Overflow 第六話

 

 

 

 

『オレが必ずお前を治してくれる医者を見つけてくる! それまでにお前も外出試験合格しとけよ!!』

 

 

 

 早く帰らなくちゃ。

 

 

 

 早くパイロの目と足を治してくれる医者を見つけて、森に帰らなくちゃ。

 

 

 

 早く……はやく………

 

 

 

 

 額に降りてきた優しい感触に、クラピカは瞼を開ける。

 ぼんやりとしていた焦点が合い視界に映るのは、この数日ですっかり見慣れた部屋と、大きな手。

 男の手だ。骨張って節の大きい、自分よりもずっと大きな…

 

 気が付くと、サングラスの奥の目が、自分を覗き込んでいた。

 

「……レオリオ……?」

「よう。熱は下がったみてーだな」

「熱……?」

「お前今日ずっと寝てたんだよ。昨日は長い時間起きてたからな、きっと疲れたんだろ」

 

 もう夕方だぜと言われて、クラピカは室内に視線を向ける。

 彼の言った通り、窓からは夕日が覗いており、部屋の床がオレンジ色に染まり始めている。

 

「こんばんは、気分はいかが?」

 

 耳に心地よい、柔らかな声が降ってきて、クラピカは目線を上に上げる。

 机の方から歩み寄ってきた小柄な人物が、彼にやさしく微笑みかけていた。

 クラピカは一瞬当惑するが、すぐに彼女の正体を理解した。

 

「その声は……あの時の……」

「覚えてくれていたのね。嬉しいわ」

「どうしてあなたがここに?」

「色々あってな。安心しろ。彼女はオレ達の味方だよ」

「私はセンリツ。よろしくね、クラピカ」

 

 クラピカは了承の意を込めて首を縦に振る。

 

「助けてくれて本当にありがとう。あなたの助けが無ければ、私はここにいなかっただろう」

「私が勝手にやったことよ。あなたこそ、よく無事でいてくれたわ」

 

 柔和な笑みを浮かべ話すセンリツに、クラピカもまた柔らかく微笑んだ。

 

「センリツには素直なのな」

「失礼だな。お前にも礼は言ったぞ」

 

 レオリオが茶化すと、クラピカは途端に尊大な態度でのたまった。数日間しか時間を過ごしていないにも関わらず、すっかり慣れた様子の二人のやりとりにセンリツは密かに目を丸くする。

 

「よく言うぜ。……起きるか?」

「ああ」

 

 手際良く手を貸すレオリオに、クラピカもまた躊躇いなく体を預ける。互いが互いを信頼していることがわかり、センリツはそっと口許に笑みを上らせた。

 熱はもう引いていたが、脱水症状にならないようレオリオはクラピカに多めの水を飲むように促した。素直に指示に頷き、クラピカはセンリツに手伝ってもらいながら、言われた通りの量を飲み干した。

 ひとまず落ち着き、新しいボトルを持ってきたレオリオがベッドサイドに腰を下ろした所で、センリツは話を始めた。己の素性とクラピカを逃した経緯について、レオリオに話した時より端的に、しかしクラピカが納得のいく形で説明した。

 

「私の話はここまで。……聞いてもいいかしら。あなたとクルタ族に、何があったのか」

 

 ほんの少し言い淀んだセンリツだったが、思い切ったように核心を問うた。

 クラピカはしばし傷付いた者の表情を見せたが、覚悟を決めるように首肯する。

 

「……ああ」

 

 落ち着いた声音で、クラピカは語り出した。己だけが知る四年前と、クルタ族のことを。

 

 

「私達クルタ族は、ルクソ地方の奥地にある、外とは隔絶された豊かな森の中で暮らしていた。……緋の眼のことは、知っているな?」

 

 

 質問はレオリオに向けられたものだった。「ああ」と答えた彼にクラピカは相槌を打ち続ける。

 

「クルタ族は緋の眼のことで古くから差別や偏見、好奇の目で見られていたため、定期的に移住を繰り返していたそうだ。私は生まれてからずっとその森で暮らしていて、それが当たり前だと思っていた。だが十二歳のある日、私は森に迷い込んできた旅人から貰った本を読んで、外の世界を知った。…どうしようもなく憧れた」

 

 クラピカの顔が、初めて本を読んだ時を思い出してか少し緩む。

 

「私達には掟があって、大人にならないと森の外に出る資格が持つことができなかった。緋の眼の秘密を守らなければならなかったからだ。けれど外に出たい気持ちを抑えられなかった私は、ジイサマ……長老を説得して、外出試験を受けた。親友の助けもあって試験には無事合格した。そして、私は旅に出た。十三歳の時だ」

 

 そこでクラピカは沈黙する。微かに明るさを含んでいた表情は消え、やがて重い口を開いた。

 

「……旅に出て六週間後に、クルタ族が襲われたというニュースを聞いた」

 

 態度には出さないものの、レオリオは内心はっとする。クラピカは冷静に語ろうとしているが、声には僅かに震えが混じっていた。自分でも気付いていないのだろう。

 

「私は地走鳥(ピコ)を走らせて森に戻った。そこで焼け焦げた樹々と、家と、皆の遺体を見た」

 

 クラピカの声に、隠し切れない激情が篭もっていく。

 

「無造作に投げ出された遺体からは、瞳が全てくり抜かれていて……空っぽだった。緋の眼を狙った襲撃だと、すぐにわかった。……一人でも生存者はいないかと、探しに行こうとしたところで、森の奥から黒服の男たちが来た。多分マフィアという奴らだと思う。抵抗したが私はそいつらに捕まった。そのままどこかに連れて行かれて………それからずっと、あそこにいた」

 

