アンダータで城を脱出し、一同は島の裏手の海岸へと向かった。

 人の手が加えられていない砂浜。そこに広がる海に、アルヴィスの遺体を水葬するためだ。

 その方法を選んだのは、最後まで運命に抗い続けた彼を、綺麗なまま眠らせてやりたいと誰からともなく呟いたからだった。

 動かなくなったアルヴィスを抱えるアランが先導し、海岸に着くとアランはざっと足音を立てて立ち止まる。

 

 

「……いつまでくっついてる気だ。いい加減離れろ」

 

 

 アルヴィスから離れようとしないベルに向かい、彼は低い声で言った。

 泣きながらずっとしがみ付いていたベルは、アルヴィスの身体に顔をうずめたまま首を振る。

 先程からこうして彼女は、頑としてアルヴィスの傍を離れようとしなかった。

 見守る面々は、痛ましさに表情を歪めるものの、誰も止めることが出来ないでいた。

 長い長い沈黙の後、ナナシが声をかける。

 

 

「……ベルちゃん」

「…………」

「男の子にとっちゃな、ずっと一緒におった女の子は特別なコなんや」

 

 

 アルヴィスの胸に伏せたまま、ベルは答えない。

 

 

「守りたいと思うコには、いつも笑っていて欲しいもんなんや」

「……」

 

 

「君に見せる笑顔が、アルちゃんは一番ええ顔してたで」

 

 

 声を出さずに、ベルは再び泣いた。

 

 

 わかる。わかってる。

 アルヴィスがいつもベルのことを考えていてくれたこと。

 

 

 自分に向ける視線が好きだった。

 ふとした瞬間見せる仕草が好きだった。

 

 

 アルヴィスが笑ってくれると、幸せだった。

 

 

「辛いだろうが、もう泣くのをやめい」

    

 

 嗚咽を漏らしたところで、バッボが静かに告げる。

 

 

「おぬしがいつまでも悲しい顔をしていては、アルヴィスの奴も辛いだろう…」

「……」

「ベル……」

 

 

 僅かに顔を上げたベルにスノウが囁く。

 

 

「……うん」

 

 

 小さな声で答え、ベルは身体を起こした。

 

 

 

「アルヴィス……」

 

 

 

 沢山の気持ちを込めて、名前を呼ぶ。

 

 瞳が閉じられたままの彼を見つめ

 

 

 

「……ありがとう」

 

 

 額に小さなキスを一つ、落とした。

 

 

 

 

 

「行くぞ」

 

 アルヴィスからベルが離れたのを見て、アランが一言そう言った。

 やや俯き加減でいたドロシーが顔を上げる。

 止まらぬ涙を流していたジャックがぐしぐしと顔を拭い、前を見つめた。

 なだらかな坂をつくる砂の上で一同が佇む中、アランだけが、前方に広がる海へと降りていく。

 ちゃぷん、ちゃぷんと、小さく寄せる波が彼の足をさらう。

 腰まで浸かる場所まで来ると、アランは腕に抱えたアルヴィスを見つめた。

 

 

「……アルヴィス、今までよく頑張ったな」

 

 

 眠るアルヴィスの顔は、ただ穏やかで白い。

 

 

「もうお前は苦しまなくていい……安らかに眠れ」

 

 

 海風が、彼の頬を撫でる。

 アルヴィスに吹く、最後の風だ。

 彼の愛した世界が、彼を送ろうとしている。

 

 アルヴィスの身体を水の中へと入れる。

 全身を浸すと、アランは水のベール越しに少しだけ彼を見つめる。

 

 やさしく、手を放す。

 

 

 軽い身体が、一瞬ふわりと浮きそうになるが、重力に引かれ沈んでいく。

 蒼い髪が、海と同化して小さくなっていく。

 

 

「アルヴィス……!」

 

 後方で涙を溜めていたドロシーが、思わず名を呼んだ。

 

 彼の身体は、止まることなくゆっくり沈んでゆき、

  

 

 やがて、見えなくなった。

 

 

 

 そして彼らの周りに、新しい風が吹いた。

 

 

 

 

 

「……一度、レギンレイヴに戻るぞ。お前ら」

 

 水音を立て海から上がって来たアランが、開口一番に宣言する。

 

「そうですな……その方が良いでしょう」

 

