冷たい海【5】

 

 

 

 

 倒れてゆく彼の姿を見た途端、

 

 数時間前に見た儚い笑顔が重なって

 

 気づけば全力で、彼の名を叫んでいた。

 

 

 

「アルヴィス!!!」

 

 相手にしていたチェスの男をぶん殴って、ギンタは彼の元へと駆け出す。

 そして彼の身体を支えた人物を見つけて、驚愕しながらもバッボを構えた。

 

「うおおおお!!!!」

 

 ダガーに変化させてファントムに切り掛かる。

 しかしファントムはそれを軽やかな動きでよけ、アルヴィスを抱えたまま挨拶をした。

 

「やあ、ギンタ」

「やあ、じゃねえ!! お前、アルヴィスに何をした!?」

「真実を教えてあげただけだよ?」

 

 怒るのは筋違いとばかりに、ファントムは肩をすくめて笑う。

 その手にはいまだにARMが握られている。

 

「とにかく、さっさとアルヴィスを離せ!」

「やれやれ、怒ったり叫んだり忙しいね、君も」

 

 そう言ってファントムは素直にアルヴィスの身体を手放した。

 力なく崩れ落ちる身体をギンタは慌てて支える。

 

「アルヴィス!!」

 

 呼びかけても返答はない。

 身体の向きを仰向けにして見ると、アルヴィスの瞳は開いていた。

 しかし、彼の瞳にいつも宿っているはずの光はなく、空っぽの双眸は何も映していない。

 

「アルヴィス、しっかりしろ! アルヴィス!」

 

 頬を叩きながら呼びかけても、目の前にいるギンタの姿を映すことはない。

 

「ファントム……お前、アルヴィスに何をしたんだ!?」

「さっきも言っただろう? 彼に真実を教えてあげただけだよ」

「真実!?」

「そう。彼にとって、すごく残酷で認めたくない事実をね」

 

 アルヴィスを抱えたまま、ギンタはファントムを睨んだ。

 鋭い眼光をそらすことなく、口に笑みを浮かべながらファントムもギンタを見つめた。

 

「君は知っているかい? 彼が愚かで、脆弱な人間であることを」

「アルヴィスは愚かでも弱くもねぇ! すごい強い奴だ!」

 

 心からそう言った。

 呪いにも負けることなく、いつも凛としていて、真直ぐに立っている。

 紡ぐ言葉はムカつくものばかりだが、彼が仲間を思いやった上でそう発言しているのもわかっている。

 だから、心からそう言った。

 

 

 すると、ファントムは不意に表情を消して聞いた。

 

 

 

「本当に?」

 

 

 

 そのどこまでも冷たい表情に、ギンタは背筋が冷たくなるのを感じた。

 

 

 

「本当に彼が強い人間だと思ってるの?」

 

 

 

 視線で人を殺せるなら、今のファントムは正にそうだ。

 瞳をそらさないように、ギンタは抱えるアルヴィスの身体にぎゅっと力を込めた。

 

 

「だとしたら君たちは本当に愚かだね。彼の抱える闇にも気づかない振りをしてたんだから」

 

 そう言うと、ファントムは魔力を高めた。

 

「う……あ……!」

 

 魔力の波動を受けて、アルヴィスの全身が赤く光りだす。

 赤く怪しげにタトゥが輝きだしアルヴィスが苦悶の声を上げる。

 

「アルヴィス!!」

「あう……あ……」

「大丈夫か!? アルヴィス、しっかりしろ!!」

 

 必死に呼びかけるギンタを尻目に、ファントムは再び手にするARMに魔力を込めた。

 淡く青白い光が生まれる。

 

「……っ……」

 

 その光に似た色を目に湛えたアルヴィスは、小さく言葉を漏らし始める。

 

「え? なんだ、アルヴィス」

 

 その言葉を聞き取れなかったギンタはアルヴィスに呼びかけながら耳を寄せた。

 掠れそうなほど弱々しい声で、切実に紡がれた言葉。

 

 

 

「死に……たくな……い」

 

  

 

 その言葉が響いた瞬間、ファントムは再び満面に笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 「え……」と、ギンタは思わず聞き返してしまった。

 だって彼が言うとは思わなかったから。

 一人で立てる強さを持った彼が、「死にたくない」だなんて。

     

 その響きの中に、“助けて”という、切実で儚い願いが

 

 垣間見えたなんて。

 

 

 

 

 

「つくづく愚かだよね、君たち人間は」

 

 依然として冷たい眼光のまま、ファントムは話を続ける。

 

「自分の目に見えるものだけを信じる。与えられたものだけを信じる。少し手を伸ばしてみれば、わかることもあるのに、気付こうとしない」

 

 

 ギンタを見据えていた視線を、ファントムはアルヴィスへと移す。

 視線の移動に気付いたギンタは、アルヴィスを抱える力を強める。

 

「気付いても、知らない振りをする。......君だって知ってるだろう? 僕が与えた彼の呪い」

 

 ギンタは、いまだに光り続ける、彼の身体に奔るタトゥへと目線を落とす。

 

「正直、この呪いは本当に苦痛なんだよ? 昼夜問わず痛みは襲ってくるし、忘れようとしても目を開けばタトゥが見える。逃れたくても逃れられない」

「それを与えたのはお前だろ!?」

「そんなことは関係ないね。大切なことは次だ」

 

 ギンタの言葉を一刀両断して、ファントムは言い放った。

 

 

「君は彼が弱音を吐かないことに、疑問は持たなかった?」

 

 

 目を逸らせない。ファントムの冷たい目から目が逸らせない。

 

 

「それは……アルヴィスが強いからだ。弱音なんか吐く前に、あいつはいつも前を見てた!」

「じゃあ、さっき彼が言ったことは?」

 

 

    “死にたくない”

 

 

「その裏に隠れてた心も聞こえたんでしょ?」

 

 

    “助けて”

 

 

 段々と理解できてくる状況に、ギンタは目を見開く。

 

 あいつは、アルヴィスは……

 

 

「このARMはね、人の奥深くに隠れてる心が覗けるんだ」

 

 

 澄んだ金属音を響かせて、ファントムは手に持つARMをギンタに見えるよう、持ち上げた。

 

 

「使い方によっては、その隠れてる感情を増幅させることができる」

 

 

 先程のアルヴィスの様子を思い出す。

 ARMの光を浴びた途端、震えだした……

 

 

「アルヴィス君の場合は、悲しみと恐怖、そして」

 

 

 リフレインする彼の声。小さな声で唇が紡いだ────

 

 

 

 

 

「願い」

 

 

 

 

 すべての点が、つながった。

 

 アルヴィスは強い。

 でも同時に

 

 

 弱かったのだ。

 

 

 

「初めて知った、って顔してるよ。ギンタ」

 

 揶揄するようなファントムの口調に、何も返せない。

 頭をよぎるのは

 

 

 “気持ちだけ受け取っておく。ありがとうギンタ”

 

 3ndバトルが終ったあとの顔と

 

 

「でもサインはあったんだよ。一気に感情を放出すると彼の心が壊れるから、魔力は小出しにしていったんだ」

 

 

 “そうだったな”

 

 

 少し前に見た、儚い笑顔。

 

 

「それは彼の抱えてた闇が深かったせいもあるんだけどね」

 

 

 もっと、早く気付いてやれば…………。

 

 

「彼がこうなるまで気付かなかった、君たちが本当に仲間? ……笑わせるね」

 

 

 露骨に蔑むファントムに、ギンタは何も言い返せなかった。

 

 

 

→ 第六話