 そしてクラピカは口をつぐんだ。その後の彼の様子は二人も知る所だった。

 先刻より深さを増した夕日が、クラピカの横顔を照らす。整った顔ばせに憂いの色が浮かぶ。

 床に伸びた影が、ゆっくりと向きを変えていく。

 

 永い静寂の後、クラピカはこの場で唯一、己の疑問の答えを知っているだろうセンリツを見つめた。

 

「……一つ聞きたい。あの時、生き残ったのは私だけなのか?」

「…………」

「他に生き残った人間はいないのか? 襲撃を逃れた者は……」

「…………」

 

 クラピカは問いを重ねる。しかしセンリツは何も言わない。

 無言のままの彼女に、クラピカは顔を強ばらせる。

 

 

「…………まさか、本当に、私以外の者は……」 

 

 

「………………死んだのか?」

 

 

 唇を震わせながら、クラピカは問うた。

 

 

「私の父も、母も、友も皆……?」

 

 

 縋る様な眼差しで言葉を待つクラピカに、センリツは同情とも悲哀ともとれる悲痛な表情を浮かべた。

 だが、その柔らかな声で、躊躇いつつもはっきりと答えた。

 

 

「…………四年前から現在に至るまで、クルタ族の目撃情報はないわ。……生きた緋の眼であるあなた以外は」

 

 

 クラピカの表情が凍り付く。

 

 大きくひゅうっと息を吸い、呼吸を止める。

 瞳を歪め、辛そうに肩を揺らすと、クラピカは顔を俯かせた。

 夕焼け色に染まった布団の上で、血が滲みそうなほど握り締められた手が小刻みに震えている。

 沈黙したままのクラピカに、見かねてレオリオが言葉をかける。

 

「……おい、クラピ……」

 

 レオリオの声は途中で止まった。

 

 クラピカの瞳は、今にも溢れそうな涙で満ちていた。

 湖のような碧色をしていたそれは、レオリオの初めて見る真っ赤な色に染まっている。

 涙を溜めたそれは、水面の様にゆらゆらと揺らめいており、クラピカの感情を何よりも雄弁に表していた。

 

 

(これが……緋の眼……)

 

 

 時折彼の眼の中に、見え隠れしていたのはこれだったのだ。

 赤一色であるはずなのに、どこか底の見えない泉のような、深淵を宿していて、けれど吸い込まれそうなほど、純度の高い宝石のような光を秘めている。

 

 深い色合いを湛えたそれを、不謹慎にも、美しいと、レオリオは思ってしまった。

 

 

 その瞳から、涙が零れていく。

 

 

 緋色の雫が落ちては、クラピカの手を濡らしていく。

 

 

 声を出さないまま、クラピカはただ涙を流す。

 空気を察し、センリツはそっと席を外した。だがレオリオは彼の傍らに付いたままでいた。

 センリツが玄関の扉をゆっくりと閉める。その間にも、クラピカの赤い両目からは涙が零れてゆく。

 

 

「…………わかっていた、つもりだった」

 

 

 ぽつりぽつりと、涙と共にクラピカは吐露していく。

 

 

「あの中にいた時、私を見に来た奴らが『クルタ族は滅んだ』と、そう何度も話していたから」

 

 

 一粒、一粒、雫が落ちては、布団の染みが広がっていく。

 

 

「でも、もしかしたらって。もしかしたら、誰か一人でも生きてるんじゃないかって、そう、思っていたのに……!」

 

 

 クラピカの声に、涙が滲む。

 

 

「本当に、みんな……!」

 

 

 ぎゅっと、クラピカの拳が更に握られる。筋肉がなく、平常時ではほとんど動かない手は、緋の眼の発現した今では皮肉にも動かすことができるようだった。

 クラピカは引きつった呼吸をしたが、嗚咽を飲み込もうと、息を途中で止めて懸命に抑える。それを繰り返す。

 

 彼を静かに見つめていたレオリオは、その肩に自分の手を置いた。

 

 

「……ちゃんと、泣いてやれよ」

 

 

 涙を堪えようと目を強く瞑っていたクラピカが、うっすらと目蓋を開く。

 

 

「今お前の仲間の為に泣いてやれるのは、もうお前しかいないんだぜ」

 

 

 クラピカはレオリオの顔を見た。

 夕焼けの中、緋色の眼が、刹那時間を止めたかのように、レオリオだけを見つめる。

 

 それが、決壊する。

 

「う……」

 

 小さな器から水が溢れ出るように、クラピカの瞳から涙が溢れ出る。

 

「うぅ……ああ……!!」

 

 クラピカはレオリオの手にすがりつき、声を上げながら泣き始める。

 痛いくらい切なく力の入った手を包み込み、レオリオはクラピカの頭を自分の方に引き寄せる。

 抱き締めるように、胸の中に彼の体を埋めながら、そっと背中に手を回した。

 クラピカはただ、ずっと泣き続ける。

 

 部屋の外にいたセンリツには、耳を澄まさずとも彼の泣き声が、いつまでも聞こえていた。

 

 

 

 

「これだ……!!」

 

 隣で上がった大声に、ゴンはキルアの使うパソコンに目を向ける。

 電脳ページ上には、ゴンが今隣で使用していたハンター専用サイト「狩人の酒場」ではなく、別のサイトがいくつか映っていた。

 マルチウィンドウの一つには掲示板らしきページが、そして黒を背景色とした、とある施設の案内らしきページが開かれていた。

 

「何これ? 人体博物館……?」

「ここだ……」

「え?」

「オレ昔、ここに行ったことがある……」

 

 珍しく目を見張り驚愕した様子のキルアに、ゴンは困惑しつつ訊ねる。

 

「どういうこと? ねぇ、キルア?」

 

 ゴンの声を聞きながら、キルアは急速に蘇った記憶を想起していた。

 

 

 

 

第六話 終

 

第七話