 沈痛な面持ちでエドが呟いた横で、スノウが小さく頷いた。

 今の自分たちには、少なくとも時間が必要だった。

 短くとも、共に戦ってきた仲間の死を、受け入れるための時間が。

 

「ギンタ」

 

 ただじっと彼の眠る海を見つめ、俯いていたギンタの視界にアランの靴が入る。

 顔を上げると、目の前に立ったアランが握っていた何かを差し出した。

 

「……コイツはテメェが持ってろ」

 

 彼の大きな掌から渡されたのは、二つのARM。

 最終決戦の後、ギンタがアルヴィスに渡したプリフィキアーヴェと、

 いつもアルヴィスの腰元で揺れていた、彼が最も気に入っていたARMだった。

 

「オッサン……でもこれは……」

 

 これはアルヴィスの遺品みたいなもので。

 自分よりも彼と長い付き合いのアランやガイラを差し置いて、自分が貰うのはおかしいと、ギンタは返そうとする。

 

 ……オレはアルヴィスを助けられなかったのに。

 

 眉を歪ませながらARMを渡そうとするギンタに向かって、アランは彼をまっすぐ見据えて言い放つ。

 

 

「オメェは……アルヴィスが命をかけて、この世界に喚んだ『希望』だ」

 

 

 はっと、ギンタは息を飲む。

 自分を見つめていた眼差しを思い出す。

 彼がどんな思いで自分を喚んだのか、その綺麗な青い瞳が語ったことが脳裏に甦る。

 

 

 “強くなれ”

 

 

 共に戦い、隣に立って笑う彼の瞳に、徐々に信頼の色が混ざっていくのが嬉しかった。

 

 

「……だからコイツは……」

 

 

 再びはっとして記憶から現実に戻ると、アランはギンタの掌に頼りなく存在するARMを彼の手に押しつけた。

 

 

「テメェが、持ってろ」

 

 

 すれ違いざまにそう言うと、アランはそのままギンタを置いて歩き出す。

 ややあってギンタが後ろを振り向くと、ギンタはアランの頬に

 涙が一つ、伝っているのを見た。

 

 

 

 

 

 メルがレギンレイヴ城へと戻ると、それを見計らったように空からぽつりと水滴が落ち始める。

 灰色に立ちこめた空が、夜の闇を宿してその色を深くしていく。

 一同が城に待機していたガイラにアルヴィスが死んだことを告げると、ガイラは静かに「そうか」と言った。

 

「老いぼれた儂よりも早く逝くとは……!」

 

 低く呻きながら、唇を噛みしめてガイラは涙を流した。

 しばしの間自由行動となり、城に割り当てられた各自の部屋に戻ったメンバーは、自然とギンタの部屋へと集まる。

 しかし部屋にギンタの姿はなく、ベッドの上にバッボだけがいた。

 

「……ギンタは?」

「出て行きおった」

 

 部屋を見渡したジャックの問いに短く答え、バッボは丸い身体を俯かせた。

 

「しばらく一人になりたいと言ってな……」

「……」

「……無理もないで」

 

 ナナシは驚いて無言になったジャックの脇を通りすぎると、ベッドの近くに備え付けられていた椅子に腰掛ける。

 簡素な造りの木枠が、ギシリと軋んだ。

 

「いくらアルちゃんの望みだったとはいえ、自分の手で大事な仲間を殺したんや。……辛いやろな」

 

 諭すように冷静に語ってみせるが、バンダナの奥に見え隠れする瞳は、いまだ悲しみの色から抜けきらないでいる。

 それを認めたジャックは、沈鬱な表情で「……そうっスよね」と相槌を打った。

 いつも座っていた場所をなくしたベルは、ベッドに腰掛けるドロシーの肩にいる。

 仲間たちの口から彼の名が紡がれるたび、僅かに反応しては顔を伏せた。

 ちらりと彼女に目を遣ったドロシーも、黙ったままベッドに指を滑らせ、時折ぎゅっ、とシーツに皺を作る。

 アランは部屋にあったもう一つの椅子に座り、何も言わず鋭い眼光でどこかを見つめるだけだった。

 

「……雨……止まないね……」

 

 途切れることなく窓を叩く音にスノウが目を向けると、宵闇色のガラスにいくつもの滴が筋を作って流れている。

 エドと彼女が見つめる先で、嘆きの色に染まった空は、地上に涙を滂沱と降らせていた。

 

 

「ギンタ………」

 

 

 

 

 

 

