神さまがいない世界で

 

 

 

 朝、眠りから覚めるように、暗かった視界に光が戻ってくる。

 ぼんやりとしていた思考がはっきりしてきて、ロランは再び世界を認識した。

 

(……あれ……)

 

 何で、生きているんだろう。

 

 疑問を口に出そうとすると、喉の傷から息が漏れそうになり痛んだ。ロランは反射的に指で傷を押さえる。しかし同時にあれ? と思い、恐るおそる手を離す。

 自害したはずの傷が、薄皮で塞がっていた。皮膚組織はまだ修復を続けている途中らしく、じくじくと痛みが残っていたものの、ほぅ…と息を吐いてみると、空気は無事喉を通り抜けた。心なしか安堵する。

 だがそんな自分に気付き、にわかに苦笑した。……死に損なったというのに、何を安心しているんだろう。

 

 覚束ない感覚のまま、ロランは身体を起こした。するとぱさり、とささやかな音がして、足元に薔薇が一輪落ちた。

 膝の上にあったようだ。誰かが置いていったのだろうか、鮮やかな赤色をしたそれを拾い上げる。

 真っ赤な花弁に知らず目を奪われていたロランは、花びらの縁が何かに照らされているのに気付き驚いた。

 光の方向を振り返る。

 

 雲以外見えたことのないパルトガインの空に、太陽の光が射し込んでいた。

 

 

 

 体力の落ちた体を引きずりながら、ロランは城を出た。城内にはファントムもキャンディスも、カペルもいなかった。

 廃墟と化していた街も、無人であるのは変わらないようだ。しかし殺風景だった島には見違えるほどの緑が溢れており、陽光のお陰か、景色からは暖かさを感じた。違う島みたいだ。

 

(彼の仲間の力……でしょうか)

 

 ヴィーザルと戦った農夫の少年を思い出しながら、ロランは歩き続ける。

 導かれるように、街の外を目指す。荒涼とした岩肌を覆い尽くす草原の向こうに、海が見えてくる。海岸に近付いてきたのだ。

 すっかり野原となった岩場を歩いていると、一本の木があった。

 それを見た瞬間、彼がいると直感でわかった。

 

 

 

 ロランは駆け出した。靴の裏に当たる草の感触が、なんだか懐かしい。

 肩で息をしながら、時間をかけて、ロランはその木に辿り着いた。

 草花に守られるようにして、根元に彼が横たわっていた。

 

 

「……ファン……トム」

 

 

 ロランは彼の名を呼び、膝を着いた。

 ここで、彼の命は絶たれたのだ。

 彼の顔を見た瞬間、自然と涙があふれた。

 喪失の鈍い痛みが、胸に訪れる。

 

 

 …………ああ、でも。

 

 

 穏やかだ。ファントムの表情は、とても穏やかだ。

 納得して、望んで彼の手にかかったのだろうと、その場にいなかったロランでも思えるようなものだった。

 ロランは目に浮かぶ涙を拭い、まるで眠っているかのような彼の安らかな顔を見つめる。そこでふと気付いた。

 

 

 草で隠れていたが、ファントムの身体に何かが被さっている。

 包むように彼にかかっていたのは、白と青が基調の上着だ。

 どこかで見たことがある。これは……

 

 (アルヴィスさんのジャケット……)

 

 彼が残していったというのか。あんなにもファントムを殺そうとしていた彼が。

 そういえば、と服に忍ばせていた薔薇を思う。彼がエル・ダンジュを魔力で花に変えていたのが脳裏をよぎる。

 これも彼が置いていったのだろうか。自ら死を選んだ自分を悼んで?

 

 

 

 ロランは喉の傷にもう一度触れた。

 死ぬはずの傷だった。けれど、まだ生きている。

 もしかしたら、彼(ファントム)の魂が救ってくれたのかもしれない。

 

 

 ロランは、顔を上げた。視線の先には、限りない水平線がある。

 

 

 

 ……これから、どうしようか。

 答えをくれる人は、もういない。

 

 

 

『自分で歩けってことじゃないか?』

 

 

 

 途方に暮れてしまいそうな心に、厳しくも、けれど優しく言い放つ彼(アルヴィス)の声が聞こえた気がした。

 柔らかな微笑が、ロランの口元に零れる。

 ポケットから、ロランは花を取り出した。そして地に眠る彼の元に供える。

 

 

 

「……また、来ますね」

 

 

 

 掠れた声で話しかけ、栗色の長い髪を揺らし立ち上がった。

 その背中に、吃驚した誰かの声がかけられる。聞き覚えのある、女性の声だった。

 

 

 

END

 

 

 

 

 

結構前に思い付いていたものの、何だかんだと先送りになっていた話です。

ロランにとって、ファントムは世界そのもの、神様のような存在だったのだろうと思います。

原作・アニメ共に、あまり救いがない印象の彼ですが、Ωではシルエットだけ後書き漫画で出てきておりますし、六年後もきっと生きているのでしょう。そう願いたいです。

 

イメージ曲はGARNET CROWの「blue bird」。

この曲の『誰もいない枯れた無人島』などがパルトガインにも通じるように思え、歌詞から触発されるイメージを参考にしました。

またクラヴィーア編でカペルがアルヴィスのことを「小鳥」と評していたことからも、この曲を連想しました。

余談ですが、作品としての『青い鳥』は「死と生命の意味」がテーマだそうで。そんな所も、ロランやファントムと繋がるような気がしています。

 

短い話ですが、そういったイメージも少しでも伝わっていたら幸いです。

ご拝読下さり、有難うございました。

 

2016.4.30