなりなんだよ!」
「天気予報じゃ、今日は一日晴れって話だったのにね」

 少し早い学校帰り、見事に降られたギンタと小雪は近くの軒下へ滑り込む。
 ふぅ、と肩をすぼめ、すっかり水の染み込んだ髪を触っていると、おたがいの濡れた姿が目に入って思わず笑う。

「けどこの勢いだったら、少ししたら止むかもな」
「じゃあ、ここでちょっと待ってよっか」

 鞄からハンカチを取り出して、小雪は顔や手を拭く。女の子らしい仕草を横目で見ながら、ギンタは頭を振るった。
 すると「はい」と、小雪がハンカチを差し出す。濡れていない面を表にした気遣いと行為に、ギンタは「サンキュ」と礼を言う。

「ギンタ、今日のテストどうだった?」
「もうバッチシ!
 お前のノートのお陰だぜ!」
「ホント? 良かったぁ! じゃあ約束通り、ノートのお礼を所望します!」
「ああ。……何がいいんだ?」
「駅前のファミレスの苺パフェを希望します!」
「わかった。母ちゃんに小遣い禁止されてるから、あんま高い奴にすんなよ?」
「はーい!
 えへへ、楽しみ♪」

 ご機嫌な様子の小雪に微笑んだギンタは、水滴の落ちる屋根に目を遣り、それから薄暗い空へ視線を移した。
 雨の勢いは弱まりそうにない。雷の音すら聞こえてくる。だが気に留めず、ギンタは雲の向こうを見続ける。
 激しく降る雨粒の作った靄(もや)が、都会の喧噪を覆っていた。
 
 
「……あれから、もう一ヶ月だね」

 ギンタの心情を悟ったかのように、小雪は言った。答えることなく、ギンタは前を向き続けた。
 あれから。それはギンタがメルヘヴンから帰ってきた日のことを指していた。
 そして、異世界への門が、再び閉じられた日から。


「ギンタ、あれからメルへヴンの夢見た?」
「いや、見てない」
「そっか……私もだよ」


 二人の足元で、水溜りが跳ね続ける。


「どうしてるのかな。皆」
「……………」


 遠くに霞むビルの影を望みながら、ギンタはあの世界の景色を思い描いてみるが、これまで何度かしたように、すぐにその想像を止めた。
 だが、


「あ……」


 小雪が呟いた。ギンタは彼女の顔を見る。
 
「見て、止んできたよ! ギンタ!」

 庇の下から首を出し、頭上を確認した小雪が明るく言った。

 呼ばれるように、ギンタは歩を進める。
 太陽の再び差し込む道路へ出た瞬間、埃が洗い流された風がギンタを包んだ。



 あの世界と同じ匂い。瑞々しく透明な、空気の匂い。
 むせ返るような緑と、水と、光の。


「えっ?
 ギンタ!?」


 夕立ちを抜けた青空の下を、ギンタは一目散に走り出していた。







 ……夢じゃなかった!
 皆と過ごしたあの日々は、夢じゃなかった。


 己が作り上げた、長い夢だったのかもしれないとも思った。
 例え現実でも、二度は起きない奇跡だったのかもしれないとも思った。
 だから、きっと、もう。皆には会えない。そう思わずにはいられなかった。


 でもこの世界にも、同じ匂いの風がある。
 それだけで、確信できる。異世界への扉は存在する。
 この世界とメルヘヴンは、繋がってる。



 皆がいたあの世界は、夢じゃ、なかったんだ。
 
 

「————あった!!」


 脇目も振らず飛び込び、漁った自室の押し入れに、ギンタは目的の物を見つけた。
 中学校に上がって以来、使わなくなっていたクレヨンだ。
 色鉛筆も探し出す。
 机の上の漫画本を押しのけ、引き出しの奥から画用紙を出し、開く。
 制服を着たまま、一心不乱に。頭によみがえる沢山の景色を、ギンタは夢中で描き続けた。


 
END
 
 
 
 
 
大学生になりたての初夏のある日、午後からの講義でお昼を過ぎてから家を出ました。
その日は午前中雨でしたが正午には止み、出る時には完全に晴れていました。
すると、いつもとは違う空気の匂い。
雨のあと特有の水の湿った匂いと、都会の塵や埃が洗い流された、大気本来の匂いを感じました。

このとき何故だか私は、「あ、メルヘヴンの風だ」と感じました。
何と言うのでしょうか…原作やアニメで描かれた、メルヘヴンの自然豊かな風景から連想された世界の匂い。
合宿で行った山などで感じた、澄んだ気持ちの良い空気に似た大気の匂い。それと同じものを感じたのです。
…多分殆どの人が「何じゃそりゃ」と思われていると思います。自分でも「変な人間だなぁ」と思います(苦笑)
何はともあれ、そんな出来事から思い付いた話です。

イメージ曲はGARNET CROWの「Secret Path」。子供時代のキラキラした風景を思わせる歌詞と明るいメロディが素敵で、執筆中のみならず何度も聞いています。

短いですが自分の体験が投影されている事もあり、自分の中での存在が大きすぎて、形にするまで随分と時間がかかってしまいました。
この後、ギンタが将来絵本作家を目指す布石のエピソードとして重要なものでもありますので、少しでも彼の心の動きが伝えられていたら幸いです。
ご拝読下さり、有り難うございました!

2013.3.22