 

 ざあああああ……

 

 激しい勢いで打ち付ける雨の森を、ギンタはただ歩いていた。

 水滴が絶えず髪に染み込んでいくが、構わず歩き続けた。

 

 

 痛みは感じなかった。温度も感じなかった。

 

 

 ただ胸の内に燻る感情のまま、泥道を歩き続けていた。

 

 

 どのくらい時間が経っただろうか。不意に前方から物音がし、繁みからいくつかの人影が現れた。

 

「——げ!! コイツ、メルのギンタじゃねぇか!!」

「何でこんな所にいんだよ!?」

 

 焦り声を上げる男たちは、皆攻撃用のウェポンARMをいくつも身に付けている。

 耳元で揺れるのは階級を示すピアスだ。

 おそらくファントムがウォーゲームで負けた後、城から逃げ出し盗賊と化しているチェスの残党だろう。

 眼前で急いた会話が続くが、ギンタは滝のような雨に打たれたまま一言も発さなかった。

 ウォーゲームでギンタの実力を嫌というほど見せ付けられていた彼らは、その雰囲気に気圧され思わず立ち去ろうとする。

 しかし、一人のチェスがある事実に気が付いた。

 

 

「おい待てよ! コイツ今ARM持ってねぇぞ?」

 

 

 全員が、一瞬息を飲んでギンタを見下ろす。

 

 

「バッボがいねぇ……ってことは!!」

「今なら殺れるんじゃねぇか!?」

「ARMを持ってないガキなんて、ただの赤子同然だぁ!!」

 

 現状から一つの方程式を導き出した彼らは、先程までの様子を一変させ獰猛な目つきを光らせる。

 次々に己がARMを発動させ、丸腰のギンタに向けていく。

  歯を見せて、笑みを交わすのが合図だった。

 

 

「死ねえええ!!!」

 

 

 どすっ

 

 

 攻撃がくるよりも早く、ギンタは男の鳩尾に拳を叩き込む。

 助走なしに駆け出した身体が、宙に浮いた。

  

「……何で……」

 

 着地するや否や身体を捻る。

 振り向きざま、二人目の鼻面を殴り飛ばした。

 

  「……何でアイツが、死ななきゃいけないんだよ…………」

 

 

 

 

「何で……」

 

  

 

 四人目の身体が地面に落ち

 

 

 

 

「何で……!!」

 

 

 

 五人目のARMが粉々に砕けて吹っ飛んだ。

 

 

 

 息を切らして、ギンタはその場にしばらく立ち尽くす。

 膝に置いた手を、雨が滑っていく。

 先程からの心の軋みをこらえようと歯を食いしばり、また、あてもなく歩き出そうとした。

 

 

「——っ!」

 

 

 しかし踏み出した途端、ぬかるみに足を取られて転んでしまう。

  

 

「......ってぇ...」

 

 

 痛みに痺れた身体が、無意識のうちに震える。

 

 

 

 ぱしゃんっ

 

 

 

「……?」

 

 

 低く呻いた掌の先で、何かが弾ける音がした。

 水たまりに落ちたらしきそれが、雨で濡れたギンタの顔をさらに濡らす。

 ぼんやりと身体を起こすと、転んだ拍子にズボンから転がり落ちた

 

 アルヴィスの、13トーテムポールチェーンが

 

 

 雨粒に打たれ、淡く銀色に光っていた。

 

  

 

 ————メルへヴンが好きか?

 

 

 

 

「……うっ……」

 

 

 

 ————それならオレと同じだな

 

 

 

「くぅ…………!」

 

 

 

 

 

 ————ギンタ。

 

 

 

  

 ———— 一緒にチェスを倒すぞ!!

 

 

 

 

 

「うわああああああああああ!!!!!」

 

 

 

 

 

 いっそ狂えたら良かった。

 

 大きな声で泣き叫んで

 

 この現実を否定できたら良かった。

 

 

 

 

 でも生きてかなきゃいけない。

 

 お前がいないこの世界で生きてかなきゃいけない。

 

 

 

 

 伸ばした腕で拾い上げたチェーンを強く握り込む。

 

 

 

 

 

 ——一番苦しかったのはオレじゃない。アルヴィスだ。

 

 

 

 

「————アルヴィスぅぅぅうううぅうう!!!!!」

 

 

 

 

 血を吐くような叫びを、雨音だけが飲み込んでいった。