冷たい海【4】

 

 

 

 

 煌煌と燃える炎が、逃げ惑う人々の顔を照らす。

 戦う力のない若い女性の顔も、全てを燃やし尽くす赤に照らされていた。

 

「はあ、はあ、はあ……ああ!!」

 

 崩れた家の破片に足を取られ、彼女は転倒した。

 

「へっへっへ。もう逃げらんねぇなぁ」

 

 下卑た笑いを響かせる男の姿に反射的に顔を上げるが、身体は動けない。

 

「__っ!!!」

 

 振り上げられたロッドに、最後を想像して思わず目を瞑る。

 しかし、来るはずである衝撃はなく、代わりにパシッという音が聞こえた。

 おそるおそる目を開けると、青い髪を持った少年が自分の前に立っていた。

 

「な……何者だてめえ!!」

 

 己の武器を片手で受け止められた男_おそらくチェスだろう_が大声を上げる。

 対して少年は恐怖を感じさせるほど冷たい声で答える。

 

「……貴様等に答える必要は」

 

 均衡状態であったロッドが徐々に傾き始め、

 

 

 

「ない」

 

 

 

 その一言とともに、少年は自分よりも遥かに高い背丈を持つ男をロッドごと投げ飛ばした。

 

 民家の壁に投げ付けられた男は言葉にならない悲鳴をあげ、しばらく痙攣していたが、やがて動かなくなった。

 それを静かな表情で見届けた少年は女性の方に振り向く。

 

「怪我はないですか」

「あ、ありがとうございます!!」

「さあ、今のうちに。東側なら安全です」

「はい!」

 

 安堵の表情を浮かべ、去っていく女性の背をしばらく見送って、アルヴィスは再び前を向いた。

 そこには、先ほど自分が倒した男が横たわっていた。

 

 

 壁に打ち付けられた身体は、首が変な方向にねじ曲がっていてその人物がもう生きていないことを告げている。

 

「……死んだか」

 

 胸を痛めるつもりなど無い。ただ。

 殺したくはなかった。

 殺すつもりはなかった。

 

 

 殺されても当然なのかもしれない。だが、チェスであるその男にもきっと愛する者はいて。

 男を愛する者はきっと、彼の死に涙するはずで。

 

 誰かを守りたいと言いながら誰かの笑顔を奪う、矛盾だらけな自分。

 

「……くそっ」

 

 わずかに感じる苦々しさに舌打ちしながら、アルヴィスは死体に背を向けた。

 

 

 ざあっ……

 炎の熱気を纏った熱い風が、肌に触れる。

 アルヴィスが今立っているのは、街の全体を見渡せる小高い丘であった。

 見下ろす光景は、人々の悲鳴や怒号、血の匂いや炎で埋め尽くされている。

 

 

 ……変わらない。

 

 こんなことを繰り返してはならないと、自分は戦っていたのに。

 

 それでも人は争いを起こし、血と涙を流す。

 

 

 

 そして自分は。

 

 

 

 

 あの頃と何も変わっていない。

 無力だった幼い時と。

 

 

 ……ギンタたちはどんどん強くなっているのにな。

 

 

 昼間自分が年下の少年に言ったことを思い返し、アルヴィスは笑みを浮かべる。

 それが自嘲なのか悲哀なのかは

 自分でも、わからない。

 

 

 

 ───ずきんっ。

 

「うぐっ……」

 

 先程から徐々に激しくなる痛みに、アルヴィスは耐えきれなくなり膝をついた。

 いつ敵が出てきても良いようロッドは離さずに、左手で胸元を押さえる。

 

 

 命を取ることばかり覚えて。

 

 

「オレは何を守れたんだ………」

 

 小さな呟きに答えるような言葉が背後から響いた。

 

「へえ、あんな弱い奴の死にも心を痛めるなんて。優しいんだね」

「!!」

 

 砂塵の中でも消えることなく通る低い声。

 誰よりもよく知った禍々しい魔力。

 振り返った先にある、整った顔立ちに浮かべる場違いな微笑。

 

 

 

「……ファン……トム…………!!」

 

 

 

 その名を呼んだ途端、心臓が焼け付くように痛くなった。

 

 

 

 


 

 戦わねば。

 自分が誰よりも憎む男。

 殺さねば。

 死んでしまった者たちの為にも。

 なのに、何故身体が動かない?

 

 

「あ……」

 

 静かに、しかし着実に近づいてくる姿に、アルヴィスは呆然としたような声を上げる。

 

「大分伸びたね、タトゥも」

「……っ!!」

 

 なぞるように腕に指を這わせる感触に、硬直していた身体の感覚が戻り、アルヴィスはその手を振り払おうとする。

 しかし逆に手首をつかまれ、動きを封じられてしまう。

 力を込め、束縛から逃れようとするが、全身を襲う痛みに意識さえ遠のきそうになる。

 

「は……なせ…………!!」

「そんなに嫌がらなくてもいいじゃないか。君と僕との仲だろう?」

 

 絞り上げるような声にあくまに悠然と微笑みながらファントムは答える。

 アルヴィスからは気づけないが、アルヴィスを拘束していない方の手にはあるARMがあった。

 それに注ぎ込む魔力を大きくしながら、ファントムは言った。

 

 

「君の心には深い底のない海のような闇が見える。違うかい? アルヴィス」

 

 

 ドクンッ、と、胸が音を立てた。

 

 

 

「な、なにを……」

「君は本当は救われたいんだろう? 孤独から、恐怖から、弱さから。でもね、誰が手を差し伸べてくれるのかな? こんな深い闇を持つ、君に」

 

 

 

 麻薬のように心をかき乱す言葉。

 それに呼応するように、ファントムの手の中にあるARMが怪しげな光を放つ。

 その光を浴びたアルヴィスは、目を見開いたまま震え始める。

 

「あ……」

 

 その様子にますます笑みを深くしながら、ファントムは言葉を続ける。

 

 

「ねえ、君はチェスを何人殺したの?」

 

 

 頭に浮かんで来たのは、先ほど殺した男の死に様や、過去に重ねた罪の記憶。

 

 

「そんなに沢山命を奪って」

 

 

 破壊された街の跡で、涙を流し続ける人々。

 何も出来なかった、幼い自分。

 

 

「一体どれだけのものを守れたんだい?」

 

 

 泣きそうな顔をした、ベル。

 それにうっすらと微笑むことしかできない、今の自分。

 

 

「ほら、君の手はこんなにも」

 

 

 戦いを終え、ロッドを振るっていた手のひらを見やる。

 己が奪った、救えなかった命が流した

 

 

「真っ赤じゃないか」

 

 

 血で染まった、手のひら。

 

 

 

 

 

 両の手を宙に持ち上げたまま、アルヴィスは天を仰いだ。

 いつも光が宿っている瞳からは生気が無くなり、空っぽの双眸が闇を映す。

 そして、持ち上げた手はそのままで、ゆっくりと崩れ落ちていった。

 

 闇しか映さない視界が遠のく中、

 

 

     金色に輝く髪の

 

 

 少年の

 

 

 

           笑顔が

 

 

 

 

 

 地に向かって崩れる身体を、ファントムは難なく受け止めた。

 

 

 

→  第五話